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白い割烹着


「そろそろお店出るよ」
外食産業に就職して2年目、その頃地方で勤務していた娘とは毎晩LINEでやり取りをしていた。
「気をつけて。防犯ベル持った? 帰ったらすぐ連絡してね」
いつもと同じ文字を送り、時計を見れば23時をとうに過ぎている。
(また今日もこんな時間かあ)

あの頃は日付が変わる前に娘が帰宅できることは殆どなかった。
勤務先の店舗の空調が故障した時には閉店後に来た業者さんの工事を一緒に見届け、帰宅は午前2時を過ぎたこともある。


娘から送られてきたオッケースタンプを確認して珈琲を淹れるためにキッチンへ向かう。
これから狭いロッカーで着替えて店舗に鍵をかけ、借り上げマンションのワンルームの部屋に戻るまで30分はかかるだろう。
ただ待っていても気を揉むだけなので、その間に珈琲を淹れて飲むのが日課になっていた。
寝る前に飲むのは良くないというけれど、それは娘が夜道を無事に帰るまでのおまじない、願掛けみたいなものだった。

「もう子供じゃないんだから。心配し過ぎ」
そう言われても、娘の赴任した地方都市は駅前は賑やかだが少し歩くと人気もなく街灯も暗い。
狸やハクビシンも出てきそうだ。
だから店を出る時と部屋に帰ったときには必ずLINEで連絡することを決めごとにしていた。

「大丈夫だから先に寝てて」と娘は言うけれど。
はいそうですか。と眠れるはずもない。
自他共に認めるドライな母親だったのに。
いつからこんなに心配性になったのだろう。
湯を沸かし、1人用のフィルターに珈琲の粉を入れながら考える。


あれは娘が中学2年の冬だった。
夜の9時くらいにチャイムが鳴って、玄関の外に制服のお巡りさんが立っていた。
家の前にはパトカーも一台止まっている。
何事かと驚く私にお巡りさんは淡々と告げた。
「先ほどお嬢さんが塾からの帰り道で痴漢被害にあいまして。すぐ近くのお宅に助けを求めて、その家の方から通報がありました。
お嬢さんが110番を頼んだそうです。通報を受け現場からお宅までお連れしました。これから事情聴取したいのでお父さんかお母さん、お嬢さんと一緒にパトカーで来て頂けますか?」

とるものもとりあえずパトカーに乗り込むと、赤色灯の光の中、後部座席に青白い顔をした娘がポツンと座っていた。

「怖かったね。大丈夫?」
「コートの上からだったから大丈夫だよ」

娘はそう答えたけれど。
暗い夜道で知らない男にいきなり後ろから抱きつかれて大丈夫な訳はない。
「110番したんだね。偉かったね。」
そう言って娘の背中を何度もさすった。


あの日から、娘は知らない男の人に背後に立たれるのが苦手だ。
そのことを知ったのは痴漢事件から何年も過ぎてからだった。
娘は警察で私が驚くほどしっかりと受け答えをして、最後まで涙を見せなかった。
だからトラウマにならず良かったとずっと思っていたのに。

長い年月がたってから、ある日ポツリと
「私ね、あれから男の人に後ろに立たれるの苦手なんだ」と言った娘。
娘の気持ちにずっと気づけなかった。
知らない男の人から突然受ける、不適切な行為の怖さを私は知っていたのに。


小学校3年生の春。
学校が終わり、近くに住む友達とも別れて帰る途中。家はもう目と鼻の先だった。
ヤツデと鳳仙花の垣根を右に曲がればすぐそこにわたしの家がある。

その時、不意に角から若い男が現れた。
男は私の行く手を阻むような立ちはだかった。
なんだろう?
少しだけ違和感を感じたのを覚えている。

「お嬢ちゃんのお家は何処?」
「ここ」
庭先を指差すと若い男は何も言わずに、私の右胸の辺りを掴んだ。
痛くて声が出ない。
動くことができなかった。
余りにも突然で、頭がついていかない。
ただ怖いのと痛いのと驚いたのと、そしてなんとも言えない気持ち悪さに吐きそうになった。


そのまま家に帰り、ランドセルをおろし手をゴシゴシと洗った。
その頃になって、ようやくイタズラされたと理解する。


母には言わなかった。
言いたくなかった。
心配をかけたくなかったし、そんなことをされた自分を知られることが子供心に嫌だったのだ。
恥ずかしくて情けなくて。
その気持ちが怖いという思いを上回った。

その時の男の顔も服装も、もう思い出せない。
色の白いのっぺりした顔で、青色のチェックのシャツを着ていたような気もする。
誰にも言えなかった、言わなかった秘密の出来事。



ドリッパーにセットした紙のフィルターの中に、小さく「のの字」を書くようにゆっくりと湯を注ぐ。
珈琲の粉が熱でふっくらと膨らんで、ぷつぷつというと小さな音とともにほろ苦くて香ばしい香りがあたりに漂う。
今頃娘は店を出て、あの暗い歩道橋を渡っている頃だろうか。
前後に誰か人が居ると良いのだけれど。
最寄りの交番にパトロールを頼んでみようか。
気がつけば娘のことばかり心配している。
そんな自分の気持ちが我ながら重い。
その気持ちの重さを持て余す。
私はずっと自分の母親に似ていると思っていたのに。



