【読了】畠山丑雄「改元」

畠山丑雄「改元」読了。
20251007

某選書「私が知らない自由な小説」3冊目。
ここにきていよいよまったく素性を知らない作者がおでまし。
中編が2本。それぞれいきます。

「改元」
森見登美彦「きつねのはなし」とか川上弘美「蛇を踏む」とかのように、人ならざるものが時間の堆積を賢さとして獲得したような存在が潜んでいます。彼らは悪意を持っているのではありません。その生き方の習性が我々の目には悪意として映るだけです。習性には悪意も善意もないのです。あまりに存在として巨大なので、湧き水に口をつける時の尻尾の一跳ねが我々を打ち付けて、深い傷を刻むのです。
一つ前に読んだ「歩山録」の表現の巧みさを褒めそやした手前言いにくいですが、こちらも素晴らしい表現で紙面が埋め尽くされていました。またそれかよって思っても思ってしまったもんはしょうがないし、そもそも偶然ではないのでしょう。選者は「信頼できるものが選べたという自負があります」と語っています。そのフィルターが強くかかっている証左に違いありません。表現の良さは、しかしそれぞれで異なっていて、「歩山録」は我々と同じセンサーを備えているけどそこから得た情報を言葉にする時の変換機構に独自性があるのに対して、「改元」はそもそも我々が持ち得てないセンサーで世界を読み取っていてだからそれをそのまま言葉にしただけ。そんな違いを想像します。この両者の仕組み自体の違いに優劣はありませんが、今回の例で言えば「改元」の方が好みです。刀のシーンとかたまんないですね。
この小説は明確な形を持ちません。作者にとっては明確な物語なのだろうと思いますが、私には道理が掴めぬ話でした。そうなると、何か象徴的なものと捉えて、例えの遡及もしたくもなりますが、私はやめておきます。もちろんめんどうくささもありますが、単にこの小説の表現の良さが味わえればそれ以上の奥行きは要らないです。集落の側を流れる川を、「さんずいのようにいつも傍らにある水面」と表していました。もうこれだけで十分です。
とてもよかったので嫁さんにも勧めたところすぐに読んでくれて、曰く、男性登場人物たちの会話は血が通ってる感じするけど、女性の登場人物のセリフはなんかちょっと嘘っぽい。童貞が書いた?とのこと(意訳)。面白いって言った上で。

「死者たち」
そんな「改元」を上回ってこっちがすごい。「改元」でその素晴らしい表現に脳まで浸かりきりましたが、読むのが少し億劫になるような読めてるか不安になるような気持ちが正直ありました。足の先がなんとか水底をひっかくような、砂浜からかなり離れた海に漂ってる心地でした。対して、「死者たち」は岩肌を転がるような小説。どこで向きを変えてどこで跳ねてどこで止まってどこで加速して、そしてどこで潰されるのか、予想がつかない面白さがずっと続きます。しかもその動きはあまりに速くて我々には残像しか追えませんが、残像と残像を結んでいくと直線ではなく美しい曲線軌道が脳内に補完されます。加えて、残像として書かれるエピソードの一つ一つがそれだけで魅力の塊です。「改元」の表現の良さは鞘に納められていますが、むしろ文章の上手さが際立っていて、洒落を感じさせる軽やかさがあります。こういうのが書ける作者に久しぶりに出会いました。自由な小説かと言われるとそうでもないような気がしますが、間違いなく私が好きな小説です。野暮とわかっていても、中編として終わってしまったことがもったいなくてなりません。
嫁さんは読み終わった時に「えっっ!?」と声が出ていました。

余談ですが、「改元」で見られた特定の文章構造の反復が「死者たち」では全く見られなかったので、翻ってあれは表現の使いまわしなんかではなく、意図に基づいたことと知れました。その意図は知れませんが、自分の愚かさをしたたかに知ったのでした。

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