モダン大審問官
⸻
登場人物
来訪者
三十代半ばほどに見える男。粗末な服。
終始何も話さない。
演者を置かず、
照明や他の演者の反応だけで示してもよい。
ピーター
五十代の男性。
医学を学んだのち、
生物医学テクノロジー企業を創業した起業家。
現在は、都市インフラと医療データ基盤を持つ
巨大企業の会長であり、
「連邦人間安全保障評議会」の
特別顧問でもある。
マーラ
四十代の女性。
国家安全保障機関の高官。
MERCYの緊急介入権限を持つ政府側の
責任者。
かつては現場にいたが、
現在は人を番号と報告書で守る。
ノア
三十代の男性。
メンタルヘルステック企業のCEO。
政府の危機介入プログラムを受託し、
MERCYの精神保健部門を運用している。
エリー
二十代半ばの女性。
南部の小さな町の福音派家庭で育った。
かつて教会で歌っていた。
信仰を捨てたいが、捨てられないでいる。
ケイレブ
エリーの弟。二十代前半。大学中退。
姉を守りたい。
だが、守ることと管理することの区別が
つかなくなっている。
MERCY
都市の医療、福祉、治安、決済、通信、
行政記録を統合する官民共同のAIシステム。
市民、職員、利用者の声を、端末、監視網、
記録装置を通して収集し、分析し、応答する。
⸻
舞台
窓のない白い部屋。
病室にも見える。
礼拝堂にも見える。
尋問室にも見える。
巨大企業の役員会議室にも見える。
中央に一脚の椅子。
その椅子だけが、黒い革張りである。
正面の壁には巨大な画面。
画面には時折、都市の地図、脈拍、顔、
購買履歴、睡眠記録、祈りの言葉、
暴力事件の映像が一瞬ずつ浮かぶ。
椅子の後ろに、来訪者が立っている。
来訪者の足元だけ、わずかに暖かい光がある。
そこにいる者が、
自分の顔を背けられなくなる光である。
⸻
第一場 異常者
暗転。
低い機械音。
遠くで、誰かが賛美歌を歌っている。
だが、途中からその歌は通知音に変わる。
画面が点く。
MERCY
未分類事象を検出しました。
顔貌照合、部分一致。
既存人物データ、該当なし。
行動予測、不能。
端末連携、不能。
購買履歴、なし。
位置情報、なし。
医療記録、なし。
間。
対象は、三時間前、
マンハッタン南部で確認されました。
対象の周囲で、複数名の市民が泣いています。
理由は不明です。
マーラ、画面の前に立っている。
マーラ
映像を止めて。
画面が止まる。
そこには、雨の歩道に座る来訪者。
その前に、見知らぬ女が膝をついている。
ピーターが入ってくる。
スーツの上着を脱いでいる。
眠っていない顔。
ピーター
送信先は。
マーラ
内部だけです。
ピーター
外部遮断は。
マーラ
済ませました。
ピーター
SNSは。
マーラ
完全には止められません。
ピーター
止める必要はない。
マーラ
……必要ない?
ピーター
見たものを消そうとすれば、
彼らは余計に信じる。
マーラ
では、どうする。
ピーター、来訪者を見る。
ピーター
何もしない。
間。
マーラ
国家安全保障案件です。
ピーター
違う。
マーラ
あなたがこの部屋を作った。
ピーター
この部屋は、人間が何かを見た時に、
すぐ武器に変えないために作った。
マーラ
ここにいる男が、
何者か分かっているんですか?
ピーター
分かっている。
マーラ
口にして。
ピーター
口にはしない。
マーラ
ピーター。
ピーター
名前を与えれば、彼らは旗を作る。
来訪者は動かない。
エリーが部屋の隅にいる。
片手を胸に当てている。
ケイレブは、その少し後ろで萎縮している。
ノアはタブレットを見ている。
ノア
エリー。呼吸が浅い。
エリー
触らないで。
ノア
触らない。見ているだけだ。
エリー
それが一番嫌。
ノア、一瞬だけ表情を失う。
ノア
...分かった。
ケイレブ
姉さん、座った方がいい。
エリー
あなたは黙って。
ケイレブ
何で俺が。
エリー
あなたが呼んだんでしょう。
間。
マーラがケイレブを見る。
マーラ
通報者はあなたなの?
