【エッセイ】市場に魂を売る日。
僕は、人に媚びるのが嫌いだ。
昔、仕事で提案用の資料を作っている時、自己評価で「良い」と思うものを主観込みで作った。評価されなかった。逆に、相手目線に立ち、必要な情報のみを入れた資料を作った際、すんなり評価された。クライアントの喜んだ顔を見た時、僕はこの人に媚びた気持ちになった。
いや、正確にはこれは「媚び」ではないとわかっている。むしろ、仕事にしろ小説にしろ、読者目線で書く・作るというのは最も大事なことだ。小説の場合、自分の作品を「好きだ」とか「これは俺らしい」と評価できないと、段々書いている意味がわからなくなってくる。
でも、小説でも何でも、仕事では自分の好みよりも相手の需要の方が優先される。必要なのは「誰かが求めていること」、要は需要があること。
自分が「好きだ」と思える作品が、他人の「好き」に繋がるかはわからない。評価をするのは常に市場、読者である。でも、自分の「好き」も貫き通したい。
結局、どれだけ小説の技術が優れていても、最後に残るのは「好きor嫌い」「面白いor面白くない」という非常に主観的な評価のみ。
小説において客観的に事実を述べられるのは、文章技術が最低限あるとか、Show,don’t tellみたいな基本原則に則っているかなどだけだろう。いや、それすらも好みの問題かもしれない。
じゃあ、結局、自分の好きなものを書いて、他人に評価されたらラッキー程度の感覚でいればいいのだろうか。
バッターボックスに立ち、自分が「打てる」と思った球だけ打つようなものだから、それでもいいのかもしれない。でもそれは、他人から見たら、「なんで今の球振ったの?」と思われるかもしれない。主観と客観は常に異なる。
主観を客観に寄せようとする時、必ず自分のエゴを折らなければいけない場面が出てくる。いや、その場面を何度も上手く乗り越えるのが「商業作家」だろう。でもそれは、市場に魂を売るようなことかもしれない。でも、そうしないと「売れる作品」を作ることはできないかもしれない。
あぁ、結局、芸術を「金」に変換しようとして、他人からの評価や賞賛を期待するからいけないんだ。楽しいだけで良かった。でも、続けていくには「お金」が必要だ。
世の中で自分の「好み」を叶える時、常に自分の何かを犠牲にしなければいけないのかもしれない。
P.S.
メンバーシップ開設させていただきました。
興味を持っていただけましたら、ぜひ一度下記をご確認ください。
