おせちは続くよ何処までも
私の夫は料理がうまい。
味はもちろん盛り付けのセンスもなかなかなので見た目も良く食欲を大いにそそる。
調理師免許を持っているわけではないし所詮素人の趣味の域なのだが、包丁を河童橋に吟味に行ったり、料理用のバーナーやら鬼おろしやら私の知らない謎の調味料を買うくらいには熱心である。
だが手先が器用かというとそれがそうでもない。
現に昔、子供達がまだ小さかった頃に訪れた軽井沢のホテルでのこと。
夏休みシーズンだからか館内には陶芸コーナーがあって家族皆で参加した。
そして小一時間後。
夫の前にはミミズが捩れた様な小さな土の塊が2つ置かれていた。
私はその土ミミズを見て、てっきり余った粘土だと思いまとめてゴミ箱に捨てようとしたその時
「ママ、俺の箸置き捨てないでよ!」
「え⁈」
夫が憮然とした表情で私を見ている。
これは箸置き、だったのか。
そんな夫だが包丁使いはとても上手い。
料理と陶芸ではセンスの発動する経路と方向が違うのだろう。
そしてそのセンスは多分、幼少のおりから培われたものと思われる。
夫の実家は昔瓦屋の仕事をしていて当時は職人さんも多くいたので義母は何かと忙しく、長男の夫は弟たちの昼ごはんをよく作っていたらしい。
当時小学生の夫が作る昼ごはんは殆どラーメンだったらしいが、今でも2人の弟たちは口を揃えて言う。
「兄貴のつくるインスタントラーメンはうまかったなあ」
「卵やハム、ほうれんそうやネギ、ナルトも入ってて、見た目も綺麗だった」
この弟達の証言でもわかる様に、夫は小学生にして「黄、緑、赤」という料理がめっちゃ美味しく見えるおかず3原色を熟知していたのだ。
「さすが長男。弟達のご飯の面倒までよくみてたのね」
と長女だが妹の面倒もろくにみなかった私が感心していると
「自分が美味しいもの食べたかったからさ。
どうせ作るなら栄養バランスとか見た目も綺麗な方が良いし」
小学5年生にしてなかなかな悟り具合だ。
私なんぞ、生涯悟れそうにない。
食の神様に愛されし料理上手の夫。
しかし彼の妻は料理が苦手だった。
つまり私は料理が大の苦手なのだ。
苦手というより面倒臭い。
どのくらい面倒くさいかと言えば、結婚前1人暮らしをしていた時ご飯を作るのが面倒でマックとケンタを交互に食べ続け、銭湯で2回全裸でぶっ倒れたほどだ。
そんな私の夫が大の料理好きとは、割れ鍋に綴じ蓋とは良く言ったものだ。そういえば鍋といえば決まって思い出す鍋がある。
はるか昔、私はかつて見た事もない様な大きな鉄の鍋と出会った。
それは40年も前の事。
まだ若かりし私と夫が新婚旅行から帰国したのは大晦日の31日だった。当初はそのまま新居に帰り、元旦の夜にでも夫の実家に顔を出して2日は私の実家に行こうと予定をしていたのだが。
「年越し蕎麦もおせちの支度も何もしてないだろうし、大晦日は成田からうちにくれば」
という義母からの申し出で状況は一変。
夫の実家へと直行となった。
義母の気持ちは有難い。
有難いけど正直2人でのんびり過ごしたかった。
今だったら
「大丈夫でーす。お気持ちだけ受け取りますね♪
(年越し蕎麦なんぞコンビニでも買えるし、おせちはどうせ元旦の夜に行けばそっちで食べれるし)」と言えただろう。しかし、当時新妻なりたてホヤホヤの初心な私は言えなかった。
一生の不覚である。
何故一生の不覚かというと・・・
当時のアイドル新御三家の1人、ワイルドな17歳の西城秀樹が歌うのを見れなかったからである。
その頃夫の実家は夫の両親、祖母、弟が2人というラインナップで、かつ、料理の戦力となり得るのは義母1人のみという実情だった。
大晦日の夕方、夫の実家では男性陣は窓拭きや風呂掃除、義母は1人台所でセッセと野菜を切ったり煮たりしていた。
(おばあちゃんは自分の部屋でテレビを見ながら火鉢で豆餅とみかんを焼いて食べていた)
「旅行疲れたでしょう。ゆっくり炬燵にでも入って休んでいてね」
と義母を言ってくれた。
言ってくれたが、
「ではお言葉に甘えて」とそのまま炬燵に潜り込むほど私は面の皮が厚くはなかった。
