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日露戊争は総力戊か 千葉 功

 日露戊争に関する孊術研究は、幎代埌半に日露戊争垝囜䞻矩戊争であるず決着したしたが、幎以䞊経お、あの戊争は「総力戊」か、たた「第零次䞖界倧戊」なのかが問われたした。
 この぀の問題提起に察する盎接の応答にはなっおいないず、『日露戊争』日本歎史叢曞の著者、千葉功先生は「あずがき」の䞭で曞かれおいたすが、その理由に぀いお、倧江志乃倫しのぶ氏はじめ日本における研究の流れなどを螏たえながら、解説されおいたす。

 このたび日本歎史孊䌚線集の日本歎史叢曞ずしお刊行した『日露戊争』のあずがきでは、拙著は玄二〇幎前の二぀の問題提起に察する遅れおの「宿題」提出にあたるず曞いた。さらに、問題提起に察する盎接の応答にはなっおいないずも曞いたが、正盎にいうず応答できなかったのである。その蚀い蚳を以䞋しおいきたい。

 玄二〇幎前の問題提起は、それぞれ別方向から投げかけられたものであった。

 䞀぀は「囜民囜家論」を牜匕した西川長倫氏によるもので、日露戊争は「総力戊」に倀する「囜民戊争」ずしたうえで、埓来の囜民囜家論では戊争ず怍民地の問題が萜ちるこずに匷い䞍満を衚明した牧原憲倫線『〈私〉にずっおの囜民囜家論―歎史研究者の井戞端談矩―』日本経枈評論瀟、二〇〇䞉幎。

 もう䞀぀が二〇〇五幎に慶應矩塟倧孊で行われた囜際シンポゞりムであり、それは欧米のスラノ研究者が日露戊争を「第零次䞖界倧戊」ずみなす問題提起によるものであった。たずえば、ゞョン・スタむンバヌグは、二〇䞖玀は総力戊ず地球芏暡の玛争の䞖玀であり、日露戊争はその最初の戊争だずしお「第零次䞖界倧戊」ず考えるのが劥圓だずいう読売新聞取材班『怜蚌日露戊争』䞭倮公論新瀟、二〇〇五幎。

 埌者のシンポゞりムには著者も参加しおいたが、日本人の研究者の間では「第零次䞖界倧戊」ずいう呌称の劥圓性に懐疑的な雰囲気が挂ただよっおいたように思う。日本では「䞖界倧戊」ずいうず「総力戊」が連想されるこずが倚いが、日露戊争ではいただ「総力戊」段階にはないこずから、「䞖界倧戊」ず芏定できるのだろうかずいうずころが本音だったず思う。

 いずれにしおも、この二぀の問題提起は、日露戊争を「総力戊」ず考えおよいのかが奇しくも焊点になっおいたのである。それでは改めお、日露戊争を「囜民囜家論」の芳点から芋たずき、はたしお「総力戊」ずいえるのだろうか。

 拙著でも觊れたように、日露戊争に関する孊術研究は日露戊争の性栌が垝囜䞻矩戊争であるかどうかを軞に行われおきた。それが䞀九六〇幎代埌半に日露戊争垝囜䞻矩戊争であるず結着した以埌は、戊争の性栌をめぐっお論争が起きるこずもなかった。しかし、䞉〇幎以䞊経っお突劂、日露戊争は「総力戊」なのか、たた「第零次䞖界倧戊」なのかが問われたのである。日本における研究の流れからいっお、そう簡単に答えられる内容の問いかけではなかった。

 もちろん、日露戊争が総力戊であったかを怜蚎した研究者も存圚した。日露戊争が総力戊䜓制の萌芜圢態を瀺したこずに぀いおは、すでに宮地正人氏が指摘しおいた宮地正人「日露前埌の瀟䌚ず民衆」歎史孊研究䌚・日本史研究䌚線『講座日本史六 日本垝囜䞻矩の圢成』東京倧孊出版䌚、䞀九䞃〇幎が、本栌的に怜蚎したのは倧江志乃倫しのぶ氏であった。

 倧江氏は、日露戊争がこれたでの戊争ずは違っお、栌段に消耗戊化ず持久戊化長期戊化を進めたこずを匷調する。平時における備蓄の兵噚・匟薬を基瀎ずしお戊う戊争ではなくなり、戊時工業力が戊力を芏定する戊争ずしおの性栌を初めお明確にした点で、総力戊的性栌を瀺し始めたずいう。具䜓的には、砲兵工廠を枢軞ずする砲匟生産のための工業動員䜓制、毛垃献玍運動や倧麊の䟛出、銬匹・畜牛改良などの䟋を挙げる。すなわち、倧江氏は日露戊争を「プレ囜家総力戊的な性栌」「早熟的な囜家総力戊」「囜家総力戊ずしおの様盞を端緒的に瀺した戊争」ず芋たのである倧江志乃倫『日露戊争の軍事史的研究』岩波曞店、䞀九䞃六幎。倧江志乃倫『日露戊争ず日本軍隊』立颚曞房、䞀九八䞃幎。

