転職組のマーメイド ①
【あらすじ】
故郷の海を離れ、東京で働く人魚の成田は、新卒で入社した会社を辞め、文具メーカーの営業に転職した。しかし、上京の際に反対していた母親には、その事実をまだ打ち明けられずにいる。
新しい職場で成田の教育係となったのは、社内で浮いた存在の山本だった。不安を抱えながら働き始めた成田は、山本や、行きつけのコンビニでアルバイトをするミノタウロスとの交流を通して、それぞれの仕事観や生き方に触れていく。
働くとは何か。出会いと別れを重ねながら、成田は自分の生きる居場所を探していく。
窓の外を眺めると、故郷では見えない高さの建物が並んでいた。
転職初日。
電車がトンネルに入ると、自分の姿が窓に映った。なんだか恥ずかしくなりスマートフォンを開く。
すると、母親からLINEが届いていた。
『東京は乾燥してると思うけど、保湿は大丈夫?』
既読がつかないように、トーク画面を開かずメッセージを確認し、そのまま消去した。
母親には転職したことを伝えていない。ひとり息子なのに母親との距離感が掴めないまま、いつのまにか三十歳になった。
一社目が上手くいかずに辞めた。そして東京で転職しただなんて伝えたら、どんな言葉で責められるだろうか。
余計なことを考えているうちに、電車は新しい職場の最寄りである大手町に停まり、人に流されるように電車を降りた。
改札を出て、綺麗に整備された歩道を進む。
昨日アイロンがけしたシャツはジャケットの下ですでにシワになっていた。
少しでも隠そうとジャケットを伸ばしながらボタンを閉めた。
それでも、周囲からの視線は消えない。
上、新しくおろしたスーツ。
下、ターコイズブルーの尾鰭。
この抜け感のありすぎる組み合わせが、自分が人魚であることを際立たせる。
多様性。
人外が丸の内で働くことは、この時代において決して変なことではない。
しかし、現実には自分の他に人外は見当たらず、二足歩行で歩く革靴の音だけが、辺りに響いていた。
ひょっとしたら東京で何かしらの強みになると思っていた尾鰭は、今のところ好奇の目を向けられるだけのシンボルとなっている。
地図アプリに目的地を入力する。
『株式会社白鳥シール』
女児向けの文具メーカーで、シールやシール帳、メモ帳などを製造している。自社商品以外にも、他メーカーからのOEMも請け負っている。
転職活動の際に、自分に内定をくれた唯一の企業だった。
文具に興味がないわけではない。ただ、入れる会社に入った。それが正直なところだった。
案内に従って歩くと、目的のビルに到着した。
二階の営業部のフロアの戸を開け、フロアの奥にいる営業部長だと思われる人に挨拶をした。
「本日からお世話になります成田です」
「営業部長の白鳥です。よろしく」
会社名と同じ苗字に、勝手に背筋が伸びた。
「とりあえず、奥の席の山本が教育担当だから。同行しながら色々学んで」
挨拶は思ったよりあっさりと終わり、すぐに山本さんの隣の席に案内された。
「成田です」
「おぉ、成田君な。山本です。聞いとるわ。ほんまに人魚なんやな」
「一応」
「まぁ、ええわ。今から出るから。一緒に取引先行こか」
山本さんに連れられ階段を降りると、入り口と反対側の扉から外に出た。
外にはずらりと営業車が並ぶ。一台、バンパーに派手な傷のある車を見つけた。ハズレだと思っていたら、山本さんはその車の鍵を開けた。
「しばらくは運転とかもせんでええから。助手席座っとき」
「ありがとうございます」
鱗と人肌のちょうど境目あたりに、シートベルトを締めた。
「なんか自分、緊張しとるな。ええねんで、俺になんか気つかわんで」
「いや、そんな」
山本さんはカーナビもいじらず、ゆっくりとアクセルを踏んだ。
「去年、関西営業所から単身赴任でこっち飛ばされて来てん。まあまあ新参やねん」
「ご家族は」
「嫁と五歳の娘がおんねんけど、家に俺がおってもおらんくても一緒や言うて、送り出されたわ」
「淋しいですね」
「せやろ。ほいでこっち来るやん。なんかな、関東の人ノリあわんくてな、俺、フロアで空気やねん」
愛想笑いするタイミングを逃した。それでも山本さんは話をかけ続けてくれる。
