🔶【7話】天上の楽園・ローマの休日のように(サチ)
ワインかぶっちゃったのなんて、そんな気にしなくてもいいのに。
桂木ユウタは、バサバサとクローゼットから服を引っ張り出している。
「ごめんね。その服クリーニングに出して、後日届けるから」
「もう気にしないでください。安物ですから、ホント……あの、いいんですか? 彼女さんに怒られちゃいません?」
彼は、この別荘の前の持ち主が置いていったものだと答えた。ファッションデザイナーだったのだという。
そうなんだ。彼女の服なのかと思った。
それにしても、海外向けのサンプル品なのだろうか。どれもすごくサイズが大きい。でも、高級ブランドなんだろうな。シックだけれど、どれも仕立ての良さをうかがわせる。
その中に、ぽつりと何の変哲もないブルーのカットソーがあった。
あ、サイズも合いそうだ。
「ちょっと後ろを向いていてもらえますか?」
そう言うと、桂木さんは「着替えるなら、隣の部屋に行くから」と言い出した。こんなの、三十秒あれば着替えられる。裸になるわけでもない。ランニングも着ているし、気を使わなくていいですよ。
Tシャツに袖を通すと、色々なスタイルのウィッグが目に止まる。
仮装パーティみたい。
仮装……その単語にひらめきを感じた。
そういえばさっき、桂木ユウタは言った。
“街なんて普通に歩いたら、身ぐるみ剥がされちゃうんだ”
あ、いいかも。
仮装……絶対みんなにバレないくらいに……。
「付き合ってください」
突然、彼が真剣な眼差しであたしにそう言った。
「……俺と」
そんな頼み込まなくたって、今日はとことん付き合っちゃいますよ。
「いいですよ」
美味しいランチのお礼に、すっごいアイディアを提供しよう。
あ、岡部さんにはやっぱり内緒だよね。
なんだかワクワクしてきたっ。
この感覚。
あっちの世界に一歩踏み込んだ高揚感。
とりあえず、桂木さんに似合う服やウィッグを探してみよう。
あ、これいいかも。
いくつかピックアップしていく。
ショートボブがイケてる。
桂木さんも最初はポカンとしていたけれど、どうやら覚悟を決めたらしい。
作戦コード『ローマの休日ごっこ』
オードリー・ヘプバーンのように、いつもと違う自分で冒険しちゃうのだ。
一通り着替えた彼をマジマジと眺める。
綺麗な顔立ちだから、そんなにおかしくはないと思う。
女装って言ってもパンツルックだし。
あ、でもやっぱりアレがないと。
まだ開けていない引き出しをごそごそと探る。
小物が色々出てきた。
スカーフ、ベルト、ストッキング……どれも丁寧にビニールにしまわれている。
あ、なにこれ。
プロ御用達の化粧箱一式。
良かった。
あたしの化粧ポーチの中身じゃ地味過ぎるもの。
あ、色付きカラーコンタクトだって。
知ってる知ってる。
シベリアンハスキーみたいな瞳になっちゃうヤツ。
すごいすごい。
大人のおもちゃ箱だ。
あ、まずはこれを付けてもらおう。
贅沢なレースをあしらったブラジャー。
さっきのスカーフを詰めれば、セクシーなおっぱいが出来上がるに違いない。
あたしは張り切って振り返ると言った。
ショータイムだ。
「やるからには、とことんやりましょう」
だけど……まさかね。
いや、ほどほどの感じにはなるだろうなぁ、とは思っていた。
お肌も綺麗だし、髭も薄いし。