何せ新妻ホヤホヤだから。
結局、新婚旅行から戻るなり夫は窓拭き、私は台所でおせち作りを手伝うこととなる。
私の実家のお正月と言えば、お頭付きの鯛と刺身。一つ鍋で煮た野菜の煮物。あとは数の子と黒豆と蒲鉾と伊達巻に雑煮くらい。
(ちなみに誰もお酒は飲まない)
そして女2人の長女である私は、取り敢えず雑煮と伊達巻さえあればオッケーという娘だった。
正月の支度にしても台所仕事は戦力外だったので、大晦日は部屋の掃除もそこそこに炬燵でみかんを食べながらひたすらゴロゴロしていた。
そんな限りなく家事戦闘能力ゼロの嫁が義母の手伝いとはいえおせち作りに参戦している。
実家の親が見たらひっくり返ったことだろう。
それに引き換え夫の母は23才で嫁いだ時から手作りでおせち料理を15品以上作ってきたと言う。
椎茸のもどし汁から始まって野菜や根菜や芋類を順に煮しめていく義母の隣で、言われた通りごまめを炒りながら私は気が気では無かった。
居間では大掃除を終えた男性陣と祖母が、ひと足先に刺身で一杯呑み始めている。
思わず深いため息が漏れた。
(私も早く炬燵に入りたい)
この上なくどんよりしている私に気付いた夫が心配気にチラチラ見ているがあえて無視した。
せめてもの抵抗である。
そうして「輝け!レコード大賞」が終わる頃、ようやく最後の一品が出来上がった。
義母「お疲れ様。何とか間に合ったわね」
私「はい!」
(良かった。これで白組1番バッターの秀樹に何とか間に合う。ヒデキ感激!)
心の中で小躍りしたのも束の間、義母は腰を屈めると台所の下から何やらどっこらせと取り出したのである。
「あとは年越し蕎麦ね。私が天ぷらあげるから、Yちゃんはこれにお湯を沸かしてお蕎麦を茹でてね」
と義母から手渡されたのは大きな鉄の鍋だった。
お、重い!持つと妖怪子泣き爺並みに重い!
一般家庭では滅多にお目にかかることのない特大サイズだ。何でもその鉄鍋は義母が嫁いですぐに買った物らしく、ほぼ私の夫と同い年との事だからこの時点で27年の年季ものの鍋だった。
これで7人分の蕎麦を茹でるのか、、
いや、男三兄弟だから最低10人分は必要だろう。
一瞬、絶望で目の前が暗くなる。
「蕎麦なんぞより秀樹!」
とも言えずに私はその鉄の大鍋に水を入れて10人分の蕎麦を茹で始めた。
テレビでは華やかに紅白歌合戦が始まっている。
勿論声だけで画面は全く見えない。
そしてお待ちかねの白組1番バッター、西条秀樹が紹介されイントロが流れ始めた。
「悔しいけれどおまえに夢中♪」
ギャランドゥ!
ギャランドゥ!
悲しみに暮れながら1人心の中で叫ぶ私だった。
結局、私と義母が全ての支度を終え居間の食卓に着いたのは8時をとうに過ぎていた。
秀樹の後に歌った五郎もひろみも見れなかった。
今思い出してもトラウマレベルの出来事だが、大鍋で茹でた年越し蕎麦も熱々のエビのかき揚げも、翌日元旦のテーブルいっぱいに並べられたおせち料理も美味しかった。
中でもクチナシで鮮やかな黄色に染めあげたクワイの煮物は今でも忘れられない。
生まれて初めて食べたクワイはホクホクとした歯応えで、ほろ苦くてほの甘い栗の様な味がした。
「これが美味いんだよ」
日本酒を呑んでご機嫌な義父は、私に嬉しそうに
クワイを取り分けてくれた。
その後一男一女の母親となった私だったが、家事戦闘能力は相変わらず低いままだった。
しかし夫と子供達を栄養失調にしては一大事なので、まあまあそれなりに頑張ったとは思う。
おやつは体に良さそうなものを手作りで、料理も凝ったものに次々と挑戦した。
キャロットケーキ、舌平目のバナナ乗せ、
ブルーチーズ入りスペシャルハンバーグなどなど。
が、家族の顔色は今ひとつ冴えない。
「ママ、このケーキ、何の味もしないよ」
「舌平目にバナナはいらないかも」
料理は七転び八起き。
実戦あるのみとその後も飽くなきチャレンジを続けていたある日の夜、オシャレ本のレシピ通りブルーチーズ入りハンバーグを作った時のことだ。
