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物語を楽しむことと、物語を疑うこと

退職後、映画によく行くようになり、Audibleで小説を聴くようになりました。

仕事に追われていたころは、物語に没頭する余裕はありませんでした。また、職場ではなるべく感情を出さないようにしていました。感情を見せることは、弱みを握られることだと感じていたからです。怒りをあらわにする人を、少し冷ややかな目で見ていたこともあります。

そうしているうちに、心が防御で硬くなっていったような気がします。悔し涙を流すことも、よろこびで心が弾むことも、あまりありませんでした。

退職後に物語と向き合うようになったのは、そうして硬くなった心をほぐしたかったからなのかもしれません。

物語が人を引き込む理由

人は元来、物語に惹かれるようにできているのだと思います。物語に心を動かされることは、生きることの醍醐味だといえるかもしれません。

物語が人を引き込む理由のひとつは、語られていない部分を読み手が自分で補完するからではないかと思います。登場人物の表情や感情、声のトーン、その場の雰囲気など、書かれていないことを、読み手はそれぞれの想像で埋めていきます。だから同じ物語を読んでも、人によって受け取り方が違ってくるのでしょう。物語は、読み手の数だけ解釈の形があるのかもしれません。

また、人は統計上の数字より、顔と名前のある一人の物語に強く反応します。「アフリカでは何百万人もの子どもが飢えに苦しんでいます」という言葉より、「アシャという名の5歳の女の子が、今日も食事を取れずにいる」という一文の方が、心を動かされます。共感は、抽象的な数字ではなく、具体的なイメージに反応するのです。

物語に没頭できるのは、心に余裕があるときだと思います。仕事や生活に追われているときは、なかなかそうはいきません。

仕掛けが見える瞬間

SNSのタイムラインを眺めていると、物語形式で語られるコンテンツが目に入ってきます。道端で出会った老人の話、社会の理不尽さへの怒り、感動的な親子のエピソードなどです。

大抵クリックしないと先が読めないようになっていて、つい引き込まれて続きを読み進めてしまいます。ですが、途中で「これはバズ狙いや何かを売りつけるための創作ではないか」と疑ってしまい、急に冷めてしまいます。

以前、友人が推しているグループの映画を観に行ったことがあります。そのチケットにグッズのおまけがついていたらしく、彼女は一人で5枚買っていました。

また、一緒にそのグループのメンバーが選ばれたオーディション動画も見ました。大勢の候補者の中から勝ち抜いた若者たちが、互いに励まし合いながらレッスンに励む様子が映っていました。仲間が落ちて自分が残る場面もあり、気づいたら引き込まれていました。しばらく映像を見ているうちにメンバーの顔を覚えて、しだいに印象的なメンバーに対して親近感が湧いてきました。 ふと、これが物語の力なのだと思いました。

最近読んだ朝井リョウさんの小説『イン・ザ・メガチャーチ』は、その構造の舞台裏を描いた作品でした。

この小説には、ファンダムを拡大していく仕掛け人の視点が描かれていました。オーディションの過程を見せること、メンバーの苦労や絆を語ること、それらがすべて、応援したいという気持ちを引き出すために巧みに組み立てられた仕組みだったのです。友人と動画を見たときの、あの内側にいる感覚が、読んでいるあいだずっと重なっていました。

経済評論家の山崎元さんが生前、「マーケティングを解毒する力が必要だ」と語っていたのを思い出します。推し活だけでなく、宗教やインフルエンサービジネスも、構造としては同じなのかもしれません。

魔法と幻滅のあいだ

裏が見えるのは、よい面もありますが、失うものもあります。

物語の仕掛けが見えると、感情的な勢いだけで消費の判断をしにくくなります。FIREに至る道のりを振り返ると、何にお金を使わないかの判断精度が、資産形成においては収入と同じくらい重要だったと感じます。私の場合は、物語への懐疑心が、その判断を支えていたのかもしれません。

そして、失ったものは情熱かもしれません。20代のころは好きなロックバンドのファンクラブに入り、何度もライブを観に行っていました。当時はスマホもYouTubeもありませんでしたが、寝ても覚めてもそのバンドのことを考え、出演したテレビ番組の録画を繰り返し見ていました。振り返れば、魔法にかかっていた状態だったようにも思えますが、当時の方が生きるよろこびを強く感じていたかもしれません。

いま、友人が推しの動画を送ってきたり、推し活の報告をしてくれたりするのを見ていると、私も20代のころの感覚をまた味わいたいと思います。物語の裏にある仕掛けをうっすら頭に置きながらも、また夢中になれる対象を見つけたいという気持ちは今でもあります。

おわりに

退職後、また映画や小説を素直に楽しめるようになったのは、物語の力をよいものだと感じているからです。

一方で、物語の力を利用して人を消費に引き込もうとする仕掛けに気づくこともあります。 その両面を知った上で、自分はどのような距離感で物語と付き合うか、答えは人によって違うのでしょう。

物語を楽しむことと、物語を疑うこと。その両方を持ったまま、自分なりのバランスを探していけたらと思っています。


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