【掌編】拝啓。/灯火杯7th
薫子はいつも通り、発売日に書店へ自転車を走らせた。赤の車体はいつもよりかろやかに走る。
彼の新刊を手にとる。装丁が漆黒で、紅い華が描かれている。
「拝啓」。銀の文字で刻印されたタイトル。
薫子は、はやる気持ちを抑えながらページをめくると、たった2行が書かれた1ページに心臓が跳ねた。
拝啓
僕のいちばんの読者へ捧ぐ。
どうかこの作品が君の永遠の記憶となるように。 敬具
ミステリ作家、行定学人の訃報がニュース速報で流れてきたのは、薫子が書店を出てすぐのことだった。
後に著書「拝啓」は最後にして、最高の作品だと言われるようになった。しかし、そんなことは薫子にはどうでも良かった。
彼の新作を読むことができないのだから。もう、永遠に。
やたらミンミンゼミが遠くに聴こえる。本屋の前でしばらく立ち尽くしただけで汗がにじんだ。薫子は頭を押さえながら、汗をぬぐうことも忘れて立ち尽くした。
+
それこそ学人が同人誌のようなものを書いて作家なるものを目指していたころから、薫子は彼に対して恋心を抱いていた。
大学のサークルの先輩だったが、ほぼ幽霊部員だった学人が薫子を認識していたかは定かではない。文芸サークルは何となく入部する者も多く大所帯で、薫子は学人を年に数回刊行するサークル誌の制作期間で見かけるくらいだ。
それでも、その雰囲気に惹かれていた。
黒縁のメガネといつも黒いパーカーで、ラウンジの同じ席に座っていた。
彼女の手紙は、学生のころはサークルの共通ポストに。
卒業後何年かしてデビューしてからは出版社あてに。
「今回の作品の「君の法則が僕の願いだ」この台詞が好きです」「この部分に先生のすべてが詰まっていると思えました」「この部分にわたしは特に感動しました」
ひらすら薫子は便箋にその美しい文字を埋めていった。否定の文字はない、ただ「愛の」文章を。
-ー読者として、精一杯の愛の言葉を。「拝啓」ではじまり、「敬具」で終わる感想を。
彼の執筆している姿を想像しながら、彼女は、したためる。ファンレター、いや、感想文なんて、
相手がどんな風に読んでくれるなんてわからないのに。
でも、相手の顏を想像しながら、書くのだ。この気持ちが伝わりますようにと祈りながら。
薫子の本名ではなく、当時からのペンネームだった「美郷」を使った。
薫子の存在に学人が自分の顏を思い出さなくてもいい。知られなくてもいい。一番の「読者」でいたかった。新刊と言っても名の知られていないうちは大々的に宣伝されるわけではない。それでも出版社情報などをたどって、手紙を贈った。
「拝啓 学人先生」
一度だけ、出版社からお礼の手紙が来た。パソコンの温度感のない文字だ。
「美郷様 行定先生の作品に毎回お手紙をいただき誠にありがとうございます……」
形式的な文面の最後の一文に、「美郷さん、あなたには最後の作品まで読んでほしいです」と手書きの文字が添えられてあった。深い青の万年筆。一度だけデビュー作のお祝いに薫子が贈ったものかはわからない。それでもよかった。薫子は、手紙をしおりにするために丁寧に切り取った。
しばらく新刊刊行まで間があいた。
彼の病状は確実に悪化していた。編集者は、彼が病室から書いた原稿を静かにまとめていった。
原稿がつまると、時に偏屈になって荒れ狂う彼も、「そろそろだな」とこれまでにない表情を見せた。編集者は「やめてくださいよ、俺がどうしていいかわからないですよ…」と眉を八の字にしならせた。彼はまだ若い。
ふたりは今までにないほど、頼りなく寂しそうだった。
病室で上梓した3冊、そして最後の「拝啓」。
行定学人は最後まで作家だった。
薫子も、最後まで彼を愛する読者だった。
「敬具」
お題は感想文。創作大賞感想文では50作品書き切りました。
気づいたのは、感想文は愛であること。
わたしは久しぶりの参加です!よろしくお願いします✨
・ジャンル:不問(エッセイや小説、その他でもなんでもOK)
・文字数:1,000字以上3,000字以内
*ただし、写真やマンガ主体の場合は文字数制限はありません
・新規作品のみ(過去作NG)1人1作品まで
・期間:2026年8月2日(日)~31日(月)
上記期間に新規投稿されたnote作品が対象となります。
・参加条件:このnoteを引用して貼り付けてください

いいなと思ったら応援しよう!
だいすきなチーズケーキと小説につかわせていただきます!よりよい作品のエンジンにいたします。