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批評の終焉と村上春樹 ――「規律」から「管理」へ


序論:言説の編成と、前提としての方法論的視座

一九七〇年代から九〇年代にかけての日本の思考空間は、柄谷行人と蓮實重彦という二つの言説的結節点によって強固に統治されていた。
しかし本論が解剖の対象とするのは、彼らが「何を語ったか」という表面的な文学的成果や、思想的意図の変遷ではない。我々が問うべきは、彼らの言説が読者と思考空間に対していかなる「権力のテクノロジー」として作動し、ミシェル・フーコーが指摘したような「主体化(アシュジェティスマン)」をどのように要請していたかという力学である。
すなわち、排他的で権威的な知の共同体によって構築された言説の「制度的機能」を、客観的に検証する作業に位置づけられる。

本論の展開に先立ち、方法論上の射程を明確に限定しておく。
ここでは、対象となる著作者たちの思想的伝記の構築や、全集に対する文献学的な注釈を目的とはしない。
したがって、彼らの周縁的なテクストに散見される「アメリカ」への言及を遡及的に参照し、本論の枠組みを相対化しようとする実証的な読解は、我々の分析次元と交差しない。
対象とするのは、個人の思想的変遷や体系の整合性ではなく、一九八〇年代から九〇年代という特定の歴史的臨界点において、彼らの言説がいかにしてひとつの制度として作動し、何を「外部」として切断することでその優越的空間を設計したかという、言説の配置(ディスポジティフ)の検証である。

彼らが構築した批評空間は、近代文学という名の規律的監視空間において、「この構造に出口の鍵は存在しない」という構造的制約を持続的に実証するための、高度な臨床的制度であった。
近代という時代が抱える矛盾や主体の苦悩を、彼らは歴史的構造や記号の表層という「逃げ場のない檻」として可視化したのである。
読者はその施設において、文学から救済を見出すのではなく、むしろ「いかに人間が制度に閉じ込められているか」という制度の閉鎖性を立証する彼らの分析技術の精度によって、知的な従属状態に置かれていたと解釈できる。

したがって、後に彼らが下した「近代文学の終焉」あるいは「文学への興味の喪失」という歴史的な宣告を、単なる対象の劣化に伴う自然な撤退として無批判に受容すべきではない。
それは、自らが権威として位置づけてきたヨーロッパ的な言説の制度(クリニック)を維持するための、戦略的な防衛機制とみなすことができる。
自らの既存の分析ツールでは解析困難な、異なるアーキテクチャで駆動する非互換の対象、すなわち村上春樹が出現したとき、彼らは自らの知の有効性が失効したことを認める代わりに、「文学そのものが終わった」と宣言することで、その対象を自分たちの視界からサンドボックス(隔離領域)へと封じ込めようと試みたと推測される。
あの宣告は、権力論的配置の再編、すなわち自らの優位な言説の境界線を維持するための、意図的な切断処理として評価し得るのである。

第一章:規律的空間の設計――一九六〇年代の処理と包囲網

柄谷の「深層(歴史・制度)」と蓮實の「表層(物質・記号)」というアプローチは、しばしば対立する二項として扱われてきた。しかし、言説のテクノロジーという観点から見れば、この二者は全く同一の「規律的空間」を構築し、主体を監視するための相補的な二つの装置にすぎない。

この言説的アーキテクチャの基盤は、一九六〇年代の政治的闘争(左翼・学生運動)に対する彼らの「処理の手続き」において形成された。

柄谷行人は、六〇年代の政治的熱狂を『意味という病』と名指すことで診断を下した。彼が行ったのは単なる事象の分類ではない。
意味(変革の外部)」という特権的な目標に捕捉された主体が、いかにして自己崩壊に至る構造的な末路を辿るかという、意味への過剰な固着がもたらす構造的な機能不全のメカニズムに対する構造論的審問であった。
闘争の主体たちが求めた志向性をひとつの「認識論的錯誤」として特定し、政治的闘争を構造の次元へと還元・解体したのである。
対象が帯びている歴史的・実存的なノイズを「変数」へと還元し、構造の空虚さを指し示すこの操作は、意味への過剰な志向性を無害化し、主体を透明な構造へと配置する設計者のオペレーションとみなすことができる。

