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作家と作曲家と言語

最近、三浦綾子、夏目漱石、芥川龍之介、川端康成、太宰治、林芙美子など、次々と色々な作家の作品を読んでいます。

作家それぞれの独特のリズム、音、雰囲気や流れ、こういうものにどっぷりと浸りきってから次の作家の作品を読むと、すぐには馴染めずに、最初のページは何度か読み返すことになります。

そのうちに慣れて、スイスイ読み進むのですが、この感覚よく知ってる!と思い出したのが、ピアノを弾いている時でした。

大学に行っている時は、毎学期ごとに、バロック作品、古典作品、ロマン派作品、印象派・現代音楽を組み合わせて、期末テストの演奏に向けて練習をしていました。最初はその量に辟易したものですが、逆に飽きることがなく楽しい時間となったのを覚えています。


それでも、次の学期になり、新しい作曲家たちの曲を弾き始めると、必ず違和感のような馴染めない感覚があり、弾き始めはやはり時間がかかったものです。

そんなある日、新しく弾き始めたシューマンの「謝肉祭」という曲に四苦八苦していると、教授の一人が私に言いました。

「作曲家は、それぞれ違う言語と同じなんだよ。
初めて弾く曲は、まず、作曲家独特の「言語」に慣れなくてはいけない。
音に慣れるんだ。そのうち、「言語」を理解できるようになる」

確かに!言語だ!!!

ピンと来ました。

私が英語の興味を持ち始めたのは、高校生の時ですが、当時の知り合いに、作家であり、元米航空会社のCAだった方がいました。この方は、大使館にも務めたことがあるほど明晰な頭脳の持ち主で、当然、英語も流暢でした。

とにかく英語を話せるようになりたい!と思っていた私に、この方はこうアドバイスしてくださったのを覚えています。

「英語を話せるようになるには、まず音よ!
毎日、BGMでもいいから、英語のラジオや音楽を流して、とにかく聞くこと。聞けば聞くほど音に慣れて、あっという間に話せるようになるから」

作家も同じなのですね。慣れるまでは、新しいリズムや流れに戸惑うけれど、一度慣れてしまえば、それが心地良くなるのです。

SNSに時間を費やしていたが時は、本を読んでも、心地良いと感じるまで読み続ける忍耐や集中力がありませんでした。

SNSを辞めた今では、集中力が増したので、楽しく読み続けることが出来るようになりました。


というわけで、芥川龍之介の次に読み始めた、林芙美子の文章に最初は違和感がありましたが、それが新鮮さに変わり、その魅力を感じながら読んでいます。

今では大好きになったシューマン


読んでくださりありがとうございます。
今日も素敵な一日になりますように!

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