「あ、ホンマに隣でリラックスしてもらっててええから。寝ててもええで」
「いいんですか」
「アカンに決まってるやろ。何考えとんねん」
関西弁の語気の強さに少し怯んだ。
しばらく無言が続くと山本さんは間を埋めるように口を開いた。
「成田君、三十歳やんな?」
「はい」
「前職は何なん?」
「スマホゲームのシステムエンジニアですね」
「凄いやん。なんで辞めたん?」
「毎日エラー画面見てたら、ある日どうでもよくなってきて。次の日に辞表出しました」
「なんか自分、イマドキやなぁ」
また少し会話に間が生まれた。
山本さんはウインカーを出しながら、次の話題を探しているようだった。
カチカチという音に合わせて、口を小さく動かしている。信号待ちのあいだに山本さんは胸ポケットからタバコを取り出した。
「ごめん。吸ってもええか?」
「大丈夫です」
「ほんまは営業車、禁煙なんやけどな。窓開けてこっそり吸うねん」
「バレないんですか」
「もちろんバレるよ。でも、周りも吸うから黙認やねん。ちなみに成田君はタバコ吸うん?」
「たまに」
「あかんよ禁煙せな。人魚やろ。夢壊れるわ」
定期的にくる沈黙の時間。ラジオが流れていたことに今更気づく。aikoが流れている。
「そもそも、なんでうちなん?」
「昔からものづくりが好きで」
「人魚って、何かを作り出すことあんねんな」
「主に貝とか使う感じですね」
「なるほどなぁ」
面接のときの台本を思い出しながら喋った。
タバコの煙が外へ向かう。
「なんかさ、水分多いとことか考えなかったんか?」
台本にはない質問がきた。
「例えば水族館とか。あそことか水分のとこやんか」
「水分っちゃ水分ですね」
「せやろ。なんか自分、ペンギンにエサあげるんとか似合いそうやん」
「そうですかね」
「ほいで水槽に親戚とかとおったら、もう勝ちやんか」
「でも、コネ入社みたいに思われません?」
「誰も思わんよ。あきらかに実力採用やんか」
「でも、土日休みが良かったんで」
「まぁ、別にええねんけど」
山本さんは二本目のタバコに火をつけた。
「今、取引先に向かってると思うやろ?」
「はい」
「ちゃうねん。行くとこないねん」
「どういうことですか」
「毎日、外回りしてこいって言われんねんけど、客も毎日来られたら困るやろ? だから今、ただの暇つぶしやねん」
「そうしたら、今はどこへ向かってるんですか?」
「ノープラン」
そのあと山本さんは、ボタンを連打しカーナビの縮尺を広げた。
「海、行こか?」
「え?」
「なんかな、成田君が隣におったら海見たくなってん」
「何言ってんすか」
意を決して軽くツッコミを入れてみるが、山本さんは表情を変えなかった。
「海、広いですからね」
山本さんの発言がボケではなかったことに気づき、自分でも意味不明なフォローをした。
カーナビの矢印が青色にベタ塗りされたエリアに近づく。
「成田君、なんか鬱々としてるやん。故郷思い出して、元気出しい」
「ありがとうございます」
しばらく走っていると、窓の隙間から潮の匂いが入ってきた。無意識に尾鰭がピチッと跳ねた。
「着いたで」
営業車を降りると、一面がただ青々と広がっていた。
「綺麗やな」
山本さんは渚まで走った。
波がゆっくり迫ってきては尾鰭の手前で消える。
「テンション上がるわ」
山本さんは革靴と靴下を脱いだ。
そして、スラックスの裾を捲り、浅瀬に向かう。
「冷たっ。気持ちええな」
「危ないですよ」
「なんでや。成田君もおいでや」
「遠慮しておきます」
「なんやねん。その下半身ならそのまま入れるやんけ」
乾いた鱗は水を求めていた。
それでも、シャツを着た上半身はそれを拒み続けた。
山本さんは深いところまで進む。
「アカン。ズボン濡れてもうた」
山本さんが叫び、遠くで水飛沫が跳ねる。
そのたびに、鱗の奥が鮮度よく騒いだ。
それでも、ただ遠くから眺めていた。
【全七話】
転職組のマーメイド ①
転職組のマーメイド ②
転職組のマーメイド ③
転職組のマーメイド ④
転職組のマーメイド ⑤
転職組のマーメイド ⑥
転職組のマーメイド ⑦(最終話)