一方、蓮實重彦は同時代の政治的喧騒に対して、「アカデミズム的沈黙」を維持した。この沈黙は中立性の担保ではない。
大学という制度(学校的権力)の内部に自己を配置する者としての構造的な立場的限界であり、同時に強固な制度的防衛機能の作動である。彼は視線をテクストの物質的表面に固定し、意味や物語、あるいは政治的外部への逸脱を理論的に制限した。
柄谷が制度の枠組みを設計したとすれば、蓮實はその構造の境界を主体に認識させ続け、外部の政治的動乱を捨象する機能を果たした。
両者は「主体を特定の座標に固定し、意味の生成を統治する」という規律権力の行使において、統合された一つのシステムを構成していた。

この規律的空間を維持するためには、外部からの異質な要素の混入を遮断する言説の純化装置が必要となる。彼らが共有していたその純化装置の正体こそが、「ヨーロッパ的知性」という制度である。

彼らは「アメリカ」という現象――すなわち、消費、情報化、等価交換によって駆動し、中心を持たない自律的なシステム――を、自らの臨床的枠組みを無効化する処理困難な外部として認識した。
ここで留意すべきは、蓮實が特権化した古典的ハリウッド(スタジオ・システム)は、本質的に「工場」という規律社会のアーキテクチャの産物であり、計算可能な記号の閉域であったという点である。
これに対し、村上が体現したアメリカは、ノーバート・ウィーナーらが提唱したサイバネティクスに基づく「ネットワーク」という管理社会の空間であり、両者はアーキテクチャの次元において構造的に不整合である。
彼らは「自律的システムとしてのアメリカ」を無害化し、記号として処理することで、自らのヨーロッパ的・規律的枠組みの優位性を担保し続けたと捉えられる。

第二章:臨床医と最適化された標本――夏目漱石の処理

彼らが夏目漱石に中心的な地位を与え、その分析に多大なリソースを割いたのは、単に漱石の文学的価値を称揚するためではない。
漱石という存在が、彼らの持つ臨床的ツールの有効性を証明するための、機能的に最適化された「標本」として作動したことに起因する。

夏目漱石がロンドン留学において直面したヨーロッパ的知性とは、彼の身体的統合を脅かす、抑圧的な制度的磁場であった。
漱石は、その近代という構造的重圧を自己の神経で引き受け、抑圧の中で記述の手続きを要請された。近代社会という規律空間において、壁(制度)の存在は「身体的な軋轢」として主体に刻印される。

これに対し、柄谷と蓮實がヨーロッパ的知性と接触する態勢は、あらかじめ理論という名の防護壁に囲まれた、シミュレーションの域を出るものではない。彼らの知性は、時代と無防備に直面するような無媒介の摩擦を、システムとして回避するようにあらかじめ設計されている。

したがって、彼らが漱石に施した「理論的分析」とは、対象の固有性の抽出ではない。それは、漱石が抱えた近代という名の身体的・制度的軋轢を、構造や表層という分類項目を用いてヨーロッパ的知性の無菌室の中に配置し、観察・記述するための「隔離の手続き」であった。
彼らは漱石の症状を精緻に記述するほど、自らが安全圏に立つ上位の分析者であることを、逆説的に証明し得たのである。漱石は、彼らの言説を駆動させるための、最適な分析対象として処理されたと言える。

