聖女の顔に秘められた邪悪 ジャンヌ・モロー主演『マドモアゼル』
初めてこの映画を観た時から、そこに漂う空気や、言葉では説明できない不穏さだけは、長いあいだ心の奥に残り続けていました。今回久しぶりに観返して、その記憶が決して間違っていなかったことをあらためて実感しました。
1966年に製作されたこの作品は、イギリス映画界のニュー・ウェイヴを代表する監督トニー・リチャードソンが、脚本にジャン・ジュネを迎え、主演にフランス映画界の至宝ジャンヌ・モローを据えて作り上げた異色作です。
公開当時は“悪趣味”“ポルノまがい”などと激しく批判され、スキャンダラスな作品として扱われました。
けれど今観ると、この映画が描いていたのは単なる背徳や性愛ではありません。それは、人間の内部に潜む“破壊衝動”そのものだったのではないでしょうか。
《スタッフ》
◎監督:トニー・リチャードソン
◎脚本:ジャン・ジュネ
◎撮影:デヴィッド・ワトキン
◎音楽:ジョルジュ・ドルリュー
《キャスト》
◎ジャンヌ・モロー
◎エットレ・マンニ
◎ウンベルト・オルシーニ
◎キース・スキナー
舞台はフランス中央部の小さな寒村。そこに暮らす“マドモアゼル”と呼ばれる女教師は、村人たちから敬愛される存在でした。
知的で物静かで、どこか近寄りがたいマドモアゼルは、きちんとまとめた髪と感情を押し殺した表情で、男など寄せつけないような雰囲気をまとっていました。けれど彼女の内側には、誰にも見せることのできない欲望が渦巻いていました。
夜になると彼女は厚化粧をし、農家へ忍び込み、放火や破壊行為を繰り返すのです。村人たちが悲しみ、混乱し、怒りに震える姿を見ながら、彼女はひそかに快楽を覚えている。
この映画が恐ろしいのは、“悪女”を派手に描かないことなんですね。むしろ、静かなんです。
ジャンヌ・モローは終始、ほとんど表情を崩しません。けれど、そのわずかな目線の動きや、“への字”に閉じられた口元だけで、欲望と狂気を滲ませていく。この演技が本当に凄い。
この作品を観ると、あらためてジャンヌ・モローという女優の特異さに圧倒されます。美人女優というより、“感情そのもの”が顔に浮かぶ女優なんですね。『死刑台のエレベーター』の孤独、『突然炎のごとく』の自由奔放さ、『黒衣の花嫁』の冷たい復讐心、『夜』の満たされない空虚と、作品ごとにまったく異なる女性像を見せながら、彼女は“女性”を演じるというより、その時代に生きる女たちの孤独や欲望そのものを映し出していたように思います。
この『マドモアゼル』では、その魅力が極限まで剥き出しになっている。特に、イタリア人労働者マヌーと森で結ばれる場面は圧巻でした。
それまで禁欲的だった彼女が、まるで長年閉じ込められていた感情の牢獄から解放されたように、髪を乱し、泥だらけになりながら男を求める。その瞬間だけ、彼女は別人のように若く見えるんですね。
欲望に目覚めた人間が、一瞬だけ生き返る。ジャンヌ・モローは、その変化を身体全体で表現していました。そのわずかな仕草や表情だけで、人間の感情をここまで雄弁に語れる俳優は、そう多くありません。
この作品で重要なのが、マヌーの息子ブルーノという少年の存在です。彼だけが、マドモアゼルの“秘密”に気づいてしまう。けれど彼は告発しません。それは恐怖というより、憧れに近い感情だったのかもしれません。
脚本を書いた ジャン・ジュネは、少年時代から犯罪と放浪を繰り返し、社会から疎外されながら生きた作家でした。だからこの映画には、共同体から排除された者への静かな共感が漂っています。
村人たちは“正義”の顔をして、異邦人マヌーを犯人扱いしていく。けれど本当に危険なのは、村の中心で静かに微笑んでいるマドモアゼルの方なんですね。この皮肉が実にジュネ的です。
1966年の公開当時、この作品は大スキャンダルとなりました。“悪趣味”“理解不能”“ポルノ的”と酷評され、配給会社からも距離を置かれてしまったそうです。
けれど今観ると、この映画が時代を先取りしすぎていたことがよくわかります。女性の欲望や破壊衝動、共同体に潜む偽善、そして異物を排除しようとする人間の残酷さを、一切の説明も道徳も挟まず、ただ冷徹な眼差しで映し出しているのです。だからこそ、今観ても古びないのだと思います。
デヴィッド・ワトキン のモノクロ撮影も素晴らしかったです。白と黒のコントラストが、まるで人間の善悪そのものを映しているようでした。
『マドモアゼル』は、愛の映画ではありません。救済の映画でもない。これは、人間の内側に潜む“邪悪”を見つめ続けた映画です。しかもその邪悪は、怪物の顔をしていません。知的で、上品で、静かで、誰からも尊敬される顔をしている。だから恐ろしいのです。
そして観終わったあと、不思議と胸に残るのは嫌悪感ではありません。むしろ、誰の中にも存在する“説明できない衝動”を見せつけられたような、居心地の悪さなのです。
ジャンヌ・モロー は、この映画の中で、決して理解されることのない孤独を演じ切っていました。
その姿は、美しいというより、人間の心の奥底に潜む闇そのもののように、静かで、そして哀しかったです。
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