だけど、丁寧にファンデーションを塗って、マスカラを伸ばし、口紅を乗せたら、ものすごいベッピンさんが出来上がった。
黒髪のショートボブ、琥珀色の肌、ローズレッドの唇、そしてブルーアイズ。
カラーコンタクトはどうかな、と思ったけれど、日本女性にしては背が高すぎるといった最後の違和感を取り除く効果を発揮してくれた。
スーパーモデルの出来上がりだ。
男をうかがわせる体の筋肉は、仕立ての良い服の生地がふわりとカバーしてくれている。
出来上がりのあまりのゴージャスさに言葉もない。
「完璧ですね」
そう語り掛けるあたしに、鏡を眺めていた彼の視線が流れてきた。
どきん。
もともと濃い睫毛にマスカラが重なって……その目元、すっごく色っぽいんですけど。
やっぱり役者さんなんだな。
立ち振るまいが既に違う気がする。
これならバレるはずがない。
難があるといえば、上出来過ぎてオードリー・ヘプバーン並みに目立ってしまうという事くらいだろうか。
「じゃあ、行きましょうか」
「何処へ?」
一瞬、不安そうに彼の瞳が揺れた。
「桂木さんのご希望の場所に何処へでも。普段出来ないこと、沢山しましょう」
自分の車ではまずいからと、桂木さんはタクシーを使った。
彼があたしに耳打ちしてくる。
そうだ、声を出したら運転手さんに男だってばれちゃうものね。
彼が告げた行き先に、あたしもちょっとワクワクを抑え切れない。
大人も子供も大好きな遊園地の定番。
「ヘブンランドまで」
靴だけは桂木さんの自前だ。
黒で細身のデザインだったので、それを履いている。
良かった。
慣れない靴だったら、パークを歩き回るのはちょっときついもの。
「小学生の頃からレッスンに忙しくて、遊園地なんてホントに小さい頃行ったきりで全く記憶にないんだよね」
「小学生の頃から? 下積みってやつですか。一見華やかでも、やっぱり芸の道は厳しいんですね」
何、どうしたの。
桂木さんの肩が、笑いを堪えるようにふるふる震えている。
あたし、変な事何も言ってないよねぇ。
彼は笑い上戸みたいだ。
だって全然普通の会話をしているのに、よくこんな風に笑い出す。
岡部さんとのバトルといい、この人って結構子供みたい。
彼のご希望だって……。
誰だってワクワクが抑えられない、皆が童心に返る夢の楽園。
「俺、アトラクションとか何が何処にあるか全然わかんないから、サチさんにまかせてもいいかな?」
きょろきょろ。
何もかもが珍しそうに、桂木さんの視線は寄り道ばかりだ。
ほら、迷子になりますよ。
彼の手を引いて歩く。
アラブの海賊、ビッグストームマウンテン、ホラーマンション。
平日のせいか並びも少ない。
あ、前の人も後ろのカップルも、チラチラと桂木さんを見ている。
ちょっと緊張が走る。
ちらちらと注がれる視線はどれも感嘆の溜め息を含んでいる。
ただひとつの疑問符は、隣にいるちぐはぐな女は何? といったところだろうか。
だって、桂木さん本当によそ見が多くて、手を引いていないとすぐ見失っちゃいそうなんだもの。
「……っねぇ、いや、ハーフなんじゃない?」
こんなひそひそ話が聞こえてきた。
でも、桂木ユウタとハーフって全然結び付かない。
作戦の成功に祝杯をあげなくては。
いくつかのアトラクションを乗りこなすと、少し日が暮れてきた。
ちらちらと灯りはじめた街灯が、夢の国に夜の魔法を唱え始める。
パララピカピカブー!