ケイレブ
……はい。
エリー
私は歌っていただけ。
ケイレブ
街角で。夜中に。知らない男の前で。
エリー
歌っていただけよ。
ケイレブ
四日、寝てなかった。
エリー
それが何。
ケイレブ
電話してきただろ。「誰かがいる」って。
エリー
誰かがいた。
ケイレブ
だから呼んだ。
エリー
警察を?
ケイレブ
保護サービスを。
エリー、笑う。
だが、笑えていない。
エリー
言い方を変えれば、
何をしても優しく聞こえるのね。
ノア
保護介入は罰じゃないけどな。
エリー
あなたも黙って。
ピーター
全員、残れ。
マーラ
なぜ。
ピーター
彼らは見た。
エリー
何を。
ピーター
自分が本当は何を欲しがっているかを。
暗転。
⸻
第二場 ノアの仕事
明転。
ノアが、エリーの前に小さな端末を置く。
ノア
これは睡眠補助だ。薬じゃない。
エリー
いらない。
ノア
持っているだけでいい。
エリー
いらない。
ノア
今夜だけでも眠れれば、明日――
エリー
明日になれば、
私が間違っていたことになるの?
ノア
そういう意味じゃない。
エリー
でも、そうなるんでしょう。
ノア、黙る。
エリー
熱があれば熱を下げる。
血が出れば止める。
眠れなければ眠らせる。
あなたたちは全部、正しい。
でも、
間。
私は、なぜ眠れなかったの。
ノア
それを一緒に見つけよう。
エリー
違う。
ノア
違わない。
エリー
あなたは、見つける前に消そうとする。
ノア
苦しみを?
エリー
私を。
ノア
そんなことはしない。
エリー
する。
エリー、端末を見る。
エリー
私が泣くと、
あなたたちは「危険度」を見る。
私が歌うと、
「躁的な高揚かもしれない」と言う。
私が誰かを愛したいと言うと、
「依存傾向」と言う。
ノア
エリー。
エリー
私は、あなたのアプリの利用者じゃない。
ノア
知ってる。
エリー
違う。あなたは知らない。
ノア、少し間を置く。
ノア
僕は、十七の時、自殺しようとした。
エリーはノアを見る。
ノア
誰も気づかなかった。
家族も。先生も。教会の人も。
僕は毎日笑っていたから。
間。
ノア
あの時、
誰かが僕の睡眠を見てくれていたら。
食べた量を見てくれていたら。
夜中の検索履歴を見てくれていたら。
たぶん、違った。
エリー
だから、みんなの中を覗くの。
ノア
死ななくて済む人を増やしたい。
エリー
あなたは、死なないことを、
生きることだと思ってる。
ノア
少なくとも、死ぬよりはいい。
ピーター
ノア。
ノア
何です。
ピーター
彼女を直そうとするな。
ノア
彼女は危ない。
ピーター
危ない人間は、全員直すのか。
ノア
あんたが言う?
ピーター
どういうことだ?
ノア
あんたが、僕にそれを言うのか。
ピーター、ノアを見る。
ノア
あんたが作ったインフラがなければ、
僕らは彼女をここまで連れて来られなかった。
彼女が何時に眠れなくなったか。
いつから食事を抜いたか。
どの教会の配信を繰り返し見たか。
全部、あんたの世界だ。
ピーター
私の世界は、
選択肢を増やすためのものだった。
ノア
違う。
ピーター
何だと。
ノア
あんたの世界は、
人間が間違った選択をする前に、
選択肢を消すためのものだ。
長い沈黙。
来訪者が、ノアを見る。
ノアは初めて視線を逸らす。
暗転。
⸻
第三場 弟
明転。
エリーとケイレブだけがいる。
来訪者は後方に立っている。
ケイレブ
俺は助けようとした。
エリー
そう言うと思った。
ケイレブ
本当にそうなんだ。
エリー
あなたはいつもそう。
ケイレブ
何が。
エリー
私が助けを必要としていた時は、
何もしない。
私がただ、そばにいてほしい時には、
余計なことをする。
ケイレブ
何の話?
