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このままの自分を諦めたくない。不器用な私が、言葉で世界とつながるまで|自己紹介

こんにちは。かがりです。

立ち寄って下さり、ありがとうございます。

今日はあらためて、自己紹介と私がなぜnoteを書いているのかについて、過去を振り返りながら書いてみたいと思います。


還暦を数年後に控えた今、ふと胸の奥をかすめるのは「私の人生、このまま静かに終わっていくのかな」という焦燥感でした。

大きな病気や劇的な挫折があったわけではありません。家族は健康で、娘は自分から勉強するような素直な子に育ってくれた。客観的に見れば十分に恵まれた平穏な暮らしです。

けれど、同年代の女性が何かを極め、熱中し、世の中に貢献している姿を見るたびに胸の奥がざわつくのです。

「私にも、もっと自分の力を出し切れる場所があるんじゃないか」と。

このまま自分を諦めたくない

完全在宅ワークや親の介護という、ある意味閉じた、逃げ場のない日常にうもれていても、自分の言葉を発することで、世界のどこかの誰かとつながることができるんじゃないか。

笹舟を小川にそっと浮かべるように、これまで手帳やノートに手書きでつづってきた心の声をそっと外の世界に置いてみる。noteというおだやかな流れにゆだねて世界のどこかを旅していくことができたら。

そんな小さな衝動から、私はnoteを開きました。




自分の思いを出せない家庭環境や、理不尽な光景に傷つきながら、

子どもの頃からずっと、人との距離感のとり方がわからず悩んできました。

相手の懐にどこまで入っていいのか、踏み込んではいけないのか。
どうして私には友だちができないんだろう。

環境が変わる度に今度こそはと誓うものの、周囲で自然とつくられていく新しいつながりに入ることができず、落ち込む日々。

少なからず、子どもの頃の家庭環境が関係していたかもしれません。

母は家族で歩く時にも一歩下がっているような、遠慮がちで控えめな性格でした。今日学校でどうだった?と聞いてくることもなく、私が話をしてもただ微笑んでいるだけ。

今となっては母なりの愛情表現だったとは思います。ただ当時は、子ども心に自分のことをちゃんと見てくれていないのではないかと不安に駆られることもありました。

社会の最小単位である家庭という場で、お互いの気持ちや考えを言葉で伝え合う機会が少なく、自分の思いを外に出す体験ができずにいたのです。

今でも鮮明に覚えている光景があります。

小学生の頃、専業主婦だった母に向かって父が言い放った「働かなくていいんだから、充分に幸せだろう」という言葉。そう言われた母はうつむき、まったく幸せそうには見えませんでした。

人を肩書で判断し、他人の気持ちを勝手に決めつける言動が多かった父への強い嫌悪感。そして何も言い返さない母。日曜夜に見ていたサザエさん一家の団らんなんて想像すらできませんでした。

大人になると今度は、まじめすぎる性格がゆえに理不尽さを感じることも多くありました。

会社員時代、長年、システム開発・サポートに従事していました。外見のパフォーマンスや要領の良さばかりが評価され、陰で愚直にシステムを支えたり、現場の調整に奮闘したりする努力が正当に評価されなかったこと。

仕事、介護、家事と人のために自分の時間と労力を切り売りしているうちに、気づけば自分のための時間は消えてしまう。人に迷惑をかけてはいけないと助けを求めることができず、感情を封じ込めてしまっていたこと。

こうした立場が弱い人や、真面目に生きている人の気持ちが理不尽に無視されたり踏みにじられたりする瞬間を、誰よりも敏感に感じ取ってきました。


言葉にならない感情をノートに書きつづることで救われてきました。


この状況は何かおかしい、何かが間違っている気がする。でも、こんなことを人に相談して変な人って思われるのも嫌だし、嫌われてしまうはもっと怖い。

そんなとき、そばにあったのはその理不尽さや感情のうねりを何も言わずに受け止めてくれたノートでした。誰に見せることもない、ありのままの心の声を文字にして残していく。