この臨床的処理の断絶を明確に提示しているのが、夏目漱石の『坑夫』というテクストをめぐる、批評家たちと村上春樹の視座の交差である。
柄谷と蓮實は、この「主人公がただ穴に潜り、何もせずに地上へ戻ってくる」という劇的出来事を欠落させたテクストを、それぞれの規律的ツールによって分析の「標本」として扱った。柄谷は『坑夫』を、近代文学という制度(内面や風景)が成立する以前の、あるいはそれらが自壊する境界としての「意味のゼロポイント」として処理した。
一方、蓮實はこのテクストを、意味や成長といった目的論への回収を拒絶し、ただ「歩く」「降りる」という身体的移動のみを持続させる「表層の自律的運動」として記述した。
蓮實にとって、読者に退屈や不快をもたらすこの「何事も起こらなさ」の持続は、物語という制度(システム)を内破させる試みであった。柄谷が坑道の暗闇に「意味の不在(構造の限界)」を読み込んだとすれば、蓮實はその坑道の移動に「意味の拒絶(表層の持続)」を読み込んだのである。
両者は共に、『坑夫』を「物語制度の限界を証明する」ための典型的な臨床データとして規範化した。

対して村上春樹は、自作『海辺のカフカ』という言説装置を介して、『坑夫』の持つ「未完成さ」に異なる機能を見出す。
村上にとっての坑道は、制度を破壊・告発するための静的な解剖標本ではない。それは、意味による閉鎖(完成)を免れたまま、主体がただ通過し、循環するための「オープンな回路」のプロトタイプに該当する。
批評家たちが坑道の中に「制度の破壊(あるいは起源の暴露)」という理論的な闘争を見出していた同時期に、村上はその未完成な回路を、管理社会というシステムを内部から再コード化して適応するための実践的なプログラムとして実装していたと解釈できる。
ここには、規律的な臨床知性と、管理的な運用知性の、原理的な互換性の欠如が示されている。

第三章:アーキテクチャの変容――村上春樹という自律的システム

この規律的な言説空間の統治は、村上春樹の登場によって無効化される。村上春樹が突きつけたのは、単なる文学的スタイルの更新ではない。
彼らが自らの知を衛生的に保つために排除し続けてきた「自律的システムとしてのアメリカ」が、批評家の介入を要請することなく、それ自体でひとつのアーキテクチャとして稼働し始めたという事実の現れである。

なぜ村上が他の作家と構造的に異なるのか。そしてなぜ彼が、旧来の文学的規範を相対化したまま「国民作家」としての覇権的機能の中心を占め、同時に「世界市民的(グローバル)」な普遍性を獲得し得たのか。その理由は、一九六〇年代という歴史的切断に対する彼の「出発点」の特性にある。

大江健三郎に代表される先行世代は、日本という周縁の土着性(ローカル)を足場とし、それをヨーロッパ的な普遍性(ユニバーサル)へと翻訳・昇華させようとする垂直的な上昇運動を志向した。
彼らは同じ「近代」というエピステーメー(知の枠組み)の内部に配置されていたため、柄谷や蓮實はその格闘の痕跡を自分たちのツールで診断することができた。

しかし村上は、その垂直軸の存在そのものをアーキテクチャの次元で破棄した。彼の文学的回路の故郷は二重化されている。
表層的(インターフェース)には、英語の原書購読を通じて獲得した「アメリカのポストモダン/ロスト・ジェネレーション」の文体論によってコーティングされているが、その深層で駆動するプログラムは、一九六〇年代の日本の左翼運動の歴史的敗北、すなわち「壁を破壊することは困難である」というシステム認識に帰着する。
柄谷が意味の錯誤として対象化し、蓮實がアカデミズムの沈黙によって制度的に不可視化したその一九六〇年代の歴史的残骸を、村上は自らの「原風景(初期設定)」として内面化するところから出発した。

村上が日本において「国民作家」の地位を占めたのは、彼が日本の固有性や伝統を描いたからではない。
むしろ、日本という空間が政治的闘争の可能性を喪失し、アメリカ主導の自律的な消費・情報システムへと統合されたという「壁なき空虚」を、システム・モデルとして提示したからである。
そして重要なのは、この「固有性の喪失とシステムへの統合」が、日本に限らず、世界のあらゆる都市生活者が直面する普遍的条件であったという点である。村上のテクストが世界中でシームレスに受容されるのは、標準化された「喪失とシステム維持」という共通のプログラム言語を用いて記述したからに起因する。これが、彼の獲得した「世界市民性」の正体である。

