見出し画像

長女は本音をかくして「手が冷たい」と言う。

もぞもぞしている。
寒いのは苦手だ。寒いという理由ひとつで、ガクンと行動力が落ちてしまう。
後回しにしている色んなことを思い浮かべて、「もうちょっと何とかしようよ」「まあまあ。今は無理しなくてもいいって」と頭の中のゆる天使とゆる悪魔が囁くが、どっちがどっちの言葉なのかわからない。この言い合いとも言えぬゆるいやりとりで埋め尽くされるのが、冬。

だって、寒いもん。


すっかり寒くなってしまったので、外に出る時はダウンを着て、マフラーで首を隠す。
自転車の鍵があけにくくなってから、1ヶ月が経ってしまった。本来ならば鍵を回すとガチャンっとバーが動くはずが、動かない。仕方がないので手動でバーを動かしている。

毎日びゅうびゅうと風に煽られながら、自転車を漕いでいる。
仕事場へ向かう朝は小学校の前を通るので、小学生の集団とすれ違う。
子供の友人を見かけることもあるが、冷たい風を受け続けた顔はガチガチに固まっていて、笑顔は引きつっているかもしれない。

信号待ちをしている人たちから少し距離をとり、後方に待機する。冬はみんな白いモクモクを纏っているから、頭上がホワホワしている。信号が青に変わると、歩き出した人の中にタバコを吸っている人を発見した。騙された気分。まるでモクモク詐欺だ。


夏だといきおいで乗り切れることも、冬というだけで億劫になってしまうのだ。
冬生まれなのに、冬が得意ではない。一気にインドアとなり、外の空気感に影響されやすい自分なのだと思い出す。
あたたかくなる頃にはすっかり忘れてしまう、季節限定のこの感情。

どうしたら寒さに強くなるのだろうか。
寒さに強い人は最強な気がしているけど、いつまで経ってもそうなれる方法がわからない。


自転車は、手袋をしていても手が冷たい。

「手が冷たい」と言って家に戻ったことがある。
一人で幼稚園に登園した時だ。
まだ赤ちゃんである弟を看病するため、わたしを幼稚園へ送ることができなかった母。おそらく父は出張中か何かで不在だったので、母はわたしに一人で行くよう命じたのだ。
幼稚園児が一人で歩いて登園だなんて、今は園側から拒否されるかもしれない。当時はセーフだったのかというと、それもわからない。
転勤ばかりの父に連れられて、あの頃は田舎の方に住んでいた。ご近所さんが「近所」ではなかった場所。スーパーへ買い物するのも、車を何十分も走らせないとならないような場所。
幼稚園までの何もない道を、一人でトボトボ歩いたような気がする。
言われた通り一人で向かったのだけど、途中、心細くなり家へ引き返してしまった。家に戻ったわたしが何とかしぼり出して母に伝えた言葉は「手が冷たい」だった。
そういうところがある。「さみしい」も「行きたくない」も言えなくて、別の言葉を伝えてしまう。"長女になる"ってこういうことの積み重ねだったのかもしれない。
その田舎は病院が近くにない。免許を持っていない母は弟を何とかして病院へ連れて行かなくてはならなくて、そのためにはわたしがいると動きにくくなる。一人で幼稚園に行かせるなんて、きっと母も苦渋の決断だっただろう。

家に戻ってきたわたしに困ったような顔をした母は、もう一度送り出した。
二度目は諦めて登園した。だって、困らせたいわけではない。弟が大変なのもわかっている。


寒いときは無理をしないようにしている。

「なんか違うな」と思った人とのディズニーランドのデートや
センター試験の帰りに友人と雪だるまを作ったこと。
遠距離恋愛になることを伝えられて泣いた車内や
入り浸っていた友人宅のこたつでみんなで寝たこと。

何も冬だけが悪いわけではない。どの季節にも、楽しいことも楽しくなかったことも、ちゃんと思い出は存在している。
今となっては過去に引っ張られることも無くなって、自分の成長に安堵する。車内ではちゃんと「さみしい」と伝えることができていた。

きっと、今がなかなかに幸せなのだと思う。
だからこそ落ち着いて過去を思い出せるし、思い出したときに、浸ることはあってもえぐられることはない。


もぞもぞしている。
有無を言わさず外に出るきっかけのある日々で
寒いな、外に出たくないな、って思える余裕があるのは、良いことのような気もする。
青いモフモフのあの子の動画を見つけてにんまりする。ふわぁ。
今日は夕方まで予定がない。
家にいることにしようかな。だって、手が冷たいからね。







いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集