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まさかカップラーメンを食べる時間が贅沢になろうとは。



手すりに掴まって、左足から湯の中へ。
左足から右足、しゃがんで太腿、足を伸ばして肩まで湯に浸かる。
湯に浸かった部分から鳥肌が立つように気持ちの良い感覚が、上へ上へと昇る。
そのまま気持ちの良い感覚が、口から漏れ出ていくようだ。
書いていてイカガワシイ雰囲気たっぷりになってしまったが、別に助平な話をしているわけではない。

数年ぶりに、銭湯へ来た。

元々銭湯が大好きで、友人と1日中過ごしたり、仕事終わりの夜に1人でフラッと行ったりしていた。
ご飯も美味しいところだとなおよし。しっかり食事も摂っていくスタイルだった。


次女が生まれてから久方ぶりの長い1人時間。
「絶対銭湯行くぅぅっ!!」と鼻息荒く夫に宣言していた。

内湯、ジャグジー(肌がどちゃくそ痒くなるので長居はできない)、寝湯、露天風呂…。サウナ以外、風呂はひと通り入る。10時開店直後のこの時間は朝風呂のお婆ちゃんと、夜勤明けと思われる妙齢の女性がポツリポツリ。
ちょっと寒い日だったので、露天風呂の気持ちいいことといったら…。そのままウツラウツラとうたた寝してしまうレベルだった。

そろそろ出るか、と思った時に1人のご婦人に声をかけられた。最近東京からこちらに越してきたというご婦人。
「ここは、駅近くでも本当に何もない!!一体何をすればいいのか…。」と嘆いていた。東京だと、駅を降りれば何もないと言っても大抵チェーン店くらいならあったそうだ。
自分はこの地域を、田舎の中では都会な方だと認識していた。しかし東京から来た人に言わせればすべからくクソ田舎らしい(笑)私は井の中の蛙だったってわけ。
車がないと生活できないしな…。
「イオンありますし…。」というとご婦人は「?」マークを浮かべていた。
そうか、イオンって田舎の象徴か(笑)この辺だと遊ぶところというとイオンなんだけどな…。
ちなみにだが、ご婦人の会話パターンは2タイプ存在すると思っている(私調べ)。マラソンを一緒に走っているとしよう。1つ目は、マラソンしつつ相手のスピードにも時折合わせて併走してくれるタイプ。2つ目は、自分の全力疾走でマラソンを駆け抜けるタイプだ。今日のご婦人は全力疾走タイプであった。このタイプは話の区切り隙の糸が全く見えないのである…。
ご婦人の話題が世界情勢に変わってきた頃、入浴開始から1時間半が経過していた。

ご婦人に別れを告げ、いそいそと着替えて食堂へ。
ここにきた狙いはもう1つ。


ご飯が美味しいのだ



選んだのは、今日のおすすめ定食。
サラダと唐揚げ、小魚の南蛮漬けと冷ややっこ、中華風スープに十六穀米(ここ重要)と大抵の女性はココロオドルラインナップではないだろうか。

ひと口熱々の汁物を飲むと、喉元から全身に鳥肌が立つようにあったかさが波及していく。「かぁーっ!沁みる!」とはこのことであろう。
唐揚げを食べると、歯に抵抗感を感じることなくじゅわりと肉が切れる。何でこんなにも柔らかいんだろう?
ここはハーブを売りにしている銭湯。様々なハーブのシーズニングも試してみる。
これはピリッと辛くてパンチがある。
これは最後の方に甘味がある。
これはハーブの香りが最後まで立っていて、スタンダードな感じ。
唐揚げにつけるだけでは飽き足らず、最後は直接舐めて味わう始末(まあ嫌だ、はしたないわ)。

そして何が普段と1番違うか。今日は当たり前のように私の膝の上に乗って食事を摂る子どもはいない。自分のペースで食べていいし、誰かの食事の進み具合をチェックしたり、口にスプーンを入れる手伝いもしなくていい。まだ熱々の汁物を飲める。味わってものを食べられる。

