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学校校舎とずっと一緒にいるのは、地域の住まう人たち

山形県南陽市では、令和5年、令和6年度の2年間にわたって、市立中学校の将来像について、くじ引きで選ばれた地域住民によって議論される熟議型の住民協議会「自分ごと化会議」が開催されました。
それらの議論を傍聴し、また提案書をつらつら拝見しています。

少子化の流れの中で、生徒数が減少していくなか、小規模校として現在の学校数を維持するのか、それとも生徒の多様な活動を保障する一定以上の規模の学校を維持するために統廃合をするかという、非常に難しい選択を迫る議論が繰り広げられました。
勿論、自分の住んでいる地域の学校を守りたいという発言も出たことも事実です。
しかし会議が進むとともに、単に、小規模維持VS統廃合という二項対立ではない議論へと発展していきました。地域で中学校の教育と多様な活動を支え、小規模校のメリットと市全域で多様な生徒の活動を享受できるメリットを共存させることを目指そうという、様々な提案が上の2つの提案書の中で紹介されています。

そういった市民の議論の中で非常に印象に残った発言がありました。

「中学校の校舎や校庭では、運動会や盆踊りなど、様々な活動を地域の皆さんとやってきたし、災害時の避難所として頼りにしている。学校の先生は確かに学校として組織を支える方々だが順番で人は変わっていく。地域の学校とずっと一緒にいるのは私たち自身です。」

この言葉で、会議の空気が一気に「自分ごと化」の方向に相移転したように感じました。
行政が開催しがちな多くの「審議会」スタイルの会議では、参加する委員がそれぞれのポジションを背負っているし、それ委員同士が知っているため、インフラを巡る地域課題について議論すると、個所付けについての地域エゴ(その反対の迷惑施設論)や、規模の縮小か統廃合かというような二項対立を先鋭化させるような議論となりがちかも知れません。
しかし、無作為抽出で選ばれた市民の間では、特定の部分集団としての代表性のようなものがそもそも存在しておらず、ポジショントークをし続ける動機付けがありません。それゆえ、自分ごと化会議では、二項対立や地域エゴを蒸発させる、昇華させる、止揚させることができ、地域全体と一緒に生きる自分という発想が生まれるのだと思います。