神々と森に抱かれる聖地と戦地|世界遺産ミーソン遺跡|ホイアン Hội An【#10】ベトナム中部3都市周遊の旅
"チャンパ" の遺跡 ミーソンとは

ホイアン旧市街が有名過ぎて知名度が低いが、ミーソン遺跡も1999年に世界遺産として共に登録されている。
4~15世紀頃まで海洋貿易で栄えた古代チャム族のチャンパ王国。
フエで見た王宮などのグエン王朝の前にベトナムにあった王国ということになる。カンボジアのアンコール王朝と長年争った後、グエン王朝に吸収される形で消滅したとされている古代国家だ。
その子孫とされるチャム族は現在でもベトナムに全部で54いるとされる少数民族の中で14番目に多く18万人ほどいる。(その流れを汲んでか、今でもベトナム人には「グエンさん」という名前と共に「チャムさん」という名前も多い)
そんなチャンパ王国において、現在のホイアン辺りは経済の中心となる都市で、トゥボン川流域の上流にあたるミーソン遺跡辺りは宗教の中心の場所として栄えたそうだ。
基本的に仏教国であるベトナムにおいて、他の遺跡と違って興味深いのはその信仰がヒンドゥー教にあるという点。
当時の国王が元々あった中国文化にインド文化を色濃く取り入れ、ヒンドゥー教の神を祀るために建築したのが始まりとされているので、シヴァ派の聖域ともされている。
時の流れで中で、森に忘れられた遺跡が発見されたのは1885年のこと。
各国から支援を受けつつ、修復や保全・研究が行われているが未だに謎が多く残るままだという。
そんなミステリーも気になるが、更に興味を煽ったのは「ミーソンではベトナム戦争の爪痕を垣間見ることができる」という話。
古代ミステリーと戦争の歴史、好物しかない。
フロントで諸々と準備

中部周遊の旅も4日目。ホイアンの朝は快晴。
ゆっくり寝て、たっぷり朝食ビュッフェを食べ、いざ行かんミーソン遺跡。
まずは出発前にフロントで洗濯を頼む。
旅も中盤の折り返し。少数精鋭のバッパー旅行では洗濯は必須だ。
物価の安いベトナムでは苦労して自分で手洗いするよりもランドリーサービスを頼った方がコスパがいいというのが私の見解。料金は1㎏ごとで支払うので、2人分で2.8㎏を112,000ドン(670円)。これで夜にはちゃんと乾いて畳まれて返ってくる。運が良ければアイロンもされてくるはずだ。
さらに今日はホテルでレンタルバイクもする。
1日レンタルで17万ドン(1,000円)。これも街中のバイク屋で借りればもう少し安いだろうが、ホテルから直接乗り出して返却出来る利便性を考えるとこちらの方がお得だと思う。

バイクで走るのが楽しい

ホテルを出てまずはすぐに給油。満タンで3.5リットル入り、67,000ドン(400円)。
旧市街を離れたホイアンの市街地は静かで小さなローカルタウンで、交通量も少なく落ち着いている。
ミーソン遺跡までは約一時間ほどのドライブだ。
ダナンやホイアンからの送迎ツアーもあるが一人70~90万ドン(4,200~5,400円)ほどが相場となる。
一方私達は二人で1,400円。このお得感がたまらない。そしてなにより、こうして街の様子を眺めながらバイクで流すのが楽しい。

20分程走り、大きな川を越えた辺りで様相がローカルタウンからカントリーサイドへ一変した。
舗装はされているが車線が消え、農道のような道になる。

信号もなく、通行車もほとんどいない空に包まれた一本道。
左右に広がる畑と空地の中間をひたすらに走る。たまに牛を見ながら。

観光スポットをめぐるのも楽しいが、結局ベトナムで一番楽しいのはこうやってバイクで田舎道を走っている事かもしれない。
ハンドルを握り、全身に陽を浴びて風を感じて走っていると、すり減った心の角が埋められていくようだ。
ミーソン遺跡 Thánh địa Mỹ Sơn
到着
運転を交代しながら景色を愛でつつ、ゆっくり走って1時間半。
ミーソン遺跡に着いたのは昼少し前。
駐輪場にはちゃんと屋根もあって1台5,000ドン(30円)で停められる。