このシステムへの適応プロセスは、一九九〇年代から二〇〇〇年代に至り「コミットメント」と呼ばれる能動的なデバッグ作業へと展開する。
『ねじまき鳥クロニクル』(一九九四〜九五年)や『アンダーグラウンド』(一九九七年)を経て、二〇〇〇年代初頭の『海辺のカフカ』(二〇〇二年)に至る軌跡は、日本社会のシステムの構造的クラッシュ(バグ)に際して、傍観者の立場を離れ、システムの深層インフラへと自ら潜行し破壊的なプログラムを修復しようとする、システム・エンジニアとしての実践であったと解釈できる。
ここで我々はこの「コミットメント」を、倫理や正義への回帰といった近代的なヒューマニズムの文脈で解釈すべきではない。村上が深層へとアプローチし修復を試みたのは、人間的な道徳主体へと退行したからではなく、放置すればシステム全体を崩壊させかねない「歴史の構造的エラー(バグ)」を駆除し、情報社会の「恒常性(ホメオスタシス)」を維持するためであった。
彼は「救済者」としてではなく、システムの深層インフラを維持する「保守作業員(メンテナンス・エンジニア)」として機能したとみなせるのである。

しかし、二〇〇〇年代後半、このデバッグ作業は変容を余儀なくされる。
『アフターダーク』(二〇〇四年)や『1Q84』(二〇〇九年)に見られる、視点の実験的固定や長大な物語構造への回帰は、もはや深層への「潜入」だけでは処理しきれないほどに、システム全体が複雑化・膨張した事実を示唆している。
物語のスケールが拡大するほど、かつてのデバッグ作業が持っていた切断力はシステムの冗長性(リダンダンシー)の中に埋没し、彼自身がシステムを維持するための「環境」そのものへと同化していく傾向が見られる。
この倫理の非人間化(システム保守への還元)の帰結として、村上の作動領域の拡大は、管理社会の完遂に伴う批評的機能の融解という「時代の圧力」を体現することとなった。

第四章:鍵の不在から、コードの循環へ――パラダイムの切断

この事態の核心は、規律社会から管理社会への移行という、権力テクノロジーの変容と合致している。

柄谷や蓮實が体現した批評の存在理由とは、「その扉は溶接されており、出口の鍵は存在しない」ことを証明する営みであった。
しかし、ここで彼らはひとつのパラドックスを抱えている。「鍵を探し、その不在を宣告する」という彼らの理論的実践自体が、「この壁のどこかに真理へと至る出口(外部)が存在するはずだ」という、近代的でロマン主義的な前提を逆説的に示しているからである。
彼らが統治していたのは、物理的な「壁」や「扉(制度)」が存在し、主体がそこに配置されている「規律社会」のモデルである。
そこでは「鍵の不在」を証明することこそが、知的な優位性の証明として機能したが、その諦念すらも、出口の存在を疑わない主体に許された「構造的な諦念」にすぎなかった。

しかし、村上春樹が実装した「自律的システムとしてのアメリカ」は、物理的な壁が情報化され、コードによって空間をシームレスに移動する「管理社会」のモデルである。

ここで我々は、認識を再考する必要がある。壁のない管理社会とは、壁が消滅した自由な空間を意味しない。
壁のない社会とは、「空間のすべてが壁と同義になる」という、より高度で偏在的な統治形態の完成である。
この空間において、「鍵」という物理的な概念、および特定の地点に「閉じ込められる」という規律的な拘束力はすでに失効しているが、同時に、システムそのものから外部(出口)へと脱出することは原理的に不可能となる。

