読書感想文 | fishy
文章の中で溺れた。これは没頭できて一気読みできたと言う意味です。最近溺れる作品に出会いすぎているかもしれない。これはなぜなのか考えてみると、前はなかなか時間がなくてインスタで気になった本を保存しては、本屋に行った時に携帯片手に掻っ攫っていくみたいな購入の仕方だったけど、今は暇あれば本屋に寄り、じっくり本棚を見渡して気になるタイトルなどから2〜3冊を買って帰る優雅な本生活を送っているからかもしれない。溺れる作品に出会っている理由になっていないかもしれないけど、やっぱり時間にゆとりを持つのは大切だし、本棚を自分で見つめてじっくり考えて買う行為が、何かを引き寄せているのかもしれないです、急にスピってます。
ところで、また一気読み。私はもう文章に溺れてしまうと、5分の待ち時間も、お風呂の中も、夜に寝落ちするまでも全て本に使ってしまう。あんなにいつも携帯を肌身離さず持っているくせに、溺れている1~2日は通知もオフにして、とにかく溺れに向かってしまう。えぐい集中力、他でも発揮できるようになるのはどうしたらいいのでしょうか。
金原ひとみさん、初めて手に取ったけどめっちゃ面白かった。話は、28歳、32歳、37歳の女性達の友情論、仕事論、恋愛論を描いている物語で、”女友達”をとても泥臭く書いている本。女友達ってどうして3人以上になると、邪悪な社会が生まれるのだろう。そもそも女友達ってなんなん。昔見たドラマで、”女の友情は生ハムよりも薄い”という台詞が脳裏にこびりついてて、それも一理あるかもしれないと、この28年間生きている中で何度か思ったことがある。それでも、ずっと昔から私を友達だと思ってくれる人達がいてくれるから、今私はここにいれてるし、そんなこと分かってるけど、ただなんなんだろうなと思う瞬間が訪れることが、年に2回くらいあったりなかったりするのが正直なところ。
そもそも女性って人生の転機を迎える回数が多い気がするし、その度に選択しないといけないものが多いと思う。結婚、妊娠、出産、子育て、それと並行して仕事。転機が訪れると考え方や価値観が変わっていくのは当たり前で、その時その時に大切にしたいものの優先順位が入れ替わるのなんて、そりゃそうだろう。なのに、”友達”とはずっとあの時と同じ価値観でいれると甘えがあるのだろうか、そうでいてほしいと勝手に思っているのだろうか。状況によって、気持ちによって会いたい人や、元気をくれる人は1人ではないし、それが場合によっては友達ではない可能性もたくさんあるのに、少しズレるだけで、”なんか違うな、変わったな”なんて思い合ってしまうなんて、なんて脆い関係なんだろう。”2こ1”なんて言葉が流行っていた平成時代を思い返すとゾッとしてしまう。あの濃密なのに厚みがない関係性が無いだけで、別に自分は全然いいのに、なんとなくそれが”友達がいない人”というカテゴライズになるのはなんでなんだろう。女友達とは連まず、1人でいるか、男友達を親友とするかで、これまた”男好き” ”自称サバサバ女”なんてレッテルを貼られるあれはなんだ。もうそういうのが嫌いで、だからクラスの誰とでも話せるように明るく振る舞い、バカで声でかい女を演じたら、”友達が多そう”とみんなに言われながら過ごしたあの学生生活は、一体なんだったんだろうか。そんな言葉をかけるたくさんの人達は、結局私の友達では無いではないか。ふざけんな。
この小説も、3人がそれぞれの世界で地獄があったときはそのほかの2人を羨んだり、妬んだり、”羨ましい”という思ってもない言葉で相手をサゲたり、うまくいかなくなる。ぶつかって離れて、でもそれぞれの世界が少し生まれ変わったり、よくなったらまた3人で集まる。一見仲良いのかどうかわからないこの関係性は、私的には3人とも自分らしくいれる唯一の場所で、意外と腹割って話せる友達なんていないからこそ、現象だけを共有する場所は少し羨ましくもあった。
なんか最近この人間関係模様というか、私の軸がないとなかなかに飲み込まれそうな文章に溺れているということは、何かに悩んでるのか?それとももしくは頑固ババアになってしまったか?ちょっと恋愛小説とかに溺れたいな、そろそろ。積読本から江國香織さんと凪良ゆうさんの本がこちらを見ています。待ってろよ!
最後に私が殴られた文章だけ残しておきます。
👊🏻愛されるのにも努力が必要なんだよ。何の努力もせずに私は私、このままの私が私、私のことが好きじゃない人はどっかいけばいいって思ってる人がどうして愛されると思う?
👊🏻今の私はこれまでの私の結果。あんたはいいよねみたいなこと言うのは今の自分の根拠が自分にないって認めてるのと同義だよ。
👊🏻自分の中の大切なもの、守るべきものは誰も守ってくれないし、自分でそれを守り抜くには理論武装が必要だよ。センスがあれば大切なものとくだらないものの判断くらいはできるけど、そこを自分自身に対しても世間に対しても論理的に説明できないと、人は簡単にたぶらかされて落ちてくからね。言葉は剣であり盾だよ。
