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「1928年のエルサレム会議」➡︎その精神の「エキュメニカル運動の発足」➜「賀川豊彦の神の国運動」➜「世界連邦運動」

6508文字

はじめに

ワシの2作目のnote。大したことないから消そうかな?と思って見返してたら、今見ると色々読み取れるんだわ!(^◇^;)

武士道の続きも書いたし、この国家の『日本人精神の捏造』『武士道』精神の調べも進んでいたのだ。

気づいてもまとめるのは大変なんだけど、今はAIあるからね。


⭕️【先に答えの要約】

Gemini:エルサレム会議(1928年)から「神の国運動」、そして戦後の「世界連邦運動」へと至る流れは、賀川豊彦の中で完全に一本の線で繋がっています。


神の国運動

エルサレム会議の精神➡︎エキュメニカル運動の発足➡︎日本の賀川豊彦
が持ち帰り➡︎「
神の国運動」を提唱し、日本基督教会牧師の富田満が委員長に就任した。

賀川豊彦富田満はコンビを組んで「神の国運動」の全国伝道に尽力した。

賀川豊彦                  富田満

「1928年のエルサレム会議」➡︎その精神でのエキュメニカル運動の発足

1928年にエルサレムで開催された国際宣教評議会(IMC: International Missionary Council)の第2回総会(通称:エルサレム会議)は、20世紀のキリスト教史、特に世界宣教と教会のあり方を根本から変えた、歴史的な大転換点となった会議です。

それまで主流だった「白人・欧米中心のキリスト教」から、「グローバルで対等なキリスト教」へと脱皮するきっかけとなりました。

この会議の重要性を、いくつかのポイントに分けて解説します。

1. どこで、いつ、誰が集まったのか?

  • 時期: 1928年3月24日 〜 4月8日

  • 場所: エルサレム(オリーブ山)

  • 参加者: 世界50カ国以上から、約250名のキリスト教指導者が集まりました。

最大のポイントは、参加者の約4分の1がアジア、アフリカ、ラテンアメリカなどの「現地人(非欧米人)の指導者」だったことです。それまでの世界会議は欧米の宣教師たちが方針を全決定していましたが、この会議で初めて、現地教会のリーダーたちが対等な立場で発言権を持ちました(日本からは賀川豊彦千葉勇五郎などが参加しました)。


2. 日本への影響

この会議には、日本から賀川豊彦千葉勇五郎らが出席していました。彼らはエルサレムで共有された「社会の痛みに寄り添うキリスト教」というビジョンを持ち帰り、翌1929年のJ.R.モット来日を経て、日本独自の巨大な伝道・社会運動である**「神の国運動」**をスタートさせることになります。

ジョン・モット  YMCA

1889年にコーネル大学を卒業したモットは、YMCAの働きを中心として、世界の学生キリスト教運動や世界教会運動の指導者として活躍する。そして、1910年エディンバラで開催された、世界宣教会議の立役者として活躍した。
モットはその委員長として会議の精神と成果を世界に伝えた。これが、世界教会協議会になっていく。

合計10回来日し、1925年と1926年の来日の際は日本の財界政界の指導者を招いた諸集会でも講演を行い、大きな影響を与える。1929年日本政府から天皇自らが受章者に直接授与する勲一等瑞宝章を送られた。
1946年にモットは絶対非戦論者のE・G・ボルチと共にノーベル平和賞を受賞する。1955年1月31日に死去。昭和天皇は1922年から1949年にかけて5回にわたり謁見を受けた経緯もあり、死去の報に接して家族に弔意を伝えた。

千葉勇五郎
日本の牧師・教育者。日本のバプテスト派の指導者、関東学院名誉院長。

1940年10月17日の神嘗祭の日に青山学院で開催された皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会の祈祷を担当して、「一心一体祖国の使命達成のために、御国建設の為に、我らの身も魂も尽くすことを赦してくださるように。新しき天と新しき地を地上に実現する者となることができるように」と祈っている。

皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会

3. なぜこの会議が開かれたのか?(時代背景)

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