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矢萩多聞著「本とはたらく」を読み、やっぱり本は紙でなくちゃ! の思いを強くした。

「本とはたらく」は、矢萩多聞さんの生い立ちから、絵を描くこと、装丁の仕事に対する思いまで、いっぱいつまった本です。

矢萩多聞さんは、画家、装丁家。小学生のころから不登校で、中学校を辞めてインドで学び、独学でデザインをはじめ……という経歴の持ち主。ご自身のはじめての本は、「インド・まるごと多聞典」。春風社の社長さんとの出会いが、「インド・まるごと多聞天」のはじまり。多聞さん、面白い! 多聞さんの本、作っちゃいましょう! みたいなノリでのスタート。そのとき多聞さんは、装丁という言葉すら知らなかった。春風社の社長さんと、いろいろアイデアを出しながら、本作りを学んでいった……と、まあ、型破りな装丁家さんです。そのあとも、いろいろな人が多聞さんのところにやってきて、いっしょに本を作ろう! ということになる。

矢萩多聞さんの本作りの過程、とにかく、アツいんです。

とくに、へえ〜そうやって本ができるんだ! と感心したのが、中島岳志さんとタッグを組んだ「中村屋のボース」。

まだ大学院の学生だった中島岳志さんが、のちに大佛次郎論壇賞等の受賞作となる「中村屋のボース」の原稿を持って、矢萩多聞さんを訪ねてくる。
「ちゃんとインドのことをわかる人に装丁を頼みたい」と。
「中村屋のボース」は、インド独立運動家R・B・ボースの評伝。イギリスに刃向かうテロリストとして国際指名手配され、日本に亡命したボースを匿ったのが、新宿中村屋だったそうです。
うまいタイトルだな〜
原稿を受け取った矢萩多聞さんは、ボースの生き様に引き込まれ、読みながら何度も泣いたそうです。
著者、装丁家、編集者。チームを組んでの本作りが始まります。
写真ページに使用するためのボースの遺品を借りるため、大学へ。
段ボール箱から出てきたボースのポートレートを見て、三人とも「これだ!」と直感します。
野口英世、福沢諭吉といえば、日本人ならお札の肖像を思い浮かべるのと同様、これからは「ボース」といえば「中村屋のボース」のボースが思い浮かべられるようになる、そう確信して。
満を持しての装丁会議、しかし表紙について、編集長からのダメ出しがでる。
編集長にも、長年の勘があるわけで。黒っぽい本は売れない、ボースの写真、遺影みたいでこわい、と。
著者と編集者も、微妙な面持ち。
そこで矢萩多聞さんが出したのが、もっとインパクトのある案。

ボース、どーん! が無事、採用となりました。

去年、新装版が出たみたいです。タイトルのデザインが少し変更されてますが、ボース、どーん!は変わらず。よかった。

さらにもう一冊。
中島岳志 ✕ 矢萩多聞 で、ミシマ社の「思いがけず利他」


これ、個人的に、忘れがたい本なんです。
最初に読んだのは、腫瘍が見つかって、切ってみないと良性か悪性かわからないと言われたとき。
医師はほぼ、悪性前提の話しぶり。
え? いや、違うかもしれないんでしょ? 
けど、わりとガン家系だし。どっちにしても、いずれは死ぬんだよなー……とぼんやり思っていた。
病院での長い長い待ち時間、ずっと傍らにあった、というより、いてくれた本です。

「思いがけず利他」って、ん? と思うタイトルですね。
利他とは、利己の反対でしょ、で片付くような、単純なものではありません。
思いがけず、やって来るもの。
中島岳志さんは、談志の落語、インドの言語、親鸞などを例にあげ、「利他」について縦横無尽に語ります。
「利他には、意識的に行おうとすると遠ざかり、自己の能力の限界を見つめたときにやって来るという逆説があります」と。

どっちにしても、いずれは死ぬ。
そう思ったわたしは、「自己の能力の限界をみつめる」状態に近づいていたのかも。
読んでいるうちに、「ジブン」の境界が揺れて、溶けていくような、不思議な感覚を得ました。
本の手触りを、ずっと感じつつ。
装画は、丹野杏香さん。シンプルで力強い画。
静かに、入ってくる。

あのとき、「思いがけず利他」を手にとって読めたのは、偶然であって、偶然だけではないのかも、と思える。
そこにも、装丁の力が少なからず働いているはず。

装丁の力を、再認識しました。

5ヶ月前、noteを始めるにあたり、自己紹介記事を書きました。
本の装丁が好き。紙の本応援団員。などと。
……恥ずかしい。
紙の本愛、ぜんぜん、足りてませんでした。

反省のため、初心を忘れないため、自己紹介を固定しました。
はじめましての方、よろしければ読んでくださるとうれしいです。




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