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ヴォーリズの洋館と、六畳二人部屋の処世術

​18歳、私は暗い霧の中にいました。

​進学校と呼ばれる高校で、自分なりに必死の努力を重ねてきたつもりだった…だけど、結果は第一志望の国公立大学不合格。

浪人してもう一年、あの受験勉強に耐える気力もなく、行き場のない無力感と挫折感に苛まれていました。

​そんな私に両親と祖母は、ある学校への進学を勧めてくれて、私は、不本意な気持ちを引きずったまま、ただ流されるようにして、その道を選びました。

​*

​進学先は、明治初期に創立された伝統あるミッション系の女子短期大学。

​一歩キャンパスに足を踏み入れた瞬間、私は息を呑みました。

大学本館 

「わぁ、きれい…」

そこには、建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズが手がけた、重厚で美しいゴシック様式の学舎が佇んでいました。木漏れ日を浴びて輝く芝生、窓から漏れるパイプオルガンの荘厳な響き…

そして何より、まるでファッション雑誌からそのまま飛び出してきたかのように、華やかで生き生きとした女子大生たちが溢れかえってました。

​実家を離れ、誰も私を知らない土地で新生活を始める解放感も手伝って、沈んでいた希望が膨らみ始めるのを感じました。

​住まいを決めるとき、こだわりが全くなかった私は、「キャンパスの敷地内にあって便利そう」という、ただそれだけの理由で女子寮に入ることを決めました。

​それが、私の人生を大きく変える「修業の場」になるとは、夢にも思わずに…

​入居しているのは実に230人。この大所帯が秩序を保つため、生活は分刻みのルールによって徹底的に管理されてました。

​トイレ、洗面所、大浴場、洗濯機…生活に必要なあらゆる設備はすべて共同。テレビを見るのも、個人のスマホなどない時代だから、共用の談話室に集まるしかありません。

​自室はわずか六畳の二人部屋。二つのシングルベッドが並ぶと、その隙間は人が一人やっと通れるほどの狭さ。

プライベートを仕切るカーテンなどなく、どこにいても誰かの視線や気配を感じます。そこには「一人になりたい」、なんていうささやかな願いさえ許されませんでした。


 
​朝6時50分、起床当番が鳴らすチャイムの音で、強制的に一日がスタート!

​7時からは全員参加の一斉清掃。ついさっきまで夢の中にいた寮生たちは、優雅なお嬢様像とはかけ離れた、よれよれのジャージ姿でモップや箒を握り黙々と清掃…

​しかし、8時前に食堂での朝食を済ませると、皆一斉にコンサバ系のファッションに身を包み、「女子大生」へと変身。その「オンとオフ」の切り替えの早さは笑ってしまうほどお見事!


一方で、門限は17時45分。「大学生なのに、高校生より早いなんて!」と、最初は窮屈さに憤慨したものです。

​ただ、部活動などのやむを得ない理由がある場合のみ、事前に「外出ノート」に理由を細かく記入することで、20時50分まで延長が認められます…
が、1分でも門限を破れば寮の役員たちから、談話室で厳しいお説教を受けることとなります。


​18時からは全員が食堂に集まり、静かに聖書を読み、賛美歌を歌い、祈りを捧げてから夕食を。その後は、当番制による230人分の食器洗いが待っています。

​そんな厳しい日々のなかで、毎月一回だけ夕方礼拝を兼ねたイベントがあり、そこで出されるスイーツをいただくことが唯一の楽しみでした。

寮独自のユニークで細かいルールもあり、例えば大浴場では、排水口が髪の毛で詰まるのを防ぐため、「水切りザル」の上で髪を洗わなければならないし、電話ときたら、230人に対して回線がわずか2つしかない!

当然、「1人5分まで」という厳格な掟があり、恋人や友人との長電話などご法度!

​21時に点呼が行われ、22時からは自室での「静粛時間」。廊下を歩く時も足を忍ばせ、そして23時、寮全体が完全消灯。

​一人の時間が1秒もない空間、厳しい規則、他人との距離の近さ。

​最初の数ヶ月は精神的なストレスから、知らず知らずのうちに体調を崩してしまうこともあり、実家に帰りたいと、夜、ベッドの中で人知れず涙をこぼしたこともあります。

​しかし、人間の適応力とは不思議なものです。

​入寮して3ヶ月が過ぎ、季節が夏へと移り変わる頃には、私はこの一風変わった環境に驚くほど順応。

マンドリン部に入り、同じように目標に向かう仲間ができたことも大きく、いつの間にか、生活の「不自由さ」よりも、気の合う友達と過ごす「楽しさ」が勝るようになっていました。

それでも、半年に一度だけ、心臓がバクバクするほど緊張する瞬間がありました。

​それは「部屋替え」。

​スピーカーから230人の新しい組み合わせが淡々と読み上げられるあの時間は、運命の分かれ道…

​同室になる相手の性格によって、これからの半年間が「天国」にも「地獄」にもなり得、緊張のあまり、私は何度も心の中で神様に祈り続けました。

​しかし、スピーカーから告げられた新しい相方の名前を聞いた瞬間、「終わった」。

​私が苦手な人だったから…

​だけど、「これからの半年間、自分の部屋を居心地の悪い場所にだけにはしたくなーい」

​その一心で、この狭い六畳間で、どう生き残るのか「処世術」を必死に考え、実行に移すことにしました。

​私が考えたのは三つ。

「尊重する」
自分との違いを見つけても、決して否定せず「そういうやり方もあるんだね」と、ありのままを受け入れる。

「鈍感になる」
生活習慣の些細な違いにいちいち神経質にならず、「まあ、いいか」と笑って受け流す。

「笑顔」
相方の友達が部屋に遊びに来たときは、笑顔で迎え、温かいお茶を出す。


​私にとってはどれもハードルの高いことばかりだったけれど、必死に頭と心を動かしました。

​すると、不器用ながらも重ねた努力が実を結び、苦手だと思っていた相方と、快適で温かい半年間を過ごすことができました。

人と人って合わせ鏡みたいなものなんでしょうね。

寮生活において、目の前の相手をシャットアウトすることは絶対にできません。だって、集団生活なのだから…面倒でも折り合いをつけていくしかないのです。

​18歳の挫折から逃げるようにして始まった女子寮生活。

あの環境から逃げ出さず、お互いを認め合い協調性を育んだ2年間は、社会で生きていく上で必要とされる「忍耐力」と、人との距離感を保つ「絶妙なバランス感覚」を私に授けてくれた、と思います。
 

1987.2.5 寮の送別会


​あれから40年…

​あの六畳の二人部屋で培った力は、その後の人間関係だけでなく、結婚生活を穏やかに、円満に送る上でも、大いに私を助けてくれています(笑)。

​世間知らずで頼りない私を、少しだけ大人に、そしてしなやかに強くしてくれた、あの懐かしい女子寮の日々…

​そして、私を温かく見守り、あの場所へと送り出してくれた両親と祖母に、心からの深い感謝を捧げたいです。

(了)

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