一口かぶりついた途端、息子はウゲッと盛大にえずいた。
見ると息子の目には涙が溜まっている。
ブルチーズは小学生にはちと早かったかな、と思っていたら食べ物を残すことを誰よりも嫌う夫が目を伏せ呟く。
「ママ、ごめん。これ全部は無理かも」
心なしか夫の顔色は青ざめている。
その横でまだ味覚が未完成なのか、幼稚園の娘だけはミニサイズのブルーチーズ入ハンバーグをむしゃむしゃ食べていた。
「無理しないで良いよ」と余裕で微笑んでいた私も、結局3分2残した。
味見した時はそこそこいけると思ったのだが。
料理は奥が深い。
以降、私は夫と子供達の大好きなカレーを中心に
鳥、豚、牛をシンプルに焼き、魚は焼くか刺身と、グルメ献立は完全に封印し「早い、うまい、安い」に方向転換をした。
今思えば当時の子供達のお弁当もおしゃれには程遠いものだったと思う。
(幸運にも夫はお弁当の必要のない職場だった)
ネットに流れてくる可愛いキャラ弁や彩も美しいお弁当を作る世の料理好きな方から見たら、私の作るのり弁(茶色率高めのおかず)を見たら、
「まあ、なんてお地味なこと。お子様達がお可哀想。できることなら私が代わりに作って差し上げてよ」
とハラハラと涙を流した事だろう。
が、好き嫌いが無い息子と娘は高校卒業まで一度もお弁当を残す事なく完食していた。
多分部活の朝練で腹ペコだったのだろう。
そうこうしているうちに、光陰矢の如し。廻る月日の中で義父と私の両親を順番に見送った。
夫と私もいつの間にやらアラ還世代となり、息子と娘はそれぞれ家庭を持ち巣立って行った。
そして夫も退職の日を無事迎えた。
義父が建てた家に住む義母と次男と同じ敷地に、猫3匹と夫と私が住む家も築27年を迎える。
18年前。
80歳で他界した義父の告別式の挨拶で、
「お父さん、悪いけど私はもう少しこっちで楽しんでいくから。ごめんなさいね」
と笑顔で話して弔問客の笑いを取っていた義母。
そんな義母が90歳を前にして、料理の味付けが少しずつおかしくなっていった。
濃すぎたり、薄すぎたり、味が無かったり。
鍋を焦がす事も度々あり、同居している次男はコンロをIHに変えた。
それでも年末になるとおせちだけは作る気満々で
「今年のクワイの出来はどうかしら?」
といつも気にしていた。
かつて義父の好物だったクワイは、産地の埼玉まで義母に変わり義弟が買いに行くようになった。
だが台所に立つ義母のおせちをこっそり味見すると、そこにはもうかつての味付けは無く、私や夫でこっそり水で薄めたり砂糖や塩や醤油を加えて味を直した。
それでもどうにもならないものは、義母の目に触れない様にそっと捨てた。
今年で義母は94歳になった。
嫁いでから60年以上台所に立ち続けて来た義母だったが、今はもう台所に立つことも無い。
義母の右腕?盟友とも言えるあの大きな鉄鍋で、
家族の誕生日には欠かさず炊いていた赤飯を炊くこともなくなった。
コーヒー好きで一日一回はドリップコーヒーを飲んでいたのに、お湯を沸かす事もしなくなった。
認知症が進んで10分前のことも覚えていられなくなった。
それでも息子たちや私のことはちゃんとわかる。
いよいよ義母のおせちがもう無理となった時、
「今年はおせちのお取り寄せを試してみようか?」
と夫や義弟と相談しておせち料理をネット注文する事にした。
私が夫と結婚してから初めての事だった。
年末に届いた冷凍のおせちは豪華な3段重ねで見た目はとても綺麗だった。
年が明けて正月の朝。
夫も義弟もそして私も、初めて義母の手作りではないおせちを食べた。
夜には三男夫婦の家族や、私の子供達の家族、総勢14名が集まり義母を囲んで賑やかに過ごす。
豪華なおせちセットを皆んなで食べていると
「このおせち、クワイが少ししか入ってないんだね」
誰かが呟いた。
毎年師走にはクワイ好きでたくさん食べる義父のために小ぶりのクワイを求めて埼玉まで買いに行っていた義母。
クチナシで鮮やかない黄色に染めたクワイはいつも八角系の重箱の真ん中が指定席だった。
その1番の特等席に鎮座する黄色いクワイは、いつも最初になくなる人気ものだ。