最高だ…。


数年前までこんな食事がすごく贅沢であることに気づかなかった。




まだ独身で彼氏もいない頃、自分史上最高のひとりご飯をしたことがある。それは誕生日に1人東京観光を決行したときの出来事である。振り返ると、自分の誕生日に旅行というだけでも若い、青くて若々しい!!と思う。
そんな旅行の目的は、ゲームの聖地巡礼と漫画に出てくる実店舗の巡礼である。いかんせん、東京にはモデル地が多すぎる。関東住みが羨ましいぜ。

昼食は、憧れの回らない寿司屋で赤シャリの寿司を食べる。
ものすごくおいしかった記憶があるが、詳細には思い出せないくらい朧気だ。
それはなぜか?
お会計をするカップルを見て、急に1人高級寿司が恥ずかしくなったからだ。そう、この手の場所では当たり前のように彼氏が全額払っていた。こういった素敵な場所では女性は奢られるものだと気づいていなかったのだ。
今でも、自分の金でうまい寿司を食べたという行為に後悔はない。ただあの場にいた客たちに「ソロで高級寿司食べに来た寂しい女」なーんて見られていると思うと恥ずかしくて恥ずかしくて、その記憶ばかりが鮮烈で味の印象がだいぶん薄くなってしまった。今考えれば、体面なんか気にせずにもっと味わえばよかったと後悔している。あんなにも贅沢なひとりご飯、今後はもうないと思う。




そして子どもがいる今、1人で食べられる時間ならどんな食事も贅沢に変わった。
銭湯で体が温まったのちの、出来立て定食。
ラーメン屋で食べる、アツアツのラーメン。
チェーン店で食べる牛丼(生卵in)。
冷めることなく飲み切れるコーヒー。
自宅で食べる、伸びていないカップラーメン。

普段の食事は、最後まで味わえることは少ない。常に何かを気にしながらモノを口に入れる「栄養摂取という作業」である。

ひとりご飯の時間。それは様々な感覚が鋭敏になることで「食べる」という1点の作業に集中できる気がしている。
子どもがいる方だとわかると思うのだが、子どもと生活していると様々な感覚を四方八方に飛ばして注意をはらい続けている。自分の感覚を「1枚の布」のように薄ーく広げて伸ばすことでアンテナを張ってるような感じ。常に軽い緊張感のもとで生活をしているのだ。
子どもがいない方だと、ご飯を食べながらテレビを見て、スマホも触って、ラジオも聴いてる。そんな感じを想像してもらえるといいと思う。そんな状態では「味わって食べる」感覚が薄くなってしまう。
1人で何かに集中するとき。それは1本の「針」のように感覚が集約して研ぎ澄まされたイメージだ。
食べるときであれば、温度や匂い、味の移り変わりや歯ざわりなど。感覚を集約することで、「味わう」という娯楽を五感全てを使って堪能できる

子どもができる前は当たり前すぎて気づかなかった。
これってすごく贅沢な時間なんだ。

1人時間というのは、自分の感覚を再び1本の「針」に集約するための時間なのかもしれない。

それが食事なのか、TV鑑賞なのか、読書なのか、ショッピングなのか。どんな作業でも自分が楽しく過ごせればそれでいいけど、私は食事が1番五感をフルに使えるので好きなんだと思う。

これって感覚のリセットであり、心の栄養であり…。生きる上でとても大切なことだと思う。
しばらくリセットできないと、私は広げた布が「ぼやぁ~ん」とたわんできて、頭に霧がかかったようになってしまう。要するに、思考の深さが水たまりレベルになってしまうのだ。

子どもがいるとついつい忘れてしまいがちな「針」の感覚。この感覚を取り戻した時初めて「自分」というものを再認識できる気がしている。


今なら1人高級寿司が恥ずかしくなっていた過去の私に、こう物申せる。



他人の目線気にしてる暇あるならもっと目の前の寿司を味わえよ!
そのうちカップラーメンすら贅沢になるぜ!




※掲載写真は飲食店からの許可を得ています

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