見出し画像

書き言葉はどこから来たのか?

古代日本語は今の関西弁に近いものだったと思う。

朝鮮半島や大陸から大量に渡来した人々(弥生人)は北九州や山陰や越前から列島に入り、主に関西圏に定着した。

もともとそこにいた縄文人たちは東へ西へと追われた。

残った縄文人と弥生人の言葉が融合して古代日本語ができた。

とすれば、今の関西弁は、融合したその言葉が元になっているとしか思えないのだ。

けれど、例えば平安時代に書かれた『源氏物語』などを読んでも、それは関西弁ではない。

NHKの大河ドラマ『光る君へ』では、紫式部などの平安貴族たちは標準語を話していた。

あり得ないと思った。

今の京都弁に近い言葉で話していたと思うからだ。

では、『源氏物語』の文章はなぜ関西弁(京都弁)ではないのか。

それは書き言葉だからだろう。

では、書き言葉はどこから来たのか。

最近、「それは漢文の読み下しから来たのではないか」と気づいた。


〈漢文の読み下し〉

平安時代になるまで日本人は漢字しか知らなかった。

8世紀初めに編纂された「日本書紀」は漢文だし、それより少し前にまとめられた「古事記」も漢文を混じえ、和語の音(おん)に当てはまる音の漢字を使って書かれている。

万葉集も、和語の音(おん)に当てはまる音の漢字を使って書かれている。

つまり、古事記も万葉集も全部漢字なのだ。

平安時代になってカタカナヒラガナが生まれ、日本人は漢字とヒラガナやカタカナを混じえて文章を書くようになった。

カタカナとヒラガナが生まれる前は、漢文を読み下していた。

これが「書き言葉」の原型になったのだと思う。

例えば、「読書」を「書ヲ読ム」、「有能為狗盗者」を「ヨク狗盗ヲナス者アリ」というように。

こういう文章が広まって「書き言葉」ができ上がったのだと思う。

そういう読み下しを始めたのは、おそらく坊さんだ。

中国から持ち帰った仏典の内容の意味を知るため、読み下しという方法を思いつき、そこから書き言葉が普及していったのだろう。

それで紫式部も書き言葉で『源氏物語』を書いたのだろうと思う。