他人の人生を見ながら、自分の人生の正解を探していた
夜、ベットでなんとなくInstagramを開く。
友達の旅行の写真が流れてくる。
おしゃれなホテルでご飯を食べていたり、ずっと欲しがっていたものをついに手に入れていたり。
「結婚しました」の報告。
たくさんの人に囲まれて、心から楽しそうな顔。
『いいなあ。』
自分よりうまくいっている人を探しては
その人が何をしているのか、どんな考え方をしているのか、気づけば夢中で追いかけている。
「私もこうなれたらよかったのに」
「どうしたらこうなれるんだろう」
「私には、何が足りないんだろう」
そんなことをぐるぐる考えているうちに、
いつの間にか自分の人生と、
誰かの人生を並べて比べている。
そして、静かに落ち込む。
自分には何もないような気がしてくる。
人生のどこかで、
道を間違えたんじゃないかとさえ思う。
頑張りたいのに、
何を頑張ればいいのか、わからない。
そんな1日の終わりを繰り返す。
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「羨ましい」は、悪い感情じゃないのかもしれない
人を羨ましいと思うことは、
良くない感情だと思い込んでいた。
「人と比べるのはよくない」
「人は人、自分は自分」
頭ではわかっている。
それでも、羨ましいものは羨ましい。
友達が楽しそうに旅行していれば
「私もそんな時間がほしい」と思うし、
誰かの結婚報告を見れば
「私にもそんな未来があったらいいのに」と思ってしまう。
仕事で結果を出している人を見れば
「私も何かを成し遂げたい」と思うし、
欲しいものを気軽に買っている人を見れば
「私もそのくらい余裕を持ちたい」と思う。
そのたびに、そんな自分にがっかりする。
「また比べてる」と、自分を責めたくなる。
でも最近、
少しだけ違う見方ができるようになった。
羨ましいと感じること自体は、
悪いことじゃないんじゃないか。
その気持ちの奥には、たいてい
「私もこうなりたい」という、
まっすぐな願いが隠れているから。
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私は、他人の人生の中に「正解」を探していた
きっと私は、
ただ人の生活を覗きたかったわけじゃない。
自分の人生の「正解」を、
他人の中に探していたんだと思う。
うまくいっているように見える人を見ては、「こういう生き方をすればいいのかな」「こういう仕事を選べばいいのかな」「これが幸せってことなのかな」と考えていた。
だから、うまくいっている人の投稿やノウハウばかり追いかけてしまう。
その人が何をしているのか。
どうやってそこまでたどり着いたのか。
自分にも真似できることはないか。
そうやって他人の人生を眺めながら、
自分のこれからを決めようとしていた。
でも、それをすればするほど苦しくなる。
誰かの人生がうまくいっているように見えるほど、「じゃあ、私は?」という気持ちが大きくなっていくから。
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20代後半になると、余計に比べてしまう
20代後半になると、周りの人生が少しずつ形を変えていく。
結婚する人。仕事で結果を出す人。好きなことを仕事にする人。自分の家を持つ人。趣味を極める人。
SNSを開けば、
それが全部、一度に流れ込んでくる。
しかも見えるのは、たいていその人の
「いちばんいいところ」だけだ。
楽しそうな旅行。美味しそうなご飯。
素敵な恋人。嬉しい報告。
それを見ていると、
自分の生活には何もないような気がしてくる。
でも本当は「何もない」わけじゃない。
人の人生の『ハイライト』と、
自分の人生の『全部』を比べていただけなのかもしれない。
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「羨ましい」は、自分の本音を教えてくれる
誰かを羨ましいと思ったとき、その気持ちを「ダメなもの」として押し込めるのではなく、自分に向き合ってみると見え方が変わってきます。
「私は、何が羨ましいんだろう?」
旅行している友達が羨ましいなら、本当にほしいのは「旅行」そのものではなく、自由に使えるお金や、好きな人と過ごす時間かもしれない。
結婚した友達が羨ましいなら、ほしいのは「結婚」という形ではなく、安心できる誰かと一緒にいる感覚かもしれない。