エリー
分かんない?
エリー、弟に近づく。
エリー
あの日、父さんが私を怒鳴った時。
私が大学に行きたいって言った時。
あなた、何も言わなかった。
ケイレブ
子供だったから。
エリー
あなたは十四だった。
ケイレブ
父さんはでかかったし。
エリー
私は十七だった。
間。
ケイレブ
父さんは変わったよ。
エリー
変わってない。
ケイレブ
酒はやめた。
エリー
それだけ。
ケイレブ
祈ってる。
エリー
それも、それだけ。
ケイレブ、怒る。
ケイレブ
じゃあ何だよ。
じゃあ、どうすればよかったんだ。
エリー
分からない。
ケイレブ
ほら。
エリー
でも、私が分からないからって。
私の代わりに決めないで。
ケイレブ
俺は決めてない。
エリー
通報した。
ケイレブ
保護申請だ。
エリー
言葉を変えるな。
ケイレブ
姉さんが壊れそうだったからだ。
エリー
壊れてた。
ケイレブ
だから。
エリー
壊れている人間は、
誰かに引き渡していいの?
ケイレブ
じゃあ、どうしろって言うんだよ。
エリー
分からない。
ケイレブ
またそれだ。
エリー
分からないまま、一緒にいてよ。
ケイレブは黙る。
エリー
それだけでよかったの。
間。
ケイレブ
俺も、怖かった。
エリー
知ってる。
ケイレブ
あの夜、電話の向こうで、姉さんが歌ってた。
泣いてるのか、笑ってるのか、
分からなかった。
エリー
歌ってたの。
ケイレブ
分かってる。
エリー
分かってない。
ケイレブ
分かってるよ。
ケイレブ、声を落とす。
ケイレブ
俺は、姉さんがあの男に
惹かれて行くのが嫌だった。
エリー
何で。
ケイレブ
あの人を見ている時、
姉さんは、俺を見てなかった。
間。
エリー
だから通報したの?
ケイレブ
……そうだ。
エリー
私を守るためじゃなく。
ケイレブ
違う。
エリー
私が、
あなたの知らない私が怖かった。
ケイレブ
違う。
エリー
違わない。
ケイレブ
違う!
沈黙。
ケイレブ
……両方だよ。
エリーは弟を見る。
ケイレブ
守りたかった。
でも、置いていかれるのも嫌だった。
来訪者が、
床に落ちたケイレブの端末を見る。
画面には「保護申請・撤回」の確認画面。
来訪者は端末を拾わない。
ただ、ケイレブを見る。
ケイレブ
……俺に決めろっていうのか。
来訪者は答えない。
ケイレブ
何も言わないのかよ。
暗転。
⸻
第四場 ピーターの告白
明転。
ピーターが中央の椅子に座っている。
来訪者は立っている。
マーラは壁際。
ノアは端末を閉じている。
ピーター
私は、あなたが嫌いではない。
間。
むしろ、
あなたが、本当にいてくれるのなら。
世界はもっと単純だっただろうと思う。
ピーター、来訪者を見る。
ピーター
私は若い頃、病院にいた。
マーラ
またその話をするの?
ピーター
黙ってろ。
マーラ
またその話?
それで、自分を正当化してるつもり?
