見出し画像

「学校で学ぶこと」と「会社でしていること」 、何かズレていませんか ―「子ども新聞」はあなどれません


みなさんは、新聞をとっていますか。
うちは、日経新聞を購読していましたが、家計がきびしくなったので、あきらめました。
そのかわりに、「子ども新聞」を配達してもらっています。

先日、その子ども新聞を読んでいたら、立ち止まってしまう記事が載っていました。

中国の韓(かん)という国の君主が、酒に酔って眠り込んでしまいました。ある臣下が、冷えないようにと、君主へ衣をかけました。ところが、この臣下は冠係でした。目を覚ました君主は、衣をかけてもらったことを喜びました。でも、それを冠係がしたのだと知ると、衣係と冠係の両方を処罰しました。衣係は「自分の仕事を怠けた」から、冠係は「他人の仕事に手を出した」から、という理由でした。

参考・引用:毎日小学生新聞「学びや 漢文」2026年8月14日付


韓非子と孔子

これは、中国の韓非子(かんぴし)の逸話です。
韓非子は、国家を治めるには、善意や思いやりだけに頼るのではなく、役割や権限、そしてルールを明確にすることが、大切だと考えました。
これは、会社という組織を考えるときに、特に、当てはまることが多いと思います。

一方、同じく中国の思想家で有名な孔子(こうし)は、互いを思いやる心「仁」が、大切だと考えました。

学校で学ぶことは、孔子の「仁」と重なる部分があります。
たとえば、「困っている友だちを助ける」、「みんなで協力する」ことは、「協働的な学び」の一つとしてつながることもあります。

「学校で学ぶこと」と「会社でしていること」が、少しズレていませんか

けれど、会社に入ると、状況が一転します。
困っている同僚を助けても、評価されるとは限りません。逆に、担当外の仕事に手を出せば、越権行為として批判されることもあります。
会社で求められるのは、「思いやり」だけではありません。「役割とルールをわきまえた姿勢」も求められます。

実は、孔子も、「仁」だけでなく、上下関係や役割分担を大切にする「礼」という考えを持っていました。
でも、学校の授業では、「仁」が強調されている気がしませんか。
学校の中で、自分の役割とどう向き合うか、つまり「礼」の部分を学ぶ機会は、「仁」に比べると、多くはないように思えます。

新人が感じるギャップ

会社に入ったばかりの新人にとって、職場で感じる違和感の一つに、「優しさや思いやり」から「役割やルール」へと、評価される主軸が切り替わったショックがあるのかもしれません。

だからといって、韓非子の考え方だけで組織が回るわけでもありません。
役割や権限、そしてルールだけの職場は、どこかよそよそしく、息苦しくなってしまう気がします。
それに、孔子の「仁」がなければ、人がついてこないこともあります。
会社に貢献するには、韓非子とも孔子とも、うまく付き合っていく必要があるのだと思います。

学校という教材

学校では、探究学習をはじめ、同じ学年どうしの横につながる授業は増えたのかもしれません。
ですが、学年をまたいで縦につながる学びは、それほど多くない気がしています。

委員会活動には役割が、クラブ活動には先輩と後輩の関係があります。
けれど、それは、まだ子ども同士の、役割が比較的あいまいな関係と、ゆるやかな上下関係にとどまっていることが多いのではないでしょうか。

学校にはもう一つ、子どもには見えにくい縦のつながりがあります。それは、先生たちの役割や権限、ルールです。

職員室で、日々行われている役割分担や意思決定の仕組みを、「組織のあり方」として、教室の子どもたちに、少しだけ、見せてもよいのかもしれません。
学校そのものを、組織という教材にすることが、将来、子どもたちが感じるかもしれないギャップを、ほんの少し、やわらげてくれることもあるでしょう。

学校では、人としてどう振る舞うかを学びます。それに加え、会社では、組織の中でどう振る舞うかが求められます。
人を思いやることと、組織の役割とルールを守ることは、別の能力なのです。

たかが「子ども新聞」とあなどってはいけません。
子どもへの問いだけでなく、わたしたち大人への問いまで、ちゃんと投げかけてくれています。

最後までお読みいただき、どうもありがとうございます。


この文章では、二人の思想家の考え方をたどり、わたしなりに、「学校と会社の違い」へ置き換えてみました。
なお、文部科学省の学習指導要領が、孔子や韓非子の思想を直接、参照しているわけではありません。

なお、この文章は、複数の生成AIを使い、文章校正を行っています。
ただし、記事の構成と執筆は、すべて筆者がしています。

#毎日小学生新聞


いいなと思ったら応援しよう!