村上がメタファーを用いて行う「壁抜け」の振る舞いとは、閉鎖空間の突破(六〇年代的な革命や外部への脱出)を意味しない。
それは、すべてが壁と化した空間において、壁そのものを単なる情報(コード)として透過し、主体を別のネットワークへとシームレスに循環させるという、管理社会のアーキテクチャへの適応の形態である。

ここで重要なのは、村上の「壁抜け」が可能となるのは、主体が近代的な「個人(インディヴィデュアル)」としての身体的・政治的重力を棄却し、システムを循環可能な「情報(ディヴィデュアル=分人)」へと自己を還元していることに起因する点である。
壁抜けとは、主体のデータ化である。しかし、この情報化されたシステムの循環は、摩擦のない自由な移動を意味しない。ジル・ドゥルーズが管理社会の力学を「連続的変調(モデュラシオン)」と呼んだように、それはパスワードの絶え間ない更新、自己の果てしないデータ化、そしてシステムを維持するための反復的なタスク(踊り続けること=ダンス・ダンス・ダンス)へと主体を持続的に駆動させる、不可視の管理空間である。
彼が鍵を探さず壁を透過するのは、「ここではないどこか(出口)」の存在をあらかじめ放棄し、自らのコードを絶えず書き換え(踊り)続けなければならないという管理社会特有の連続的統治への隷属――すなわち、諦念すらもがデータ化される持続的なフィードバック・ループ(あるいはシステムへの適応)を引き受けていることに起因する。

「鍵の不在」を証明することに権力の基盤を置いていた批評家たちにとって、目の前でコードを用いて空間(壁)を透過していく村上の振る舞いは、自分たちの存在基盤を無効化する事象であった。
彼らがかつての扉の前で「鍵がない」と宣告し続けていた時、権力のテクノロジーはすでに変容し、空間すべてが壁と化した管理社会が、彼らを置き去りにして稼働し始めていたと解釈できる。

結論:クリニックの閉鎖、あるいは知の自動停止

このエピステーメー(知の枠組み)の切断を前にして、二つの知性はどのような作動を示したか。

「近代文学の終焉」(柄谷行人)。 「文学には興味がない」(蓮實重彦)。

これらの宣告を、個人的な敗北や退却と記述することは十分ではない。ここには、主体的意志による「撤退」など存在しない。
それは、自らが依って立つ「規律的・ヨーロッパ的言説の制度」が、新たな「管理的・アメリカ的アーキテクチャ」に対して互換性を持たないことを感知したシステムが、エラーを起こす前に自らをシャットダウンした「自動停止(オート・ターミネーション)」のプロセスと解釈できる。

二〇〇〇年代における彼らの軌跡は、この「自動停止」の作動メカニズムを明確に裏付けている。
柄谷は文学という空間から離脱し、『倫理21』(二〇〇〇年)や『可能なるコミュニズム』(一九九九年)を経て、かつて自ら『意味という病』として解体したはずの「政治や倫理という外部の幻影」へと再び転進を図った。
この時期の実践的なアソシエーション運動(NAM)の機能不全と、それに続く『世界共和国へ』(二〇〇六年)に見られる「交換様式」への理論的抽象化は、彼が現実の言説空間における有効な介入インターフェースを喪失し、純粋理論という名のメタ・レベルのアーキテクチャへと移行せざるを得なかった、システム論的な機能不全を示している。

一方、蓮實重彦は『監督 小津安二郎』増補決定版(二〇〇三年)や『映画論講義』(二〇〇八年)において、かつての切断力を「歴史的総括」という名のアカデミックな閉域へと再編した。
東京大学総長退任後の執筆活動は、一見すると活発な活動を維持しているように見えるものの、その実態は、村上春樹らがシステム介入のツールとして駆動させる「物語」という形式を忌避し、自らの言説の無菌室を密閉する制度的防衛を維持している。
かつて規律的空間を統治したあの解体機能を持った「表層」の論理は、二〇〇〇年代においては随筆や既存知の編纂という、閉鎖系内部における情報エントロピーの処理へと変質しているのである。