ピーター
黙れ。
間。
ピーター
二十六歳の女がいた。
敗血症だった。
意識はあった。
でも、恐怖で何も考えられなかった。
手術をすれば助かる可能性があった。
しなければ、助からない。
彼女は言った。
「手術は嫌です」
間。
ピーター
それだけだった。
医師は何人もいた。
夫もいた。
母親もいた。
皆、彼女に説明した。
リスクを。
確率を。
未来を。
彼女は、ずっと「嫌です」と言った。
間。
ピーター
私は、その署名を受け取った。
マーラ
尊重したのね。
ピーター
そうだ。
マーラ
そして死んだ。
ピーター
死んだ。
長い沈黙。
ピーター
私は、あれを自由と呼んだ。
患者の意思。
尊厳。
選択。
美しい言葉だった。
間。
ピーター
だが本当は、違った。
私は責任を取りたくなかった。
彼女を縛って手術室へ運ぶ決断を。
夫に憎まれることを。
遺族に訴えられることを。
私は怖かった。
だから、彼女の「嫌です」を尊重した…
フリをしただけだ!
間。
ピーター
あれは自由ではない。
ただの逃避だ。
来訪者を見る。
ピーター
あなたは、
恐怖の中にいる人間にまで、
自由を渡した。
ピーター、立ち上がる。
ピーター
それを贈り物だと言った。
だが、違う。
それは責任の放棄だ。
マーラ
あなたは今でも、
その女の人を救えたと思っているの。
ピーター
分からない。
マーラ
それで世界をこんな風に変えたの。
ピーター
分からないからだ。
マーラ
分からない一人の女のために?
ピーター
違う。
ピーター、画面を指す。
都市の地図が映る。
赤い点が無数にある。
ピーター
この世界には、どれほどいると思う?
眠れない人間。
殴られる人間。
食べられない人間。
孤独の中で、判断を間違える人間。
皆が、完全に自由な状態で選ぶと思うか。
違う。
彼らは、疲れている。
怯えている。
空腹だ。
愛されていない。
そんな人間に、
自分で選べと言うのは残酷なことなんだ。
ピーター、来訪者へ近づく。
ピーター
あなたは三つを拒んだ。
パンを。
奇跡を。
王国を。
人間を従わせるための、三つの力を。
間。
ピーター
だから、私たちが引き受けた。
パンは、物流網で届ける。
奇跡は、予測で代える。
王国は、命令ではなく、利便性で作る。
誰も、鎖を好まない。
だから鎖を、通知に変えた。
割引に変えた。
診断に変えた。
おすすめに変えた。
マーラ
それを告白と呼ぶの。
ピーター
これは告白じゃない。
マーラ
では何。
ピーター
成果だ。
沈黙。
ピーター
人間は、
自由を欲しがっているんじゃない。
自由である自分を、
尊敬されたがっているだけだ。
本当に欲しいのは、失敗しないことだ。
見捨てられないことだ。
明日、子供が死なないことだ。
私は、それを作った。
ピーター、来訪者を見据える。
ピーター
あなたは、人間を信じすぎた。
私は、信じない。
だから守れるんだ。
暗転。
⸻
第五場 マーラの報告書
明転。
マーラが紙の束を持っている。
マーラ
あなたはいつも、大きくする。
ピーター
何の話だ。
マーラ
パン。奇跡。王国。
マーラ、紙を一枚ずつ床に落とす。
マーラ
これは、三年前の銃撃事件。
これは、予防できた。
これは、止められた。
これは、止められなかった。
これは、危険人物と判断されていた。
だが、権利侵害だと訴えられた。
これは、監視対象だった。
だが、政治的に扱いづらかった。
これは、家族が通報した。
だが、本人の自由意思を尊重した。
紙が床に散る。
マーラ
私は現場で、人間を見てきた。
泣く人間。
嘘をつく人間。
善人のふりをする人間。
本当に善人で、壊れていく人間。
そして、何度も聞いた。
「誰か止められなかったのか」
間。
マーラ
止められた。
止められたのに、止めなかった。
なぜなら、私たちはいつも、
後からしか責任を取らないから。
ピーター
だから君は、先に縛る。
マーラ
そうよ!
ピーター
君は、私より正直だ。
マーラ
違う。
私は、あなたより少し下品なだけ。
ピーター
何が言いたい。
マーラ
あなたは人類を救いたい。
私は、明日の死体を減らしたい。
それだけ。
マーラ、来訪者を見る。
マーラ
あなたが誰であろうと、
外に出せば人は集まる。
彼らは祈る。
叫ぶ。
あなたの言葉を勝手に作る。
そして誰かが、それを武器にする。
ピーター
分かっている。
マーラ
なら、なぜ迷うの?