入場チケット

入場券には外国人価格があり、大人一人15万ドン(900円)。
ベトナム国民ならば10万ドン(600円)となる。

チケット売り場の横に売店や食堂などもある。
入場ゲートでチケットを見せていよいよ入場だ。

博物館

ゲートをくぐってすぐ右手にある小綺麗な建物がミーソン博物館。
なんとここは日本の支援プロジェクトを受けて建っている。

中にはチャンパ王国とミーソン遺跡についての展示がたくさんある。
日本が支援しているおかげか、日本語の記載もあって見やすい。
実物を見る前にある程度予備知識を入れておいた方が見学も興味を持って楽しめるってもんだ。先にこちらから行こう。

チャンパ王国の遺跡はベトナム中南部に点在しているが、聖地とされたミーソン遺跡が最大規模のもの。
現存するのは70ほどの建造物で、8~14世紀頃に造られたと考えられており、建築年代順にA~Hまでのグループに分けられている。
レンガと砂岩で造られた遺跡は接着剤を一切使わず、少しずつ積み上げて内部空間を作る独特の組積技術が用いられているそうだ。
積み上げられた後に施された美しい浮彫のレリーフ模様は年代で様式が異なっている。
◆6タイプの建築スタイルと主なその建造物グループ
8~9世紀古代様式(Ancient style) E・Fグループ
9~10世紀ホアライ様式(Hoa Lai)とドンジュオン様式(Dong Duong) Aグループ
10~11世紀ミーソン様式(My Son) B・Cグループ
11~12世紀ポーナガル様式(Po Nagar) Dグループ
12~14世紀ビンディン様式(Binh Dinh) Hグループ

仏教国であるベトナムにおいて、唯一のヒンドゥー教の遺跡。
見どころとなるのはインド神話に基づいたレリーフの数々となる。
日本でも有名な象の頭を持つ幸運の神ガネーシャや、吉祥天として知られる女神ラクシュミー、最も人気のある神の一柱でもある最高神の化身クリシュナなどは揃い踏み。

個人的に興味深いのは動物のモチーフが多い点だ。
元々多く出てくる猿やライオンなどに加え、チャンパ遺跡ではガゼルや鷹の装飾物も出土しているらしい。
そしてヒンドゥー教といえばシヴァ神の乗り物や化身とされている牛は外せない。ナンディーと呼ばれる白い雄牛はシヴァ神殿に寄り添う形で出土し、その頭には装飾の跡もあったらしい。

壁面に多く見られる顔型の装飾はカーラと呼ばれ、東南アジアのヒンドゥー寺院建築によく登場するモチーフの1つ。
人間と動物の特徴をミックスして造られた威嚇的な顔だけのレリーフは大きな口で全てを飲み込むという意味合いがあり、神聖な場所を悪霊などから守る為に配されるらしい。
日本で言う鬼瓦的な存在なのだな。初めて知った。

フランス統治時代である1885年に発見されてから、多くのフランス人考古学者や遺跡修復家などによって発掘調査が行われていた。チャンパに関する研究なども行われ、出版された文献などもあるようだ。
この遺跡はカンボジアのアンコール遺跡やラオスのワットプー遺跡(共に世界遺産)とあわせて、東南アジアにおいて形成された世界史の中でもユニークで複雑な歴史的・文化的プロセスを理解するための手がかりを提供してくれているとある。
そこにベトナム戦争が文字通りミサイルという名の暗い影を落とす。
1960年頃から軍事基地があった中部地方は何度も大きな爆撃を受け、遺跡でも貴重な発掘品の多くが破損したとある。
そして現在では数か国から支援や物理的援助を受け、修復・保護・観光推進事業に取り組んでいるとのことだ。
救いの神

左上が遺跡エリアとなる
30分程かけて博物館での予習を終えた。さぁ現物を見に行こうと案内図を見ると、ここから遺跡エリアまではそれなりの距離があることが分かる。

これはゆるくないハイキングになりそうだ…と気を引き締めて渡った橋の先は電動カートの停留所。ありがてぇと一安心して乗り込んだ。
遺跡エリアを往復してくれるこのカートはチケット代に含まれている。


雨降ってきたんで昼飯
遺跡エリアに着くと同時に雨が降り出した。
焦らない、焦らない。昼時の雨はすぐに止む。いっそ涼しくなっていいってなもんだ。停留所の近くにあるレストランに避難してランチタイムといこう。

通常メニューや2~3人前のセットメニューなどもあるが「EAT LIKE A PILGRIM(巡礼者)」のページから目が離せない。折角ならCham(チャム)のメニューを食べたいじゃないか。

チャム風カレーは山羊・鶏・野菜から選べるとあったので、喜び勇んで山羊を発注したら品切れだと言われてしまい、仕方なく鶏に。
食べたいのにつくづく山羊には縁がない。
味はもう普通のベトナムカレー。薄めのスープカレー。チャム感は特にない。