私の母は産後すぐに自分の産んだ娘、つまり私を見て「うちの子が1番器量が悪くて色が黒いわ」というくらい口の悪い人だった。
だからか、私と母は昨今よく見られる友達母娘ではなかったし、程よい距離感というより少し距離がある母娘だった気がする。
少なくとも私の誕生日に毎年欠かさずプレゼントを贈ってくれる娘との関係とはだいぶ違う。
今珈琲を淹れているキッチンの片隅には、母の日に娘から貰ったピンク色の割烹着が掛けてある。


「お母さんはいつも洗い物する時、袖をビショビショに濡らすし、コンロの火とかうっかり燃え移ったら大変だから割烹着を着てよ。素材も綿だし安心だから」
そう言って母の日にプレゼントしてくれたものだ。


そう言えば私の母も割烹着を着ていたっけ。
今どきのお洒落な割烹着ではなく、袖のふくらんだ白い割烹着だったけど。
蒸らした珈琲に少しずつ湯を注ぎ足しながら、遠い日の記憶をもう一度手繰り寄せる。



小学校1年生の夏。
その日、学校から帰った私は近所の友だちと一緒に、ガラスの水槽をリヤカーに乗せた金魚売りのおじさんの後をゾロゾロとついて行った。
水槽の上には色とりどりの風鈴が沢山ぶら下がっていて、チリンチリンと澄んだ音色を響かせている。


「きんぎょーえ、きんぎょ」
おじさんの引くリヤカーの上で水槽の水がチャプチャプ揺れると、赤や黒の金魚も一緒にチャプチャプ揺れる。
そんな金魚たちを見ているのが楽しくて、夢中になっておじさんのリヤカーを追いかけて行った。


ふと気がつくと、さっきまで一緒だった友達の姿はどこにもなくて私は1人だけになっていた。
辺りには知らない景色が広がっている。
いつもの見知った街ではない。
見知らぬ世界にポンと1人だけ投げ込まれたような不安に足が竦んだ。
さっきまで明るかったのに、今は道路に落ちる電信柱の影も夕闇に黒く溶けてその境がわからない。
水槽の中の金魚たちも仄暗い水の中で色を消したようだった。


怖くて心細くて、来た道を必死に駆け戻る。
走って走ってようやく向こうに見慣れた無人の踏切を見つけた時、辺りはもうどっぷりと闇に包まれていた。
恐怖と安堵がごっちゃになって涙が滲む。
その時、遮断機のない踏切の向こうに白くぼんやりと何かが浮かんで見えた。


「ゆみちゃん」

母の声だった。
近づくに連れ、その白くてぼんやりしたものが母の着ている割烹着であることに気づく。

「こんなに遅くなるまでどこに行ってたの。暗くなる前に帰らなくちゃ駄目でしょ」
母はとても怒っていたが、叱られたことよりも迎えに来てくれたことが嬉しくて自然と声が弾む。
その頃は夕方6時までに帰らないと、問答無用で玄関も雨戸も閉められていたから。

「あのね、みんなで金魚売りのおじさんのあとついて行ってたの。そしたらね、ずいぶん遠くまで行っちゃったけど、ちゃんと1人で帰ってこれたよ」
母の白い割烹着の裾をギュッと握った。



あの時。
あの夏の日の夕暮れ。
私を探して遮断機のない無人の踏切まで迎えにきた母は、娘の帰宅を心配する今の私と同じ思いだったのだろうか。
あの時、母はどんな顔をしていたっけ。



珈琲を飲みながらそんなことを考えていると、スマホの着信が鳴った。
画面には「無事着いたよ。おやすみ」の文字。
どうやらこれで安心して眠れそうだ。




数年後、娘は地方での勤務を終え本社に戻った。結婚した今は会社も新居も午前零時を過ぎても人通りが絶えることがない場所なので、もう夜中に私が珈琲を飲むこともない。

そういえば、私は母が珈琲を飲んでいる姿を見たことがない。
いつもお茶か紅茶を飲んでいた気がする。
身体が弱かったので珈琲は刺激が強いと思ったのかも知れない。

生まれたばかりの私をみて「器量が悪いし色も黒い」と憎まれ口を叩いた母。
それでも私を踏切まで迎えに来た時、大きな声で私の名前を呼んだ。
身体が弱かったから、そんな声を滅多に出すことはなかったのに。
母はとても怒っていた。
でも、本当は怖かったのかもしれない。
夕暮れに幼い娘が帰ってこないことが。
あの日の母の顔は朧げなのに、暗い闇の中に浮かんだ白い割烹着は今もはっきりと覚えている。



娘から貰ったピンク色の割烹着はだいぶくたびれてきたけれど、今もキッチンの片隅にある。
いつの間にか、白い割烹着を着ていた母の歳を私はとうに越していた。




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