だから義母は皆がたくさん食べれるようにクワイの煮物をいつも多めに作っていた。
結局、今回のおせちセットの貴重なクワイは義母と義父の仏壇に進呈されることとなったが、義母は美味しいとは言わなかった。
食べ慣れた自分の味ではなかったからだろう。
去年の秋「今回もどこに頼むかそろそろ決めないとね」と義弟と話していた時、当然夫が宣言した。
「おせちはこれからは俺たちで作ろうよ。俺の方が煮物とか絶対美味く作れるし」
「なら魚と煮物は兄貴に任せて、ローストビーフとか肉関係は俺が作ろうかな。あと、クワイの煮物もたくさん作ろう」
義弟がすぐに賛同した。
そうだね。そうだよね。
あの豪華で綺麗だけど冷凍で届く3段重ねのおせちは、立派だけど我が家の味では無いもんね。
「なら黒豆ときんぴらはこれまで通り私が作るよ」
(相変わらず料理下手の私だったが、この二品だけは義母がおせちを作っていた頃から私の唯一の担当だった)
こうしてその年の年末は夫、義弟、私とでおせちの支度を手分けして始めた。
12月30日、義弟が埼玉まで行ってクワイを買ってきた。
なかなか質の良いクワイだ。
義母が普段座っている食卓で私と夫と義弟、3人並んでクワイの皮を剥いている時、夫がぼんやりテレビをみていた義母に声をかけた。
「お袋さんも久しぶりに剥いてみる?」
義母は夫が差し出した包丁を手に取ると、ゆっくりとクワイを手に取った。
クワイの皮を半分だけ剥き、次のクワイを剥き始める。
夫が義母のクワイをそっと剥き直す。
4人で剥いたクワイ。
夫の剥いたクワイは流石の丁寧な仕上がり。
義弟の剥いたクワイは理系らしくとても几帳面。
私の剥いたクワイはちょいと不恰好だ。
こうして迎えたお正月。





義父の大好物だったクワイが再び元旦の食卓を彩った。
義母は小さな取り皿にクワイを3つほど載せると自分で義父の仏壇に備えた。
不思議なことに亡き夫の好物だけはずっと忘れずに覚えている。
気のせいか遺影の中の義父もいつもより嬉しそうだ。
「やっぱりクワイをたくさん食べないと、正月になった気がしないよね」
みんなそれぞれに料理の好き勝手な感想なぞを言いつつ、たくさん食べてたくさん呑んだ。
夫が作った煮物はやはり義母の味付けによく似ていた。
一通りおせちを食べ終えた頃。
「さて、と」
息子がおもむろに席から立ち上がる。
「そろそろ雑煮いく?」
「食べる! 食べる!」
「私はお餅一個で」
「俺は2個」
「取り敢えず15個くらい焼いちゃって」
「おばあちゃんの餅は小さく切ってね。喉に詰まらせたら正月早々大惨事だから」
「よっしゃ。任せろ!」
大量の餅を焼きながら、息子は鉄の大鍋で雑煮の汁を作り始める。
2年ほど前、何を思ったか息子は自ら立候補してお雑煮担当に名乗りをあげた。
たっぷりの鳥で出汁をとり、酒と塩だけで味をつける私の味を引き継いで。
「来年は私が栗キントン作ろうかな」
兄の作ったお雑煮を食べながら娘が呟く。
「みんな!来年は○○が栗きんとん作るってよ!」
「おっ、楽しみ、楽しみ」
手作りの栗きんとんは手間がかかる。が、皆に拍手されて娘は覚悟を決めたようだ。
「おまかせください」
来年の楽しみがまた一つ増えた。
そのうち黒豆と金毘羅も娘に引き継がせようと密かに私がほくそ笑んでいると、仏壇の前で3才と1才の義母のひ孫達がお供えの果物で遊び出した。
畳の上をゴロゴロと転がっていく林檎と蜜柑を拾い上げて、義父の遺影の前に戻す。
「お義父さん、来年もクワイ楽しみにしててね」
沢山の思い出が調味料になって、それぞれの舌に毎年のおせちが記憶される。
義母の味に、これからは夫や義弟や私、そして息子や娘、お嫁さんの味も加わっていく。
そしていつかは孫達の味も。
懐かしい思い出の味。
新しい初めてましての味。
どんな味でも愛おしい。
だからこそ、我が家のおせちは続くよ。
どこまでも。
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