日本が変わりにくい理由|権力側につく合理を考える
映画『女性の休日』を観ました。
1975年のアイスランドで、女性の約9割が仕事だけでなく家事・育児まで一斉に止めて「休日」を取ったという実話のドキュメンタリーです。デモに参加した女性たちが当時を振り返って語っています。
その日は、男性が職場に子どもを連れて行き、料理をして失敗し、職場が止まり、店が休業に追い込まれ、ようやく女性の労働が社会のインフラだったことが、誰の目にも明らかになったのです。
映画を観て、2つの問いが頭に浮かびました。
ひとつは、日本で同じことを呼びかけても、全女性の9割という参加者は集まりにくいのではないか、ということです。自分の権利と対立する側に回る人が一定数出てくるからです。
もうひとつは、半世紀前のアイスランドでできたことが、なぜいまだに日本では実現しないのだろう、ということでした。
なぜ、権力側に回る人がいるのか
権力側につく人が出てくるのは、どうせ変えるのは難しいと考えるからだと思います。
職場で、上司や上層部に対して自分の権利を主張すると、めんどくさい人というレッテルを貼られてしまいます。評価や昇進にも響くので、どうせ状況が変わらないから、権力者のご機嫌をとっておこうと考える人はいるでしょう。
デモが失敗すると、後々自分の立場が危うくなります。初めからそのリスクを取らず、権力者に気に入られるように振舞えば、可愛がられたり、守られたりすることもあるでしょう。勝てない運動に参加するより、権力側につく方がメリットが大きいと考えるのは合理的でもあります。
そう考えると、長期的な権利の獲得よりも、短期的に自分に得な方を優先してしまうのは仕方がないのかもしれません。
なぜアイスランドは変えられたのか
今やジェンダー平等のトップを走るアイスランドですが、決して最初からそうだったわけではないようです。
映画の中で、銀行に勤めていた女性が語っていたエピソードが印象的でした。かなり年下の新人男性が入社すると、女性社員が教育するのですが、教育が終わると、教えた女性の上司になっていくというのです。このような慣習は日本にもあるようで、ほぼ同じ話を大手銀行に勤めていた友人から聞いたことがあります。
なのに、なぜアイスランドは変われたのでしょうか。
アイスランドの1975年のデモでは、全ての女性が参加しやすい条件が揃っていました。働く女性だけでなく専業主婦も巻き込めたこと、そして、たった1日だけ休日を取るというデモへの参加のしやすさがありました。また、ストライキではなく「休日」と謳ったことで、参加のハードルが下がったこともあるかもしれません。
映画の中では、ストライキを「休日」とマイルドに言い換えられたのが嫌だったと語っていた女性もいましたが、この言い換えによって参加者が増えたのだとしたら、結果的にはよかったのかもしれません。
日本で過半数が集まりにくい構造と、下りエスカレーター
これがもし日本だったら、参加する女性は半分もいないのではないでしょうか。
何かを変えようとすると、半分の臨界点を超えない限り、状況は変わらないのではないかと思います。加えて、日本では、女性が一枚岩になりにくい状況もあります。単身で働く女性、子どもを育てながら働く女性、専業主婦といった立場の違いから、力を合わせて一つになるのが難しいからです。
働く女性と専業主婦は、お互いの立場に複雑な感情を抱きやすく、働く単身女性は子育て中の女性同僚に対して、産休・育休や時短勤務のしわ寄せが自分に来てしんどいと感じていたりします。こうして女性同士の思いがバラバラなので、団結して行動を起こす流れになりにくいのではと思います。
そして、現状に満足しているわけではないけれど、どうせ行動を起こしても状況は変わらないから、いまのままでいいやと考えるのです。
こういう状況では、活動への賛同を増やすことは難しく、権力側に寄ったほうが得に見えます。上司や権力者に、やっかいな人と見られないようにしようというリスク回避への動機が強く働きます。
変革への賛同が半数を超えるのが難しい理由はここにあると思うのです。そしてこれが、日本でジェンダー平等を始めとした様々な変革が進みにくい理由のひとつにもなっています。
ですが、この状況は、下りエスカレーターのようなものです。外部環境は変化しているのに、自分はいつもと同じ毎日を過ごしていると、気づいたときには立ち行かなくなってしまいます。
とはいえ、日本でも先人のおかげで状況はかなり改善されてきました。
1985年に男女雇用機会均等法ができ、先輩たちが職場での女性の活躍の場を切り開いてくれました。そのおかげで、以前は男性の仕事と考えられていた仕事を、少しずつ女性が担えるようになったのです。
私が就職した頃には、20代の女性社員が年配の男性社員とチークダンスをさせられるとか、女性だけにお茶当番が回ってくるとか、飲み会の席でホステスのような扱いで上層部の隣に座らされ、お酌をさせられるといったことはまだよくありました。
いまは世間がパワハラやセクハラにも厳しくなり、ようやく女性や若手が守られる社会になってきました。それでも、まだ既得権益側のシニア男性の中には古い価値観のままの人が、それなりに多く残っています。
未来の損を、いまの損得にする
いろいろ考えると、人はやっぱり直接的に自分の得にならないとなかなか動けないんだなと思います。そして、未来は見えにくいので、短期的なメリットを優先してしまいます。
だからこそ、日本で何か変革を起こそうとすると、善意に呼びかけるのではなく、未来の不利益を目の前の損得として想像できるようなビジョンを示す必要があるのだと思います。
これは、時間割引率の話でもあります。目先の損得が大きく見えるほど、人は未来の得を割り引いてしまう、ということです。
目先の得を取るよりも、未来のために行動したほうが、結果としてより大きなメリットを得られます。けれど未来を具体的に想像しにくいと、どうしてもいま見える得に飛びついてしまいます。短期的には権力側に回ったほうが得に見えるかもしれませんが、それは本来、未来の自分の権利を広げるはずだった変革の恩恵を、自ら手放すことにもなります。
だからこそ、現状維持によって起きるリスクや不利益が、目の前の損得として実感できるようになったときに、臨界点を超えて過半数の賛同が集まり得るのだと思います。
女性同士の対立も、権力側につく合理性も、損得勘定から来るものだと言えます。もし、変革することが確実に参加した人の得になることを示すことができれば、臨界点を超えて過半数の賛同が得られ、アイスランドの「女性の休日」のように現状を大きく変える力になるのかな、と思います。
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