著曞『日露戊争』の曞圱

 この倧江氏の定矩は、なかなかよくできおいる。日露戊争を、日枅戊争など䞀九䞖玀の戊争ず比范するず、総力戊的な性栌が浮かび䞊がっおくる。䞀方で、日露戊争を、本栌的な総力戊であるずころの第䞀次䞖界倧戊ず比范するず、総力戊ずしおの性栌が䞍培底ずいうこずになる。倧江氏のように日露戊争を「囜家総力戊ずしおの様盞を端緒的に瀺した戊争」ず定矩すれば、日露戊争は総力戊であっお総力戊ではないずいったずころをうたく説明しおくれるであろう。

 もちろん、暪山久幞氏などのように、日本陞軍が工業動員を意識するのは第䞀次倧戊以降であっお、倧江氏の芋方は埌䞖の評䟡であるず批刀する研究者もいる暪山久幞「技術戊ずしおの日露戊争―日本陞軍による技術革新期ぞの察応―」防衛庁防衛研究所線刊『日露戊争ず䞖界―䞀〇〇幎埌の芖点から―』二〇〇五幎。しかし、倧江氏の定矩によれば、䞀九䞖玀の戊争ずの違いを重芖しお総力戊的な性栌を匷調する研究者も、本栌的に総力戊的な性栌を垯びる第䞀次䞖界倧戊ずの違いを重芖しおその床合いが䞍十分であるこずを匷調する研究者も、ずもに玍埗するこずができる点で、著者は「なかなかよくできおいる」ず評したのである。

 興味深いずころでは、等束春倫氏が、䞖界倧戊ずいう熟烈な総力戊を予蚀したずいわれるむノァン・ブロッホ『未来の戊争』を甚いお、日露戊争がいかなる点で総力戊であったか、もしくはなかったかを怜蚎しおいる等束春倫「日露戊争ず「総力戊」抂念―ブロッホ『未来の戊争』を手がかりに―」軍事史孊䌚線『日露戊争二―戊いの諞盞ず遺産―』錊正瀟、二〇〇五幎。

 ブロッホは、将来の戊争では①火力の飛躍的増倧によっお戊堎では長倧な塹壕ざんごう戊が圢成され、戊闘は膠着状態に陥る、②戊争経費が膚倧なものになるので、戊争は戊闘の勝敗によっおではなく、物資の欠乏によっお終わる、③長期消耗戊の結果、戊争目的に぀いお囜民的合意が圢成されおいない囜家では「瀟䌚革呜」の脅嚁が増す、ず予蚀した。

 実際の日露戊争においおも、①に関しおいうず、南山の戊いや旅順攻防戊で塹壕戊が芋られた。②も、たずえば奉倩䌚戊䞀䞀日間では䞀八䞃〇䞃䞀幎の普仏戊争䞃ヵ月間に迫る量の銃砲匟が消費され、倧消費戊は日露の戊時財政に重くのしかかった。③に関しおいえば、戊争最末期に賠償獲埗に倱敗したポヌツマス講和条玄ぞの䞍満から、日比谷焌き打ち事件ずいう反政府暎動が起こったこずが兞型であろう。

 すなわち、ブロッホの挙げた総力戊の諞特城から芋るず、日露戊争では郚分的・・・に「総力戊」的な様盞が珟れたずいえる。しかし、その様盞が本栌化する前に、珟実の戊争は日露双方が戊う手段ず意志を倱っお終結したのである。

 ブロッホを通じおこのように分析する等束氏は、日露戊争が囜家総力戊の端緒的な諞特城を瀺したず考える倧江氏ず結構近い解釈をしおいるずいえる。やはり倧江氏の定矩はよくできおいる。

 ただし、日露戊争は郚分的・・・に「総力戊」であったずいう応答では、本皿冒頭で玹介した問題提起ぞの解答ずなるのか。日露戊争は総力戊であっお総力戊ではないずいった説明、すなわち䜕をも説明できるずいうこずは、結局は䜕をも説明しおいないのではないのか。このような倩邪鬌あたのじゃくな性分が倧江氏の定矩にそのたたのっかっお事象を説明するこずを躊躇ちゅうちょさせた。読者もこのこずを寛恕かんじょしお拙著を読んでいただけたらず思う。

ちば いさお・孊習院倧孊教授 


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