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風や落ち葉に心を動かす人は、生きづらいのか:ドストエフスキーの「貧しき人々」を読んで


公園のベンチに座っていた。

風が吹く。

足元を落ち葉が転がっていく。

それを見ているだけで、なぜか少し嬉しくなる。

季節が変わったのだと思う。

雲の形が変わる。

空の色が変わる。

夕方の匂いが変わる。

そんなことに気づく人は、たぶん少し感受性が強い。

私は最近、ドストエフスキーの『貧しき人々』を読んでいて、そのことを考えた。

主人公のマカールは貧しい。

しかし彼の苦しみは、お金がないことだけではないように思えた。

人の視線に傷つく。

軽蔑に傷つく。

相手の気持ちを考えすぎる。

言葉の裏側まで受け取ってしまう。

感受性が強いのだ。

だから苦しい。

しかし同時に、だからこそ人を愛することができる。

だからこそ文学を理解できる。

だからこそ誰かの悲しみに共感できる。

感受性とは不思議なものだ。

自然に向かうと人生を豊かにする。

風の音。

鳥の声。

落ち葉の舞う様子。

朝の光。

そうしたものから、静かな喜びを受け取ることができる。

しかし人間に向かうと、ときどき苦しくなる。

表情の変化。

声の調子。

わずかな距離感。

言葉にならない拒絶。

そうしたものまで感じてしまうからだ。

鈍感な人が平気で通り過ぎる場所で、立ち止まってしまう。

傷ついてしまう。

だから感受性は才能なのか弱さなのか、よくわからない。

けれど最近は、どちらかを選ぶ必要はないのではないかと思う。

感受性は、世界を深く味わう能力なのだ。

その代わり、ときどき傷つく。

傷つくからこそ見える景色もある。

風や落ち葉に心を動かす人は、生きづらいかもしれない。

けれどその人は、世界から贈られてくる小さな美しさを受け取ることもできる。

そのことを忘れないでいたいと思う。


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