彼らが撤退を「選択した」のではない。
彼らが中枢的な拠点としていた「批評」という言説空間が、情報資本主義のネットワークから切り離され、アーキテクチャの外部へと事実上「隔離」されたと捉えるべきである。
彼らの臨床的メスは、テクストの「深層」や「表層」を切り裂くことには長けていたが、実体を持たない「データの流動」や「アルゴリズムの循環」を切り裂くことは原理的に困難であった。
新たな管理社会のアーキテクチャの側が、旧式化した臨床的知性の機能を、情報の円滑な循環を阻害する「非互換のモジュール」として、システムから自動的にパージ(抹消)したとみなせる。

このパラダイムの移行がもたらした帰結は、「批判的知性(クリティーク)」という概念の陳腐化である。規律社会において、権力は目に見える強固な壁として存在したため、その壁を指差し、構造の欠陥を暴き出す批評家は、権力に対峙する優位な外部性を保持し得た。
しかし、空間すべてが壁と化した管理社会において、外部は存在しない。
すべてがシステムの内側である以上、求められるのはシステムを外部から批判する「批評家」ではなく、システム内部の論理を修正し、コードの循環を持続させる「システム・エンジニア」としての役割である。

ここでひとつの問いが設定される必要がある。全面的な情報社会へと移行したにもかかわらず、なぜ村上春樹は「小説(書籍)」という規律的でアナログなフォーマットに留まり続けたのか。
結論から言えば、村上における小説は、もはや柄谷らが論じた近代文学の制度(内面や意味の構築)ではない。それは、アナログなメディアの外装を纏いながら、その内部に管理社会のアルゴリズムを隠し持った「潜伏的インストーラー」であり、読者の認知を新たな情報空間のOSへとアップデートするための「仮想的統治空間のシミュレータ」として再コード化されていたと捉えるべきである。
村上春樹とは、文学という旧来のフォーマットを用いて、この新たな空間のプログラム言語をインストールし続けた適応者(エンジニア)であった。
二〇〇〇年代における彼の「大作化」は、そのインストール作業が自動化され、背景ノイズへと化した状況を示唆している。
彼ら批評家の失効は、単なる文学論の敗北ではなく、システムが「批評」という旧時代のアナログなフィードバック機能を必要としなくなったという、アーキテクチャの最適化の帰結と言える。

柄谷行人と蓮實重彦という、戦後日本の批評空間を設計した二つの知の装置は、システム化されたネットワーク空間へと融解していく自らの足場の閉鎖を宣告され、作動を停止した。
彼らは「物語」や「意味」の失効を宣告・解体する監視装置として機能したが、逆説的にも、その「物語の否定」という運用体制そのものが、戦後日本の言説空間を統合する「マスター・プログラム(大きな物語)」として機能していた。彼らは、かつて自らが解剖台に載せた夏目漱石の身体的苦痛を規律空間から観察する安全な高みにいたはずが、最終的には、自らの知性がコードの海に飲み込まれ無効化されていく事態を、沈黙によって処理するに至ったのである。

彼らが精緻に組み上げた「鍵の不在」の言説空間は、論破されることによって崩壊したのではない。コード化された壁抜けの時代を迎えた瞬間、「互換性のない古いOS」として、その歴史的機能を停止したと言える。

そして今なお、彼らの失効後に接続された多数のユーザー(大衆)は、村上春樹という自律的システムがユーザー自身のために「豊かな物語を紡いでいる」という、インターフェースにおける幻覚(シミュレーション)を自己再生産し続けている。
しかし、情報空間のどこにも「物語」という実体は存在しない。
そこに残されているのは、空虚なコードを循環させ、ユーザーの認知を管理システムへと適合させ続けるアーキテクチャの無機質な駆動音と、看守すら必要としなくなった「底の抜けた井戸」の空虚さだけである。


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