メニューの中で一番謎だったBanh it(Tapei Bilik)。
もち米とココナッツと緑豆の組み合わせの揚げ団子。食感はおはぎに近い。
ほのかで素朴な甘さで、チャム感がある。

遺跡エリアへ

食べている間に読み通り雨も止んだ。現在地から順路を示すように矢印が伸びているのでそれに沿って左回りに巡っていこう。
林道の様な遊歩道をむせかえる程の森の匂いの中歩く。
雨上がりで濃度を増した香り。葉に残る水滴が緑を乱反射している。
道中のK・Nと表記されていた場所では遺跡の一部しか残っていない。
土台のレンガとファサードと呼ばれる正面入り口の一部残骸のみだ。

遺跡の規模として見どころのあるものではないが、面白いのはその修復の跡にある。
像の上のアーチ状になった部分、赤茶けたレンガと灰色に朽ちてしまったレンガがある。
実は赤茶けた方が建築当時の物で、灰色の方が修復跡だという。
なぜか新しく置いたレンガだけ苔が生えて朽ちていくスピードが早く、このような逆転現象が起きるというミーソンの不思議ミステリー。

道中には織物売り場があった。民族的な文様が美しい。
店内で女性がひたすら織り続けていたが、よく見るとその手元では塩ビパイプが使われている。確かに軽いし、滑りもいいから使い易いのだろう。
雰囲気よりも実用性を重視するのがベトナムらしいな。

E・Fグループ(8~9世紀頃)
年代測定によって最も古い建造物とされたE・Fグループ。
そのほとんどはもはや残骸という程にしか残っていない。

8~12世紀の間に建てられたとされる様式の異なる様々な建物。
小高くなった上に基礎の一部が残るのみで、ほとんど修復もされていない。緑に飲み込まれかけているようだ。
何故こんなに起伏があって、その上に建物を作ったのだろうかと不自然に思いつつ歩いていると謎が解けた。

小高い所に建物を作ったのではなく、その横がえぐられたのだ。
落とされた爆弾によって。
1969年の空爆によりそのほとんどが損傷したとある。
地形の起伏が変わる程に穴だらけの一帯。その一つ一つに「BOMB CRATER」という看板が立てられている。
分かってから見渡すと背筋に冷たいものが走る。こんなに狭いエリアが穴だらけになり、建物が残骸化するほどの集中砲火。
今まで色々とベトナム戦争跡地の様な場所に見学に行ったが、そのほとんどは整地されていたので、ここまで地面の砲撃跡が残された場所は無かった。
ミーソンで見ることが出来るというベトナム戦争のリアルな爪痕。
このエリアだけでも来た甲斐があった。


エリアの中で唯一屋根を付けて保護されているのが、ミーソンで最古の祠堂とされているF1だ。現状では全く修復はされていない。
溶けて流れた様に崩れてしまったレンガだが、不思議と色は鮮やかなままで苔のひとつも生えていない。

当時の建物の様子を伺い知ることは出来ないが、このエリアは修復せずに地面もこのまま遺しておいて欲しいと思う。

Gグループ(12世紀以降)

小高い丘の上にあるGグループは祠堂のまわりに建物を守る様々な動物や人の神の像があるのが面白い。


Aグループ(9~10世紀頃)

東南アジアの最高傑作と呼ばれた高さ28mもの巨大な寺院があったここも戦争によって壊滅的な被害を受けた場所だ。現在は少し修復が進んでいる。

今までで一番形がしっかりいる建物は階段を上って中に入る事が出来る。
中から見ると間口の向こうに広がるのは森だけ。
ミーソンはベトナム語でMỹ Sơn「美しい山」という意味で、山に囲まれた聖域。当時の人達は頂上が尖った形の猫の歯の山(núi Răng Mèo)を目印に遠くからもこの地を崇めていたという。

この地に広がる聖なる領域は祠堂を中心とする人々の信仰心が築いたものなのか、もともとあった聖山の力をもらい受けたものなのか。
そんなことを考えながら当時の人と同じ高さに立って森を見ていると、先程から足にまとわりつくように飛んでいる大きな蝶が王族で、そのまわりに無数に飛び交っているトンボは市民の生まれ変わりのような気がしてきた。さすがに影響されやす過ぎる発想に、我ながら苦笑してしまう。

もはやカーラを探すのが楽しい
B・C・Dグループ(10~12世紀頃)