言葉にならない感情をありのまま、紙に書きつづることで私は救われてきました。

ペンが進むうちにふと違う視点が浮かんだり、どこかの誰かの何気ないひと言にヒントをもらえたりすることもありました。

今、いくつものトンネルを通り抜けて、こう考えています。

幼い頃のあの、父母のやりとりがあった。

だからこそ、立場や肩書に関係なく「相手の尊厳を守る」ことを大切にし、


その人の感情や生き方を勝手に決めつけない。それはどれほど身近な家族であっても同じこと。

相手には相手の心があり、守られるべき領域があるはず。踏み込みすぎず、お互いの尊厳を守り、対等に尊重し合うためのやさしさ。そこに介在する言葉という自己表現。

そしてもう一つ大切にしているのが、自分の心の声を拾い上げてまっすぐ向き合うこと。

理想を追うのではなく「今この瞬間」を愛おしんで生きようと決めました。


友だちがいないという孤独感を断ち切ってくれたバレーボールとの出会い。コートの中では誰もが必要不可欠な存在になり、同じ志をもって一つのボールをつなぎ合う仲間の存在。

七十歳まで現役でバレーボールのコートに立ち続けたいという情熱を持ちつつ、ノートやnoteで内面からあふれ出る言葉に向き合いながら、心の中を一つひとつゆっくりと整理していきたい。

家族ケアで会社を退職後、いくつもの学びで自分の世界を広げようとした。そうすることが正解だし、しあわせにつながると思っていたから。

でも、自分探しをすればするほど自分のことがわからなくなっていくし、しあわせを追い求めるほど、理想と現実のギャップに苦しんでしまう。

ならば今この瞬間を精一杯生きようよ。

私の根っこはここにあります。

不器用な自分も受け入れ、自分の足で一歩ずつ進んでいくことを愛おしむように。


これから、このnoteで書いていきたいこと

不器用な私たちが心地よく生きていくためのヒント

・何気ない日常の中で見つけた気づきと新たな視点
・人との距離に迷ったとき、自分も相手も大切にするために考えていること
・家族や介護の中で、自分まで失わないための境界線
・手帳ノートやnoteで、自分の心の声を拾うこと
・50代から、自分の人生をもう一度自分の足で歩くこと


絶望のどん底からの生還劇や、劇的な成功体験は私にはありません。

心の中のどこかでくすぶり続ける不完全燃焼な気持ちや、家族を優先して自分を後回しにしてきたことで失ってしまった感情、人との距離感への戸惑い。そういった日常の静かな葛藤に寄り添う言葉を紡いでいきます。

私自身、自分の足で立つことや人間関係の不器用さに悩み続けてきたからこそ、自分も相手も大切にしながら関わるためのヒントをこれからも探していきたいと思っています。


最後に


苦しい胸の内を言葉に出して誰かに助けを求めることができず、ノートにだけ本音を打ち明けていたあの頃の私に、いま届けたい言葉があります。

「大丈夫、あなたの感情や尊厳は、誰も踏みにじることはできないんだよ」と。

そしてその言葉は、いまこの画面の向こうで、声にならない葛藤を抱えているあなたへ届けたいメッセージでもあります。

人と比べる必要はありません。正解探しをする必要もありません。

立派な目標がなくても、先が見えなくて立ち止まっていても、今この瞬間、こうして文字を読み進み、何かを感じとって生きている、あなたという存在がいてくれる。

ぜひ、今の思いを何らかの方法で残してみてください。

私の場合は文字でした。

あなたにとってそれは絵かもしれないし、色や音声かもしれません。

そんな無数の点のあつまりが、あとから線になってつながり、意味を持つことに気づく瞬間がきっとあると思うから。

この場所が、あなたにとって自分の心を静かに取り戻せる、ちいさな居場所となればうれしいです。

あなたの今日という日が、おだやかでやさしい時間になりますように。





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