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デビッド・バーンに見る、「老いる」ということの本質

デビッド・バーンが好きだ。
彼の音楽をとても愛しているし、アーティストとしての彼の存在、彼の思想や考え方にとても敬意をもっている。

2020年の『アメリカン・ユートピア』は素晴らしい作品だった。
そのライブ・パフォーマンスは圧巻だった。
著作『音楽のはたらき』はどこを読んでもたくさんの示唆を与えてくれる素晴らしい本だ。彼の音楽、言葉、パフォーマンスはどれを見ても触れても、彼が今もなおとても深く物事を考え続けているのだということがよくわかる。

考える、ということは正解を出すということではない。
勘違いしてはいけないのは「これはこういうことか!」という気づきや発見は正解ではないということだ。正解、と思った時点で思考は止まってしまう。
「こういうことか!」と発見したけど、その瞬間から「本当にそうかな?」という疑いが生まれてまた考え始める。正解などないのだ。考えることが終わることもない。正解に辿り着くことは死ぬまでない。いや、死んでも正解には辿りつかない。考える事に終わりはない。

デビッド・バーンは「考え続けている人」である。
とても考え続けている人だ。常に深い問題意識をもって考え続け、それを作品にして続けている。
言葉にして、音楽にして、パフォーマンスにして。

彼はアーティストとして全く老いていない。

老いる、ということはどういうことか。
肉体的には全ての人が必ず老いて死ぬ。
肉体には限界がある。体が衰えて動けなくなる。
それは確かに老いである。
でもアーティストとして、思考する人間として、表現者としての彼は全く老いていない。
若い時と同じように皮肉をこめたり、深い示唆を与えてくれるような発言をしたり、笑わせたり、僕らの心に突き刺さるようなパフォーマンスや言葉を伝えてくれたりする。
これは素晴らしいことだと思う。
感謝しかない。

肉体的な限界は誰にも必ず訪れる。
だが考えるということは死ぬギリギリまで可能なのではないか?まあ僕はまだその年齢に達していないので真偽のほどはわからないけれど。
デビッド・バーンを見ていると、考え続ける事でいつまでも先鋭的なアーティストとしてあり続けることができるのだと確信できる。

アーティストが老いる、というのはルックスのことではない。
何の深みも思索も、何の刺激もない表現や作品を垂れ流し続けたり、意味もなく惰性だけで生きているような活動を続けたりすることだ。
老いて停止してしまうアーティスト。

成功というのは、時にアーティストを殺すことがある。
急速に老いさせることがある。
大きな成功をしたアーティストが急速にしぼんでいくのは、深く考えることも、問題意識をもつことも、次にやることの意味も失ってしまったためそこで寿命が尽きてしまったからだろう。
それは肉体的な年齢に関係ない。20代でも30代でも「老いて朽ちて」しまったアーティストは山ほどいる。そっちの方が多いくらいだ。
デビッド・バーンは、成功と名声を手に入れたことで老いることはなかった。彼は「成功していなかったら続けられたらどうかわからない」と書いている。成功によって創作をさらに続けることができたということか。

彼は現在74歳。
今もたくさんの物事を深く考え、感じ、疑問を抱き、憤ったりしながら全く止めることなく、その意思を表現や創作を通して発表している。最高レベルのクリエイティビティを今も発揮している。

考え続けている人間は老いない。
考えなくなった人間は確実に老いる。
20代でも脳が老衰している人がいる。
考えさせないAIがさらに老いを加速させる。

人を老いさせないのは、意志や思想、哲学なのだと思う。
デビッド・バーンは今日も刺激的であり続ける。



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