ピーター
迷っていない。
マーラ
迷っている。
ピーター
私は、ただ考えている。
マーラ
あなたはいつも、考える。
私は、その間に人を拘束する。
間。
マーラ
この男を、保護対象に指定する。
ピーター
できない。
マーラ
できる。
ピーター
彼は犯罪者ではない。
マーラ
宗教的扇動の可能性がある。
ピーター
彼は一言も話していない。
マーラ
だから危険だ。
ピーター
何だと。
マーラ
人は、沈黙に好きな言葉を描く。
あなたが一番よく知っているでしょう。
ピーターは答えない。
マーラ
この男を閉じ込めるべき理由は、
あなたが一番よく知っている筈よ。
あなたは、
彼の言葉が恐ろしいんじゃない。
人が、その言葉を使って、
また自由になろうとすることが
怖いんじゃない?
ピーター
自由ではない。
マーラ
何が。
ピーター
混乱だ。
マーラ
同じことよ!
暗転。
⸻
第六場 大審問
明転。
ピーターと来訪者だけ。
中央の椅子。
ピーターは座らない。
来訪者も椅子の前に立っている。
ピーター
座れ。
来訪者は座らない。
ピーター
座れと言ったんだ。
来訪者は動かない。
ピーター、笑う。
小さく。
ピーター
そうだった。
あなたは、座らない。
王座も。
裁判席も。
議会も。
戦車も。
全部、私たちに残した。
間。
ピーター
あなたは、ずるい。
人間に自由を渡しておいて。
その自由に耐えられなくなった人間を、
ずっと見ていた。
飢えた者に、信じろと言った。
病んだ者に、愛せと言った。
裏切られた者に、赦せと言った。
それで、
できなかった人間は自分を恥じた。
来訪者を見る。
ピーター
あなたは、何も強制しなかった。
だから皆、あなたを善だと思う。
だが、私は知っている。
強制しないことも、暴力になる。
間。
ピーター
私は、強制する。
必要なら。
だから嫌われる。
それでいい。
あなたは愛される。
私は嫌われる。
それで、人が生き延びるなら。
ピーター、来訪者に近づく。
ピーター
あなたは、自由を皆に与えた。
私は、自由を耐えられる者にだけ残す。
それ以外の人間には、安全を与える。
食べ物を。
薬を。
眠りを。
予測可能な人生を。
来訪者の目を見る。
ピーター
あなたは、それを侮辱だと思うか。
私は思わない。
貧しい人間に、危険な選択肢だけを渡して。
「選べ」と言う方が侮辱だ。
間。
ピーター
私は、人間を愛している。
だから、人間に任せない。
長い沈黙。
来訪者が、ピーターへ一歩近づく。
ピーター
来るな。
来訪者は止まらない。
ピーター
私は赦しを求めていない。
来訪者は、ピーターの前に立つ。
ピーター
聞こえないのか。
来訪者は、ピーターの頬に手を触れる。
ピーターは動けない。
来訪者は、ピーターの額に口づける。
長い沈黙。
ピーターの顔が歪む。
ピーター
……それで、何が変わる。
来訪者は答えない。
ピーター
私が間違っていたとでも言うのか。
沈黙。
ピーター
違う。
違う。
ピーターは来訪者から離れる。
ピーター
私は、間違っていない。
私は、あなたより、人間を知っている。
暗転。
⸻
第七場 扉
明転。
全員がいる。
画面に大きく表示されている。
保護対象一名。
隔離継続の承認を要請します。
マーラ
署名を。
ピーター
待て。
マーラ
待つ理由はないわ。
ピーター
ある。
マーラ
何?
ピーター
彼を閉じ込めれば、彼は勝つ。
マーラ
何を言っているの?
ピーター
殉教者になる。
マーラ
なら、記録から消せばいいのよ。
ピーター
それでも残る。
マーラ
何が?
