好きな本屋、つまらない本屋

『読書』という行為は、本質的には非常に浅ましい行いだと思う。
自分より頭が良かったり、想像力に溢れていたり、魅力や才能の優れた人間が垂れ流し賜った文章を、対価と呼べないほどの幾ばくかの金銭を雀の涙ほど支払って読み漁る。
僕は基本的に、なんらかの情報やら知識やら刺激やらに飢えていて、その飢えを満たす方法のひとつとして読書をしている。その目的が達成できるのなら、映画でもアニメでもYouTubeでもTikTokでもいい。
これはもう、夏になると台所に現れるコバエと何が違うのか。
僕はコバエと同じ理屈で読書をしている。でもコバエの本能のことを「浅ましい」と糾弾することは生物としての傲慢さを発揮しすぎている。彼らは生きるために生ごみに突撃しているが、僕は無くても死なないものを摂取するために頭で考えて情報に突撃している。

そういう気持ちと考えで生きているので、読書をはじめとする飢えと渇きを満たす行動を高尚なものと考えている人間とすこぶる相性が悪い。『教養』とか『知識欲』みたいな言葉を真面目な顔して発している人とはとんと仲良くなれない。
教養、教え養う。違う。飢えを満たすという意味では養われているかもしれないが、しゃぶりついて舐め尽くし啜り切っているのだから、僕がやっているのは教養ではなく自分への給餌か何かだと思う。

僕が好きな本屋は、何でもかんでも面白がりたい人が「これ面白いッス」って顔して陳列したような本屋だ。有益だとか有用だとか自分への投資とか自己啓発とか、そんなものはどうでもいい。いまこのページをめくるだけで得られる快楽と、そのページを読み終えるころには生まれている飢え。その繰り返しの中でこそ得られるものこそ、読書の醍醐味である。
これを浅ましい行為と言わずして、どう形容すればいいのか僕にはわからない。

つまんねえ本屋は「書物」を知識の宝庫として捉え、こちらをお読みになる貴方がたはワンランク上の人間ですよ、というような顔をしている。
断っておくが、僕が勝手にそういう風に受け取っているだけで、スタッフさんたちがそんな思想で働いているわけではない。現場スタッフの自由意志などないお店も多々ある。僕は働いている人たちを『つまんねえ』と言いたいわけではない。

この前、映画を観に行った。上映まで2時間あった。
近くに書店があった。これ幸いと入った。立ち読みせずとも、背表紙や新刊、既刊のラインナップを眺めているだけで幸せな気持ちになる。
僕は基本的に本が好きだし、漫画も好きだし、新書も読むし、よくわからないホビーコーナーも眺める。なんでも眺めて、面白いものを探す。
そういう余地のある書店が面白くて大好きだ。写真集のコーナーに「九龍城写真集」とか置いてあったりすれば最高だ。いったい誰が撮ったんだそんなもの。

そういうふうに書店で楽しく生きている僕の生活圏から、書店がまたひとつ姿を消した。実に悲しい。本を万引きする奴はそこはかとなく苦しめ。地獄に落ちてもまだ足りない、何度でも煮えたぎる油に落とされろ。仏も蜘蛛の糸とか垂らすんじゃないぞ。

ああ、また今度書店に行こう。文庫本をジャケ買いして喫茶店でコーヒー飲みながら読もう。そんな休日を過ごそうとしている僕はなんて高尚で優れた頭脳を持ったセンスのいいワンランク上の人間なのだろう!

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