「もっと話を聞こう」で止まる障害者雇用——聞いたあと、誰が決めるのか
面談記録のファイルが、分厚くなっていました。
本人の困りごとを聞き取り、現場の状況も確認し、記録に残している。
半年分の記録が、きちんと残っていました。
ただ、その中に「決まったこと」が、ほとんど書かれていませんでした。
聞くことは、驚くほど丁寧になっている。
その先だけが、空欄のままになっている。
そういう現場に、何度か出会ってきました。
ここまでは、間違っていなかったはずです
ここ数年で、現場は変わりました。
本人の話を聞く。否定せずに受け止める。
困りごとを丁寧に確認する。できるだけ配慮する。
この意識は、確実に広がっています。
研修も入り、担当者の理解も深まりました。
以前なら「そういうものだから」で片づけられていたことに、
時間をかけて向き合う会社が増えています。
それは、間違いなく前進です。
ただ、そこから先が続きません。
何を、どこまで配慮するのか。 誰が決めるのか。 本人の希望と、業務上の必要がぶつかったとき、何を先に見るのか。 現場だけで決められないことを、どこへ上げるのか。
ここが決まっていないまま、聞くことだけが増えていきます。
そして決まらない状態が続いたとき、出てくる言葉はたいてい同じです。
まだ本人理解が足りないのではないか。
もっと丁寧に話を聞いたほうがいいのではないか。
コミュニケーションが不足しているのではないか。
だから、また面談を増やします。
けれど、足りないのは対話の量ではないのかもしれません。
自分の聞き方が足りないのだと思った
ある会社での話です。
本人と面談し、困りごとを聞き取りました。現場にも確認しました。上司にも報告しました。関係者が増え、情報も増えていきます。
それでも、その日の結論は「一度持ち帰って検討します」でした。
そして次の面談で、本人から同じ話が出ます。担当者は「まだ理解が足りなかったのかもしれない」と考え、また時間を取ります。
聞くことは、比較的選びやすい行動です。
その場で何かを否定したり、断ったりする必要がない。
だから、迷ったときに人は「もっと聞く」を選びます。
聞くことが、決めないことの代わりになっている。
そういうことが、起きていきます。
そして、決まらなかった案件は消えません。どこかに残ります。
たいていの場合、担当者の中に残ります。
面談が増えるほど、抱えるものも増えていく。
記録は丁寧になっていくのに、動かないものが積み上がっていく。
「話は聞いているのに、何も進んでいない気がする」という感覚は、
能力の問題ではなく、この構造から出てきています。
誰が悪いわけでもない、と何度も思った
決まらない場面には、たいてい複数の立場が並んでいます。
本人は、働き続けたいから困りごとを伝えています。 現場は、業務を回す責任があるから、難しいと言います。 人事は、他の社員との公平性を考えるから、慎重になります。 外部の関係機関は、本人の立場から意見を出します。
全員に、理由があります。誰も間違っていません。
だから、話し合いは平行線になります。
誰か一人の認識を変えれば解決する問題なら、話はもう少し単純です。
けれど実際には、それぞれが自分の役割から考えた結果、意見がぶつかっていることが少なくありません。
全員が正しいとき、話し合いだけでは決着しません。
正しさが並んだときに必要なのは、もう一度話し合うことではありません。
何を先に見るのかという基準と、誰が決めるのかという役割です。
これがないまま話し合いを重ねると、最後に決まるのは「声の大きさ」か「その場にいた人の判断」になります。そして次に似た場面が来たとき、また別の結論が出る。
同じような相談に、違う対応が並んでいる。そういう状態が生まれます。
判断する基準が、どこにもなかった
決められないとき、現場が選びやすい行動があります。
とりあえず、配慮しておく。
どこまで対応するのかを説明する基準がない。
誰が判断するのかも決まっていない。だから、その場では要望に沿う。
そうして、配慮だけが少しずつ積み上がっていきます。
けれど、誰が決めたのか。なぜその対応にしたのか。どこまでを配慮として認めたのか。その判断の理由が、組織の中に残っていないことがあります。
すると数年後、担当者が変わったときに、うまく引き継げません。
「なぜこの対応をしているのか」
「似たケースでも同じ対応をするのか」
「どこまでなら現場で決めてよいのか」
誰も説明できない状態になります。
配慮が増えることと、判断できることは、別のことです。
合理的配慮は、本人が仕事を続け、力を発揮するための手段です。
けれど判断の基準がないまま対応だけが積み重なると、「何のための配慮なのか」が少しずつ見えにくくなっていきます。
大切なのは、配慮するか、しないかを一律に決めることではありません。
その都度、何を基準に考え、誰が判断し、その理由をどう残すのか。
そこまでを組織として決めておくことです。
整理するとしたら、確認することは多くありません。
この件は、現場で決めることか、人事で決めることか
本人の希望と業務上の必要がぶつかったとき、何を先に見るのか
どちらでも決められないとき、どこへ上げるのか
こうした「誰が、何を基準に、どこまで決めるか」をあらかじめ言葉にしておくことを、私は「判断設計」と呼んでいます。
大切なのは、担当者がすべてを判断できるようになることではありません。
担当者だけでは決められないときに、誰に上げるのか。どこから先は組織として判断するのか。そこまで決まっていることです。
あなたの聞き方の問題では、ありません
これは、聞き方に問題があった、という話ではありません。
丁寧に聞くことは、前提です。
本人の言葉からしか分からないことがあります。困りごとは、聞かなければ分かりません。そこに時間をかけてきた現場が、間違っていたわけでは決してありません。
ただ、聞いた内容を組織としてどう判断するかまで決まっていないと、その先は誰か一人が抱えることになります。
本人か、現場か、担当者か。
たいていの場合、担当者です。
合理的配慮は、個人の優しさだけに委ねるものではなく、
組織として運用するものです。
増やすべきなのは配慮の量ではなく、
配慮をどう判断するかの設計なのだと思います。
本人の話を聞いたあと、その判断を誰が担うのか。
障害者雇用を担当者任せにせず、配慮を組織として判断・運用していくための考え方を、メールでお届けしています。
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