ピーター
人の記憶の中に。
マーラ
そんなものは、記録より信用できない。
ピーター
だから厄介なんだ。
ノア
ピーター。
ピーター
何だ。
ノア
外に出せば、
エリーの状態が悪化するかもしれない。
エリー
私を使わないで。
ノア
使っていない。
エリー
使ってる。
ノア
私は、あなたが心配なんだ。
エリー
あなたは、
私が予測から外れるのが
怖いだけじゃないの?
ノアは黙る。
エリー
私は、今、怖い。
本当に怖い。
でも、
間。
彼が私の恐怖を取り除いてくれるから
私は、
何を怖がっていたのかも忘れると思う。
ノア
それでも、生きていられる。
エリー
それだけ?
ノア
それだけが難しい人もいる。
エリー
知ってる。
エリー、少し涙を拭く。
エリー
だから、あなたを憎めない。
ノアは下を向く。
ケイレブ
姉さん。
エリー
何。
ケイレブ
行くの?
エリー
分からない。
ケイレブ
またそれ。
エリー
うん。
ケイレブ
俺は、行きたくない。
エリー
じゃあ、来なくていい。
ケイレブ
でも、ここにもいたくない。
エリー
それも、分かる。
マーラ
感傷は終わりよ。
ピーター
マーラ。
マーラ
何。
ピーター
扉を開けろ。
マーラ
命令として聞くの?
ピーター
そうだ。
マーラ
あなたが彼を出す?
ピーター
出す。
マーラ
なぜ?
意味が分からない。
ピーター
分からなくていい。
マーラ
あなたは今、
国家の安全を危機にさらしているのよ!
ピーター
違う。
ピーター、来訪者を見る。
ピーター
私は、彼に世界を見せる。
そして、分からせる。
もう誰も、彼を必要としていないことを。
間。
マーラ
本気でそう思うの。
ピーター
思っている。
マーラ
あなたは怖がっている。
ピーター
違う。
マーラ
怖がっている。
ピーター
違う!
沈黙。
ピーター
……怖がっている。
長い沈黙。
ピーター
だが、それでも出す。
扉がゆっくり開く。
外から、冷たい風。
都市の音。
救急車。
遠いサイレン。
笑い声。
怒鳴り声。
誰かの泣き声。
来訪者が扉へ向かう。
エリーは動かない。
ケイレブ
姉さん。
エリー
私は。
来訪者を見る。
エリー
私は、あなたを信じられるか分からない。
来訪者は立ち止まる。
エリー
昔は、信じてた。
祈れば何とかなるって。
でも、何にもならなかった。
父は変わらなかった。
母は泣いてた。
友達は死んだ。
私は、ずっとあなたに怒ってた。
間。
エリー
今も怒ってる。
来訪者を見る。
エリー
でも、
あなたを閉じ込める側に立ったら、
私は、もっと自分を嫌いになる。
エリーは扉へ向かう。
ケイレブが後を追う。
ケイレブ
俺も行く。
エリー
本当に?
ケイレブ
分からない。
エリー、少し笑う。
エリー
じゃあ、来なさい。
二人は扉の外へ出る。
来訪者も続く。
マーラは画面を見る。
MERCY
管理外行動を検出しました。
介入を開始しますか。
マーラ
どうする。
ピーターは、扉の外を見る。
来訪者の姿は、もう見えない。
MERCY
介入を中止しますか。
ピーター
中止しろ。
MERCY
記録の処理方法を選択してください。
事象を保存しますか。
事象を再分類しますか。
事象を削除しますか。
長い沈黙。
マーラ
ピーター。
ピーター
再分類。
マーラ
何として。
ピーター
集団幻覚。
マーラ
本気で。
ピーター
本気だ。
マーラ
彼を守るために?
ピーター
私たちを守るために。
マーラ
違いはあるの。
ピーター
ない。
画面がゆっくり消える。
MERCY
記録します。
異常は存在しませんでした。
扉は開いている。
ピーターは、その扉を見ている。
閉めるよう命じることはできる。
だが、命じない。
暗転。
幕。