仕事で成功している人が羨ましいなら、ほしいのはお金かもしれないし、誰かに認められることかもしれないし、「私にもできる」という自信そのものかもしれない。
そう考えてみると、「羨ましい」という感情は、ただ自分を苦しめるだけのものじゃなくなる。
自分が本当は何を求めているのか、そっと教えてくれるサインです。
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それでも、落ち込む日はある。
もちろん、そんなにきれいに切り替えられるわけではありません。
「比べないようにしよう」と思っても、比べてしまう。羨ましいと思うこともある。自分だけが取り残されているように感じる夜もある。
だから、「他人と比べるのをやめよう」とは、もう思わなくなった。
たぶん、完全にやめる必要もないと思っています。
誰かを見て「いいな」と思っていい。
「私もそうなりたい」と思っていい。
その気持ちを、自分を責める材料にしなくていいんです。
ただ、その人の人生を見て、
「だから私の人生はダメなんだ」
と自分を否定しないこと。
その人の幸せと、自分の幸せは、
もともと別のものだから。
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自分の「嫌いなところ」も、見方を変えれば違って見える
私はずっと、
人に気を遣いすぎる自分が嫌いだった。
もっと自分の意見をはっきり言える人になりたい。もっと堂々としていたい。ずっとそう思っていました。実際いまもそう思っています。
でも少し考え方を変えるように心がけています。
人に気を遣えるということは、相手が嫌な気持ちにならないように考えられるということでもある。表情や空気を感じ取って、「今これを言ったら傷つけてしまうかもしれない」と立ち止まれる。それは、誰にでもできることじゃない。
もちろん、気を遣いすぎて自分が苦しくなることはある。そこは少しずつ、無理のない形に変えていけばいい。
でも、「気を遣いすぎる自分=直さなければいけない自分」というわけでもないのかもしれない。
同じ性格でも、見方を変えるだけで、
欠点にも長所にもなる。
そう思えるようになってから、他人にあるものを探すより、自分がすでに持っているものにも、少しだけ目を向けられるようになりました。
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他人の人生を、見なくなる必要はない
SNSを見るのをやめなくていい。誰かを羨ましいと思ってもいい。憧れてもいい。「あんなふうになりたい」と思ったら、その人から学んでもいい。
ただ、他人の人生を眺めながら、自分の人生の「正解」まで決めなくていい。
その人にとっての幸せが、自分にとっての幸せとは限らない。その人が30歳で手に入れたものを、自分も30歳までに手に入れなければいけないわけでもない。
人生には、それぞれのタイミングがある。
そしていま、「何が幸せなのかまだわからない」としても、それは人生に失敗しているということじゃない。
これから、自分の幸せを探している途中というだけだ。
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誰かの人生を見て、「いいな」と思った日。
そのあとに、「私には何もない」と落ち込んでしまった日。
そんなときは、少しだけ立ち止まって自分にこう問いかけてみてください。
「私は、何が羨ましいんだろう?」
もしかしたらそこに、あなたが本当に欲しかったものが、隠れているかもしれない。
そして、自分にないものばかり数えるのではなく、今の自分がすでに持っているものにも、一度目を向けてあげてほしい。
私自身も、まだ探している途中です。
自分にとって何が幸せなのか。どんな人生を送りたいのか。何を頑張りたいのか。全部はまだ、わからない。
でも、少なくとも、誰かの人生を見て「自分もこうならなきゃ」と焦るより、
「私は、本当はどうなりたいんだろう」
と、自分自身に聞いてあげることから始めたい。
誰かの人生を羨ましく思ったとしても、それはあなたの人生が失敗している証拠じゃない。
ただ、まだ見つけていない自分の「幸せ」を誰かの人生の中に一足先に見つけただけなのかもしれない。
だから少しだけ他人の人生から目を離して、自分の人生を見てみませんか?
