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お気楽お帰洛記(2026年夏)其四

滋賀から、京都、堺を巡ってきました「お気楽お帰洛記」、今回の奈良編でようやく一段落となります。
お付き合い頂きました方々、誠にありがとうございました。
初見の方は、今回の記事だけお読みになって頂くもよし、以下も併せて読んで頂くもよし、お時間とご興味に合わせてお楽しみ頂けましたら、幸いです。

という訳で、今回向かうのは…

”あおによし”でお馴染み・奈良の都。
お茶というと、なんとなく京都、はたまた利休さんがいた堺のイメージがあるかと思いますが、実は奈良も”侘び茶黎明期”を考える上で忘れてはならない存在。
かく言う僕も、お茶を始めるまでは”奈良といえば、鹿か大仏様”くらいの印象しかありませんでしたが、知れば知るほど当時の奈良界隈は興味深く、その魅力には抗いがたいものがあります。

という訳で、まず訪れたのは、”侘び茶の祖”とも言われる村田珠光ゆかりの称名寺。
ちなみに、このお寺はイケメン阿修羅像で有名な興福寺の別院にあたるお寺だそう。

元々はもう少し東側にあったのが、江戸時代に移築されたとのこと。
門の脇には珠光旧跡の碑が…。

侘び茶の祖・村田珠光

ここで青年期を過ごした村田珠光は、利休さんよりもおよそ100年前に生まれたお坊さん。
”侘び茶の祖”と言っても、この頃の”侘び茶”は、今とは結構違ったと思われ、正直、”珠光がどんなお茶をしていたのか”を正確にはイメージできません。
ただ、一般的には弟子に送った「心の文」と呼ばれる手紙の中の次の言葉がよく知られていますので、まずはご紹介しましょう。

「和漢の境を紛らかすこと 肝要肝要」

この言葉はざっくり説明すると「中国から渡ってきた(貴重な)お道具と、日本で作られたお道具を、うまく調和させて使うことが重要である」という意味。

つまり、広い座敷に超貴重品であった”唐物(中国産のお道具)”をびっしり揃えて、それを愛でる「書院の茶」から、小さい座敷で国産品も混ぜてお茶を楽しむ「侘び茶」への転換期を象徴する言葉だと考えられています。

ちなみに、この「心の文」を受け取った弟子こと、古市播磨(澄胤)も、興福寺の塔頭・大乗院のお坊さん。
僧兵を束ねる役職で「淋汗茶湯」という独特のスタイルで知られていました。
「淋汗茶湯」とは、”お風呂とお茶をセットにしてさらに宴会もつく”という大盤振る舞いの茶の湯だったよう。
なんとなく大広間で浴衣を着た社員旅行みたいなイメージも浮かびますが、昔の茶の湯のバリエーションの豊かさにワクワクします。

思えば、称名寺から大乗院跡までは歩いて20分くらいの距離。
「もしかしたら、自分が歩いている辺りも、珠光や古市播磨が茶の湯の行き帰りにブラブラしていたかもしれない」
そんなことを思うと、なんでもない公道も”茶の道”に見えてくるのが、不思議。

という訳で、次は多くなってきた鹿を避けつつ、東大寺へ向かいます。

こちらは東大寺・南大門。やっぱりここに来たら大仏様にお会いしたく‥
いつお会いしても、大きくて立派!!!(←語彙力…)

東大寺・転害門(てがいもん)

さて、大仏様へのお参りも済まして向かったお目当ては、東大寺の北西にあたる転害門(てがいもん)。

現在、正門とされている南大門よりも、実は歴史が古いそうです。

「この門とお茶に何か関係があるの?」と疑問に思われる方もいらっしゃるかと思いますが、直接の関係はありません。

松屋会記

実はこの転害門の前の一帯には、松屋さんという一族が住んでいたそう。
そして、松屋久政(ひさまさ)、久好(ひさよし)、久重(ひさしげ)三代に渡って、奈良は勿論、京都や堺などのいろいろな”茶の湯”に招かれた様子を記したのが「松屋会記」と呼ばれる、現存最古の茶会記です。

ちなみに、おじいさんの松屋久政は利休さんとほぼ同じ年代、当然、利休さんの茶の湯に招かれた様子もちらほら。
そして孫の久重まで、なんと117年の永きにわたって、ある意味で”侘び茶のもっとも熱い時代”の記録を遺してくれたのが、この松屋会記だと言えるでしょう。

現在出版されている本はなかなか”いいお値段”なので、自前で所持はしていませんが、調べ物があるごとに図書館で借りてきては、大変お世話になっております(巻末の用語索引がとても便利!)。

ちなみに、松屋さんが住んでいた辺りは今は福祉施設と駐車場になっていて、碑なども全く残っていませんでした。
一方で、大きなお寺がいくつも間近に建っている古都の雰囲気もあって、堺よりは当時の雰囲気が妄想しやすい感じ。

実際、松屋会記には四聖坊や宝寿院など、東大寺や興福寺の塔頭でお茶が行われていた記述もたくさん残っており、転害門をじっと見つめていると、今もその奥で、奈良茶の湯界のスーパースターたちがひっそり茶会を開いているような気がしてきます。

日に焼けて、侘びた雰囲気を感じさせる転害門の柱

難波宮という存在

さて前回、堺のボランティアガイドの人も「生駒を越えたらすぐ奈良やで」とおっしゃっていたのですが、実は、この転害門の傍にある観光案内所のおじさん(←凄い博識でびっくりした)と喋っていて、とても興味深いことを知りました。

「お茶のことはよう分からんけど、そら、奈良と堺は文化的には古い兄弟分みたいなもんよ。難波宮の時代から」

そう、飛鳥時代、奈良時代には、今の大阪市中央区に難波宮(なにわのみや)という都(副都)が存在していた時期がありました。
なんとなく名前を聞いたことはあったような気はしますが、なにせお茶以外の歴史にはとんと疎いので、あまりきちんと考えたことはありませんでした。
しかし、飛鳥や平城京があった際に、大阪にも都の主要拠点があったことを考えると、茶の湯より遥か以前から、奈良と大阪の真ん中あたりの精神的な距離は、僕が考えていたよりも遥かに近かったように思えます。

奈良の茶人が、生駒を越えて堺に赴き、今度は宇治を通って京都を訪れる。
こうして三都のお茶文化が互いに影響を与え合い、侘び茶文化そのものが熟成されていったことを考えると、なんだか胸が高鳴り、このまま京都まで歩いて帰ってみようかなという気すらしてきます(暑くて卒倒したら困るので、しませんでしたが)。

いずれにせよ、文字だけでぼんやりと捉えていた”侘び茶黎明期”が、自分の足元を伝わって、鮮明に浮かび上がってくるような感慨に耽りつつ、今回も「お帰洛」を終えたのでした。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

という訳で引き続き、茶道教室「射目窩(いめか)」では、一緒に楽しくお茶を学んでくださる生徒さんを募集しております。
「お茶ってどんな感じか、ちょっと気になるな」という方には、茶道体験もご用意しております。
まずはお気軽にお問い合わせくださいませ。

稽古場情報
場所:大船駅からバス3分+徒歩5分
流派:表千家茶道
茶道体験:1回5000円 炭、お茶・お菓子代など込み。
お稽古:月2回で10000円 炭、お茶・お菓子代など込み。
(お子様とご一緒の場合、月2回 二人で18000円)
体験、お稽古日はどちらも相談可能です。

詳しくはホームページ
またはkubomsh@gmail.comまで、お気軽にご連絡くださいませ。

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