キラキラ城が眺められるオープンカフェに腰をおろす。
「こういうのって休みって感じだよね」
彼はそう言うと、寛いだ様子で椅子にもたれた。
「桂木さんのお休みってやっぱり週一日くらいしかないんですか?」
「決まってないんだよね。こんな一日オフなのは三ヶ月ぶりくらい」
「ええっ、そんなに?」
「サチさんのお休みはいつなの?」
「いや、あたしなんて毎日休みみたいなものですよ」
「へぇ、いいね」
「締切前には、慌てて数日徹夜したりする事もありますけど。あ、最近仕事の依頼増えたんですよ。桂木さんの本のおかげで名前が売れたみたい」
良かったね。
声には出さないけれど、そんな気持ちが伝わってくる眼差しを向けられる。
「あっ〜あ」
びくりっ。
あたしのすっとんきょうな声に、桂木さんの体が小さく跳ね上がる。
「また忘れるところだった〜」
ごそごそと、トートバッグから本を取り出す。
「プライベートなお時間にすみません。あの、サイン頂けますか?」
「あ、いや、いいよ。でもサチさんがサインなんて……光栄だな」
桂木さんは、さらさらと表紙の裏に慣れた仕草でペンを走らせている。
「あの、ナオちゃんへって名前も入れてもらっていいですか?」
ぴたり。
流暢に本の上で文字を綴っていた指先が止まった。
「あ、ナオはカタカナでいいですから。今日、桂木さんに会えて良かったです。パーティの時はサイン頼まれていたの、すっかり忘れちゃって。その子、すごいガッカリさせちゃったから」
ふっと園内のライトが暗くなった。
あれ、もうそんな時間?
夜のパレードが始まる。
「桂木さん、行きましょう。とっておきの場所があるんです」
あたふたと本を抱えて、桂木さんはあたしに引きずられるように立ち上がった。
「何? どうしたの?」
状況の変化が飲み込めないようだ。
ぐるっと大回りをして、あまり人気のない垣根の前に腰かけた。
「すぐ近くじゃないですけど、ここからだと、ほら光の列が綺麗に見えるでしょう」
人々の高揚したざわめきが周囲を包む。
ほら、そこまで来たよ。
先頭は青と銀色のまばゆい光の渦。
羽を持つ妖精エメラルドフェアリー。
すごい綺麗。
お馴染みのヘブンソングにのって、繰り広げられる光のパレード。次から次へと移りゆく電飾の華やかさに、視線は釘付けになる。
皆がパレードに夢中になっている今が穴場だと、アトラクションに走る修学旅行の生徒が数人目の前を横切っていく。
学生服を少し着崩した今どきの男子生徒が、じゃれ合いながら笑っている。
ふと昼間、足の引っ掛け合いをしていた、いい年をした男二人の光景を思い出す。
いいコンビだわ。
今の桂木ユウタを見たら、岡部さんは見抜けるのだろうか。
「岡部さん、今日の桂木さんを見たら驚くでしょうね」
隣に視線を移すと、電飾に照らされた横顔が見える。
あたしの声、届かなかったかな?
桂木ユウタは真っすぐ前を見据えたままだ。
そうだよね。
こんなパレードを初めて見たら、夢中になるってものだ。
おしゃべりは止めよう。
あたしも再び目の前のショーを眺めた。
「……さんは……なの?」
えっ?
声のした方に顔を向けると、いつの間にか桂木ユウタがこちらを見ていた。
ヘイボーヘイポー!
十人の小人の陽気な掛け声に、彼の言葉が聞き取れなかった。
だから、その唇に耳を寄せてみる。
彼はゆっくりと、ひとつひとつの言葉であたしの鼓膜を震わせていった。
「サチさん、俺には興味……感じてくれない……の?」
聞こえた。
うん、ちゃんと聞こえたよ。
でも、意味がよく……。
“サチさん、俺には興味感じてくれないの?”
キョウミ?
一瞬流れた風にショートボブの髪が揺れて、あたしの頬をくすぐる。
そんな距離。
彼の指が頬に触れる感触。
視界に映るのは、様々に色彩を変えながら反射する光の名残。
さっきまで響いていた軽快なパレードの音楽が、やたら遠くに感じる。
流れる時間が急にスローに落とされる感覚。
ふわり。
重ねられた唇が彼の体温を伝えてきた。
🍀スキやコメントいただけたら連載の励みに致します。 お気軽にご感想などお待ちしております。