最も保存状態が良く、多くの建造物が残るグループで一番の見どころと言える。ここに来ている人は他の場所をとばしてもここには必ず来るのだな、と分かるほどにたくさんの観光客がいる。

苔むしただけでなく、レンガの隙間から生える草花がもう完全に天空の城ラピュタしている。

シヴァ神を祀る寺院や巡礼者が供え物を準備するために使用していたとされる建物などがほぼほぼ当時の規模で残っている。
朽ちてしまっている部分も多いが、よく見るとたくさんのレリーフで埋め尽くされているのが分かる。

見ていると人型の像は頭部の無いものが多い。構造上、首の部分で折れやすいからなのか、意図的に破壊されたものなのか。
タイのアユタヤでも頭部が破壊された仏像が多かったことを思い出す。あちらはビルマ軍の進行を受けた際に金箔などの装飾品を奪うために破壊され持ち去られたと聞いたが、ここでも同じことがあったのだろうか。

塔の中には展示室になっている場所もある。中には発掘品が無造作に並べられ、特に解説なども無い。
恐らくはシヴァ神のレリーフだろうが、ガイドを頼めばこうゆう物も解説してもらえるのかもしれない。
ヨニとリンガ

遺跡の中でちょいちょい目にするこの祭壇のようなもの。
下の台座部分が女性器を象徴した「ヨニ」。
上の臼のような大きな石が男性生殖器をかたどった「リンガ」。
この2つはヒンドゥー教における子孫繁栄のモチーフであり、重要なシンボルとされている。特にリンガはシヴァ神の象徴ともされているので、これ自体が信仰の対象でもあるらしい。
本来は2つセットで置かれるものだが、ここでは別々に飾られている場合もあるところが研究者的には面白いらしい。
Hエリア(14世紀頃)

最後に立ち寄ったHグループもそのほとんどが破壊され、残っているのは本堂とされたH1の壁のみ。13世紀後半の建築的特徴があると確認されており、ミーソンの中では終盤に作成された物だと考えられている。

こちらには真新しい修復跡が見て取れた。朽ちかけたレンガを取り囲むように置かれた真新しいレンガ。現状のままで保存するべきなのか、当時の様子を再現するべきなのか、意見の分かれる問題だ。
個人的には新しいレンガに何も萌える所は無いのでほぼ素通りとなった。
万人受けはしないかもしれないが

遺跡として形を保っているB・C・Dグループ以外では修復作業も進んでおらず、長年作業が中断しているのだろうなと思う部分も多い。
雑然と放置された遺跡はそのほとんどが今にも崩れそうなレンガの山だ。
もはや形を失い、草に埋もれてしまってもいる。
発掘や研究が進まない為に多く残るチャンパ王国の謎。
風化して崩れかけ、森に飲み込まれそうな遺跡たちはその謎もそのまま森に持って行ってしまいそうだ。
その様子をラピュタ的な美しさとして楽しめるのはいいかもしれない。
ただ同じ世界遺産でもやはりアンコールワットなどに比べると格段に劣ることも事実だ。規模も段違いに小さいので「アンコールのトイレでしかない」などと不名誉に揶揄されることもある。
だが視点を変えて見ると整備された遺跡には無いものを見ることが出来る。
世界遺産に認定されるほどの偉大な歴史的遺産なのに適切な保存や修復がなされてこなかったベトナムという国ならではの歴史と背景。
生々しく残る苛烈なベトナム戦争の痕跡。
1,000年以上もの間、人々の信仰心を集めた地でそのまま眠り続けているかのような聖域。
建造物の壮大さを楽しむだけでなく聖地として、また戦地としての歴史に思いを馳せると充分楽しめる世界遺産だと言えると思う。

帰り道
ゆっくり歩いて2時間ほどで見学を終えた。
いつもの有名観光地とは一味違う余韻を抱えながらバイクで市街に戻る。

そんな道中を横切る牛たち。
道路は牛が最優先で、皆クラクションを鳴らして急かす様なことはせず、ただひたすら牛たちのペースを見守って待つ。ヒンドゥー教の教えを守っている訳ではないが、私達もそれに倣う。
今まさにシヴァ神の聖域に行ってきたところだ。神獣に見送られているようでありがたい。
チャンパ王国にとって川は重要なポイントで、いずれの遺跡もほぼ川沿いに建っていたらしい。そんなトゥボン川に沿って、チャンパの宗教の中心から経済の中心であるホイアンへ。
吹く風に、古のロマンを感じながらの帰り道。
さぁ、今日も夜は旧市街を練り歩こう。
なんだかとてもベトナムローカルな飯が食いたい気分だ。

