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【ゾーン】とは、神の領域なのか



あの瞬間、私以外のすべてが止まって見えた
学生時代、ラグビーの試合でのことだ

試合は後半の終盤
残された時間は、わずか数分
押されていたのは、僕らだった

スコアでは僅差のリードを保っていたが、安心できるほどの差ではない。相手に一度トライを奪われ、そのあとのゴールキックまで決められたら逆転されてしまう

時間だけが消えていく。が、相手の勢いは落ちない。守り切るには長く感じた、もう一度攻めるにはあまりにも短い。そんな時間帯だったかな

だがそのとき、相手の反則から敵陣へ入る機会が訪れた。マイボールでスクラムを組める。おそらく、これが最後のチャンスだったはずだ

チームの司令塔であるスタンドオフは、スクラムから右のラインへボールを回し、そのまま攻め込む判断をしていた

それが僕らの選んだ形だった

しかし、フランカーとしてスクラムに入る直前、私の意識はまったく逆を向いていたのだ。(右ではない ここは左だ)

当然まだボールは動いていない、相手の守備も一切崩れていない。その時は左側に道が見えていたわけでもない。それなのに、自分のなかには不思議なほど迷いがなかった。(絶対いける!)

戦術的な根拠があった?わけではなく、チームの誰かに伝えたわけでもない。僕はなぜかそのあとの流れを先に知っているような、言葉では説明できない確信だけがあった…



スクラムが組まれた

フォワード全員が踏ん張り、こちらが有利に運べるいいボールが出た。予定どおりボールは右へ展開されていく。右ウイングまで渡ったところで、相手の激しいプレッシャーを受けた。前へ出ようとするみかたと、それを止めようとするあいて。身体がぶつかり合いコンタクトプレーが続いた

そう、ここだ
私は、この瞬間を待っていたのだ

右ウイングが内側へ切れ込み、グラウンドの中央付近に皆が集まっていき、そこに密集ができた。この流れはまさに、スクラムを組む前に感じていたもの”そのもの”だった

相手も必死だった当然だろう、こちらも超必死だった。僕らも相手もほとんどの選手が、ボールのある右側へ意識を向けていた。次の攻撃に備え右には再びラインができ始めていた

けれど私は、迷わず左へ回った

左ウイングのさらに後ろまで下がり
右とは逆のラインをつくった。
(右と左)

ここで攻撃の選択肢が、二つに分かれた。あとは、ボールがこちらへ出てくるかどうかだけ。その一点のみ

私は、ほぼ最後尾から声を張り上げた
「左や! 左に出せ!」ええから回せ!!!
その声に、スクラムハーフが反応した

密集から出たボールが、右ではなく左へ動く。左ウイングに渡り、そこから私のところへ来た。ボールを受け取った瞬間、確信はさらに強くなった

抜けるぞ
そう思ったのではない
もう、抜けることを知っていた
””走り出した私の前には一本の道””ができていた

広いグラウンドのなかで、そこだけが切り開かれているように見えた。まったく迷いはなかったし、コースを探す必要もなかった

追ってくる相手(敵)がいる。最後尾を守る相手も、こちらへ向かってくるが、私には届かない。走るスピードが遅くなったのか、自分だけが速くなったのか。それはわからん

ただ一つ言えることは、僕にはすべてが止まって見えていた・・・敵の動きもまわりの景色も、その場に置き去りになっていくのだ・・・……

例えるなら僕は一本の戦場を、ただ真っすぐに走り抜けた。そのあと、ゴールポストの真下にボールを置いた。「ピピーッ、トライ!」




審判の笛と声が響いた

それでも私は
自分が何を成し遂げたのか?
その時は、まだ理解していなかった


普通ならトライを決めたあと、ボールをキッカーへ渡す。何度もやってきたことだ。ところがそのときの私には、その記憶がまったくない…

我に返ったのは、ゴールキックをする仲間がポールの下へボールを取りに行く姿を見たときだった

何をしに行くんやろ
一瞬、そう思った
そのあとで、ようやく理解した

あそこにボールを置いたのは、自分だったということに。トライを決めたのは、私。身体はすでにプレーを終えていた。それなのに、意識だけが少し遅れて戻ってきた

不思議な感覚、だったな

よっしゃー、やったー、勝負を決めた

そうした感情よりも先にあったのは、自分の身に何が起きたのかわからないという戸惑いだった。私はスクラムを組む前から、左に何かがあると感じていた

実際にボールは右へ動き、皆が中央に集まり、左側に道ができた。自分の声からボールが動き、その先にいた私が走り切った。まるで、これから起きることを先に見ていたようだった

もちろん、未来が見えていたわけではない

何度もスクラムを組み、何度も相手の守備を見てきた。味方がどう動き、相手がどこへ集まり、どこに空間が生まれるのか

それまでに積み重ねてきた経験が、記憶のどこかに残っていたんだと思う

しかし、それらを頭のなかで計算した覚えはない。考えるよりも先に、身体が反応していたと言うべきだろう

いや、身体だけではない

その場の空気と相手が右へ寄っていく気配。仲間の動き。で、言葉になる前の確信。それらが一瞬で重なってしまったのである

当時の私は、それを「”勘”」だと思っていた。けれどいま振り返ると、勘とは何もないところから突然生まれるものではないのかもしれない

直感とは、根拠がないのではない

積み重ねてきた経験と記憶が、理由を説明する時間を飛び越えて答えを出したものではないだろうか。だとすればあの瞬間、私が触れたものは、いったい何だったのか?

それが、ゾーンだったのだろうか


ゾーンは

自分の意思で呼び出せるものなのだろうか

正直、私にはわからない

少なくとも、あの日の私はゾーンに入ろうとしていたわけではない。ただ目の前の試合に集中し、自分の役割を果たそうとしていただけだった

それでも、あの時間だけは明らかに違った。時間の流れが変わり、周囲の動きが止まり、身体が意識を追い越していったのである

それを神が与えた奇跡と呼ぶ人もいるだろう、たぶん。でも、何も積み重ねてこなかった私に、突然あの景色が与えられたわけではないとおもう

何度もスクラムを組んだ、何度もタックルを受けた。思うように走れない日もあった。それは、頭では忘れても身体は覚えていた

あの日…。僕の前に現れた一本の道も、突然そこに生まれたものではなかったんだと思う。それまでの経験と記憶が一つにつながり、ほんの一瞬だけ形になって見えた

ゾーンとは、神の領域なのか??
もしかすると、そうなのかもしれないな

もし本当にそう呼ぶのなら、その入り口は思っているよりもずっと人間臭い場所にある。繰り返し、失敗し、それでも続けてきた時間

誰にも見えないところで積み上げてきたものが、考える自分を追い越した瞬間、人はその領域に触れるのだろうか

私はいまでも、ときどきあのトライを思い出す
すべてが止まって見えたグラウンド

誰にも追いつかれなかった、あの【”一本の道”】

あれが本当にゾーンだったのか、いまも答えは出ていない。ただ一つだけ確かなのは、何十年経ったいまも、・・・・・

あのときの感覚だけは

身体の奥に残っているということだ




おしまい


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