統合失調症の偏見と10年どう向き合ってきたか🗣️
こんにちは、なかやしきです。
私は社会人になってすぐ統合失調症と診断され、そこから良くなったり悪くなったりしながら10年間過ごしてきました。
10年たったとはいえ、未だに症状の波と押し相撲をする日もあります。
10年たったとはいえ、経験や気合で乗り越えられないからこそ「障害」なのかもしれません。
もちろん考え方などで感じ方をよくすることはできるとは思います。
精神疾患を持ちながら生きていくうえで、避けて通れないものとして、「偏見」があります。
少なくとも、私はそう感じています。
この記事では、私が10年間、どうやって偏見と向き合ってきたかを正直にお話ししたいと思います。
動画で見たい方はこちら↓(内容はほぼ同じです!)
まず私から見た「偏見」とは、多くの部分は外から与えられるものではなく、自分の中から発するものでした。
いろんな考えがあるとは思いますが、あくまでなかやしきの考え方ということでご了承いただけますと幸いです。
簡単に言いますと、他人から何か被害を受けたりすることよりも、自分で自分を苦しめてしまった部分が大きいなと感じています。
「認知」の部分です。
でも、これは私だけではなく、多くの方も同じような経験をされたのではないでしょうか。。。
偏見というと、職場で理不尽なことをされたり、いじめみたいなことをされたりすることにつながるというイメージがあるかもしれませんが、少なくとも私はそのような嫌がらせみたいなことはあまり経験しませんでした。
一度だけ職場で仲の悪い同僚に嫌味をいわれたことはありますが(ちゃんと傷つきました)、それ以外はあまり偏見をもろに感じたことはありません。
影で何か言われていたかもしれませんが、表立ってというのはそれくらい。
2回オープンで一般企業に就活もしましたが、どちらもふつうに採用していただき、障害ゆえの不快な思いはほぼありませんでした。
上司が多少病気への理解が足りないなと感じることはありましたが、それは単純にその方の知識が少ないだけと考えるので、その場合は気になりませんでした。
悪意もないし誠意を感じていたからです。誠意を感じてたので、多少配慮が足りなくても苦ではありませんでした。
私の場合、かかわってきた人に恵まれた部分は大きいのかなとも思います。
国家公務員だったり、福祉職だったりしたので、落ち着いていたり優しい方が多かったのもあるかもしれません。
私が「偏見」で主に嫌な思いをしてきたのは、私自身の私への評価が原因です。
「私は健常者じゃないんだ」
「何か欠けているんだ」
「何か劣っているんだ」
そのような思いがあったから、いつもどこかで自分を低く見積もったり責めたりしていたように思います。
今でも完全にそれを脱却したかといわれると、、残念ながらそんなことはありません。
でも、人間だからある程度そういう感情はあって自然なことだとも思います。
これから先も付き合っていくつもりでいます。
時には、同僚や友達と自分を比較したり。
時には、自分が失ってしまったこと、得られなくなってしまった未来に悲観したり。
でも、発症当初よりはだいぶ客観的に自分を見れるようになったと思います。
訪看さんたちと話していても自己認知がよくできていると目を丸くされます。笑
もともと物事の本質求めて深く考えるタイプなのでそのような形に行き着いたのだと思います。
障害をもっていても、堂々と生きていいんだ。とも思えるようになりました。
同じような経験をした仲間のためになにかしていこうと思うきっかけにもなりました。
そう考えると、「偏見」が原因で外から及ぼされる害というのは、思っていたより少ないのかなとも思ったりします。
あくまで私の経験からの考えなので、いろいろなお考えがあるとは思いますが。
これからも、外ではなく自分の認知とうまく付き合っていこうと思います。
外からもたらされる害というのは、その人の考えだし、知識不足だったりすることも多いので、あまり気にしないようにしようと思っています。
皆さんも偏見について、思ったことがありましたらよかったらコメントお待ちしています。
今回も読んでくれてありがとうございます。
