【掌編小説】私の話を聞いて。
「顔色、悪いけど」
「あぁ、そうかもね」
私はスマホをポケットから取り出し、カメラを起動して自分の顔色を確認した。画面の中に、オフィスにいる私以外の人たちの顔も映っている。
「なんかあったの?」
「いや、特に」
私はスマホをポケットにしまい直した。
「そう、大丈夫ならいいや。今日も頑張ろう」
「うん、ありがとう」
朝一のオフィス。今、私たちが交わしたようなどうでもいい内容の会話が、そこかしこで行われている。私は椅子に深くもたれかかり、目を瞑った。
「昨日、彼にドタキャンされたんですよー」
「え、また?」
「はい。いい加減冷めますよねー」
「それはそうなるよ」
「でも好きなんですよー」
頭の中にいくつもの言葉が浮かび、出口のないまま脳内を泳いでいる。それらは一列に並ぶことも、外へ吐き出されることもない。ただ、体積だけが増えていく。
「そうかもね」「いや、特に」「大丈夫」「何もないから」
私の脳からは、決まった言葉だけが排出されていく。私も他人も、誰も傷つけない言葉。そんな言葉が猛スピードで生成され、すぐに消費されて、また生成される。それは、オフィスの片隅で誰も読まないフリーペーパーが、ただ機械的に刷り上がっては古紙回収の箱へスライドしていく速度に似ていた。
「本当はね、」
この言葉の破片は、もう私の頭の底にどれほど溜まっているだろう。一つに触れると、次々と言葉が繋がって文章が出来上がる。それが喉元までせり上がり、最後は唾液と一緒に胃の腑へと飲み込まれていく。
ツン、と私の身体に針でも刺せば、次々と言葉が溢れ出てくるかもしれない。そうなったら、私は誰かに嫌われる。いや、それでもいいから、誰か私を刺してくれ。
「ねぇ、さっきの話だけど、本当はね、」
私は隣に座っている彼女の顔を見つめた。
「ん? あ、A社の会議、もう始まるって。行こ!」
彼女が軽い足取りで会議室に向かっていく。私はその背中が、白いドアの向こうに消えるまでただ見つめていた。
私はデスクの上にあるホッチキスに左手の指を二本入れて、右手で二本の指を固定しようとした。
手は震えていた。だが、頭の中で暴れていた言葉たちは、一瞬で底に沈んで動かなくなった。
