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映画感想『グラン・トリノ』

原題「GRAN TORINO」

◆あらすじ◆
フォードの工場を引退して妻にも先立たれた孤独な老人ウォルト。自身の家がある住宅街に次第に外国人が増えていくことを、彼は快く思わなかった。そんなある日、自宅の庭でモン族の少年タオを不良グループから助けたことから、ウォルトは徐々に心を開いていく。


⚠️ネタバレしてます

2009/05/18記


一人の老人の人生にアメリカの背負う光と闇を映し出した人間味溢れる渾身の作。


私たちが知っている華やかで最先端と言うイメージのアメリカはまるで表面で、その地に根強く残る差別や犯罪を浮き彫りにし、それを通して人間の変化を実に濃厚に描いたイーストウッド監督らしい秀作となっている。


アメリカでは年々アジアからの移民が増えている。アタシが20代の頃頻繁にアメリカを訪れていたあの頃(1980年代〜90年代) でさえ、年を追う毎にアジア系(あの頃は特に韓国人)が幅を利かせる様になっていた。

この主人公ウォルト(イーストウッド)は朝鮮戦争の帰還兵であり、自分の住む地域にアジア系の移民が増える事を快くは思っていない。息子達とは自分の頑固さから疎遠になり、そのうえ妻を亡くす。しかしそんな寂しさを心の何処かに押し込め、頑固さは更に増すばかりだ。いかにも他者を寄せ付けないしかめ面と威圧感で自分のテリトリーを守る事に執着する。


だが、言葉の通じないアジア人に囲まれ嫌々ながらも交流を持たざるを得なくなる。


この作品は日常を描きながらもその中で起こる幅広い問題点を提示している。
戦争或いはそれによって生まれる偏見、家族の在り方、移民、差別、信仰、犯罪、そして死だ。
しかしイーストウッド監督の作品は常に前向きであり、希望を見失わないと言う点でこの作品が前作「チェンジリング」にも増してより人生の在り方を解り易く描いている点で感心させられる。
今まで生きてきた人生が齎したものはこの後の人生に決して全てが値するものでは無いとこのストーリーは語っている。
年老いて尚自分が踏み入れた世界はまるで今までの考えを180度変えてしまうものだったとしたら?主人公はそれを僅かずつでも受け入れ、そして残された自分の人生と命を捧げるに値する価値を見つける。

自分はどう生き、どう死ぬのか?その意味は一体どうしたら見つけられるのか?

過去にフランス映画で「ぼくを葬る」と言う作品がある。余命を宣告され自分の死に方を手探りながらも見つけると言うテーマのものだがまさしく今作「グラン・トリノ」もそう言う作品だと思う。
人間は「一瞬の死」の為に何十年と言う時間を費やしその満足度で最期の締めくくりを飾る事が出来るのだ。アタシはこの作品を観て改めて「最期の時の演出」と言う事を考えた。
その一瞬を自分がどう感じられるのか?自分の死の意味をどう見いだせるのか?主人公ウォルトは何十年間も頑なに自分が守ってきた価値観を最後の何日かで覆した。人生の転機は決して自分の考える常識の範囲では無いのだとこの作品は言ってる様にも思える。彼の最後の数日は最も充実し価値あるモノだとあの遺書が示しているのだと思う。

それにしてもイーストウッド監督は俳優としてもめっちゃかっちょ良かったなぁ!
あの若いアホなギャング達を銃を手に威嚇する姿や一人でアジトに乗り込んでいくあの様子なんて今でも「キャラハン」出来るんじゃね?って思わせるよね。やっぱ昔取った杵柄じゃないけど様になってるわ。


監督としても各キャラクターの背景やら人となりをしっかり捉えて厭みなく作り上げられているのが鑑賞し易い所なんでしょうな。テーマはあくまでも名も無い通りや家族で、そう言う所からこれだけの事を盛り込んで観客に押し付けるのではなく感じさせるその手腕がやはり素晴らしい。フォードの工場に長年勤めあげ或る意味職人気質でその頑固さが裏目に出てる息子達との遣り取りとか同年代の親を持つ身として結構自分と重ねて観ちゃいました。最後の方で息子に自ら電話をするシーンとかかなりグッと来ちゃって「おい!息子よ、滅多に電話なんてして来ない親父の話を聞いてやれよ!」って思わず言いたくなっちゃったしね。そう言うちょっとしたシーンが観客の胸にちょっとずつ残ってこの評判に繋がってるんだろうね。いい作品です。

笑えるシーンもたくさんありました。あの床屋のシーン(キャロル・リンチさん相変わらず頭ピカピカ~✨)とかこの大人たちアホちゃうか?ってね。男の会話・・・かなり笑える。


何処かで「差別が描かれてて好きじゃない」という感想を読んだけどそう言う感想こそ悲しかったな。

綺麗事だけじゃ生きて行けねーよ。



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