頭が良すぎるから、僕らは子どもを産めないのかもしれない
ショーペンハウエルという哲学者を知っているだろうか?
彼は基本的に他人を見下していた。
彼自身は決して人に誇れるような人格者ではなかった。
しかし、彼の世の中を徹底的に舐めてかかるスタイルは現代の私たちも学べるところがあると思う。
彼にとって人間とは「非合理」で「不誠実」で馬鹿な奴だと思っていた。(彼自身は例外らしい)
人間は欲などの衝動によって突き動かされており、完全に理性で自分をコントロールすることは難しいと言っている。
彼は孤独を愛した。なぜなら、他者と関わるということは、必然的に他者の「ものさし」で自分を測られることになるからであり、それを受け入れることができなかったから。
孤独であるときに、人は完全に自分自身であれるとした。
彼に言わせれば、「世界」は苦痛に満ちており、私たちの偏見という「フィルター」通してしか知覚できないとした。
そして、そんな苦痛に満ちた世界からは、「芸術」を通してでしか一時的に逃れる方法はないとした。
ここでいう「芸術」とは、「自分自身が時間を忘れる、自分を忘れるほど、熱中できる対象」をいう。
僕たちが衝動や苦痛から逃れるには、一時的ではあるが「現実逃避」するしかないのである。
それはあえて「視野を狭める」ということなのかもしれない。
知れば知るほど、世の中理不尽なことや非合理なことで満ちていると感じてしまうのは僕だけだろうか。
様々なことを経験して視野を広げることは、より客観的に物事を見ることを可能にしてくれる。
しかし、そうなると今度は行動ができなくなる。何が正しいか分からなくなるからだ。
となれば、正解かどうか、役に立つかどうか、などの定規を度外視して、何かに盲目的に熱中するということが「幸せ」につながるのかもしれない。
ショーペンハウエルは、結婚に関してこうも言っている。
結婚とはとりもなおさず、男がその権利を半減されながら、その義務は倍加されるということを意味する
今からすると、とんでもない男尊女卑の発言だ。
この発言から分かるように彼は生涯独身を貫いた。親の莫大な遺産があったので、無理に働く必要もなかった。
彼はこんなことも言っている。
生殖の営みが、欲求でもなく快楽でもなく、純粋な理性的熟慮の仕事だとしたら、はたして人類はそれでも存続するだろうか?
むしろ誰でも来るべき世代に同情するあまり、できれば生存の重荷を彼らに負わせないですますか、少なくともそういう重荷を彼らに課す無常な役目を受けたがらないのではないだろうか?
非常に鋭く、面白い意見だと思う。
現代の出生率が低い原因を見事に言い当てているのではないかと。
僕たちは現代人は理性が発達しすぎたために、「結婚して子どもを産むことが、子どもにとってほんとうに幸せな事なのか」を考えるようになったと思う。
そして、理性的になるほど、子どもを産むという選択が取りにくくなる。
なぜなら、この世は「苦痛」で満ちていることを体感しており、それを子どもにも課すのが正しいのか分からなくなるからだ。
僕は、人間関係には「論理」とか「効率」とか「正しさ」を持ち込んではいけないと考えている。
なぜなら、もしそれらを持ち込むと、多くの場合、孤独に生きることが正しいとなってしまうからだ。
人間関係とは非合理で非生産的であるべきだと僕は思う。
が、言うは易く行うは難しで、僕自身も一人が好きである。
でも、積極的に人間関係をつくる努力はしていきたいと思っている。
皆さんは、生産性に憑りつかれて人間関係まで切ってしまってはいないだろうか?たまには、感情に任せて生きてみるのもどうだろう。
ではまた。弱者の勝ち方でした。
参考書籍

