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小説というたしかな救い

こんにちは。少し前の台風の日に「涼しい〜」と思って窓開けてたら部屋がビショビショになりました、Anzです。ちなみに、中1のスキー合宿でも部屋の窓を開けたまま夜ご飯を食べにいき、部屋に帰ってきたらベッドに積雪していたことがあります。アホすぎて部屋班全員で爆笑しました。

スキー合宿はじめ、学校での宿泊行事っていうのは大抵暇な時間があります。私はそういう時にずっと本を読んでいました。「趣味は?」と訊かれたら「読書」と自信を持って答えられるくらい、昔から小説が好きでした。

両親はゴリゴリの関西人、ずっと会話が繰り広げられている家に住んでいるはずなのに私はいったい誰の血をひいたのか、人と話すのがそれはもう苦手だった。中学校に入学したときの私は根暗で気弱かつチビなガリ勉男性というカースト最下層確定の残念すぎるカテゴリに属していて、自分がそういう下層にいる人間という強い自覚をちゃんと持っていたので、自分から人に話しかけることをほとんどしなかった。

ただ、人間は集団生活から逃げられないもので、話したこともない人とひょんなことから同じ班になってしまい話さざるを得ない、ということも多々ある。

そういう時の私は、話したこともない相手が何を思って、何を発言して、どんな行動を取るのか、一挙手一投足をよく観察して、ようやく怯えながらボソッと話せる……という、自分からは行動もしないし自己開示もしないクセに、相手のことは知りたがって、でも知るためのコミュニケーションは取らないというあまりにもカスすぎる奴だった。

相手とコミュニケーションを取れないので相手との信頼関係も築けず、誰に対しても本来必要としない異常なまでの優しさを発揮し、無駄に要らんことを背負い、よく分からない役回りになることも多い。こんな、頭だけは良くて普段はクラスで話すことないけどでも話そうと思えば話せるくらいのポジションの奴は、学生生活でしたいわけもない班長とかを変に任されて地獄を見る。

あまりにも人間のことが分からないので、もはや人間社会に紛れる意志薄弱な別の生物となっていた当時の私は、あさのあつこの『No.6』や有川浩の『図書館戦争』、森博嗣の『すべてがFになる』などのエンタメシリーズものを読んで現実から逃げていた。が、ある日何を思ったか、中学校の図書室にあった『はじめての文学』という全く毛色の異なるシリーズを手に取った。

そこに掲載されていた短編たちは、それまでに読んでいたYA(ヤングアダルト)の小説と比べて明らかに大人びていて(というかそもそも主人公の年齢が大人で)、自分じゃ到底理解できないような感情と行動の宝庫だった。私は、自分の理解できない範囲にあった他人の感情や行動を、小説を通してはじめて言葉として理解することができた。

それまでの私にとって、読書は現実と分離したエンタメだった(何なら、自分が現実から離れて小説世界の登場人物になる妄想をしていた)。しかし、『はじめての文学』は、小説の方から私たちがいる現実に近づいてきたのだった。小説と現実は、案外近いところにいる時もあると。

小説の新たな楽しみ方を知った私は、中学2年生くらいからYAを徐々に離れ、一般文芸の小説にハマっていくようになる。そのほとんどは読みやすそうな作品だったけれど、たまにヘミングウェイの『老人と海』とか、三島由紀夫の『潮騒』とか、安部公房の『第四間氷期』とかを、ちょっと背伸びして借りてみて、結局よく分かんなかったな〜と思いながら図書室に返却する。

でも、そうやって背伸びしているうちに、私は自分以外の人間の思想を少しずつインプットしていたみたいで、今目の前にいるこの人は、あの小説に出てきたあの人物みたいだ、と思うようになったりすることが時々出てきた。相手が考えていることが少し分かる気がして、昔よりも話すハードルが下がっていた。高校生になった自分は、中学生になったばかりの暗かった自分とは違う人間だった、と思う。


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大学生になった私は、友達の話を聞くのが好きだし、友達について知る時間が好きになっていた。昔は全然人のことを誘わなかったし、そもそも人にそこまで興味もない冷酷な奴だったのに、たまにこちらから誰かを誘うようにもなった(それでも誘い待ちなことが多くて申し訳ないのだけれど)。

他者への怯えから相手を観察していた自分は少しずつ無くなっていき、代わりに純粋な興味から相手を知りたがるようになっていた。話していく中で、それまで知らなかった面、おそらく全員に見せるわけではない面を見せてくれた時が純粋に嬉しかった。

10年近くの長い期間、関係性を続けられている友達もかなり増えてきた。その関係が続いているのは、たぶん私に興味を持って、たぶん私のことをちょっとは信頼してくれている友達のおかげでもあって、本当にありがたい。

その一方、一人で過ごす時間も好きだったし大切にしたかった。大学2年生の時にコロナが流行し、下宿先で過ごす時間がほとんどになった。不安な世界で手に取っていたのも小説で、この頃から純文学の作品を読むことも増えた。大学生らしく村上春樹の『1Q84』や村上龍の『コインロッカー・ベイビーズ』を読んだし、金原ひとみの『蛇にピアス』、遠野遥の『破局』、今村夏子の『むらさきのスカートの女』などの気に入った小説も沢山あった。

でも、大学時代の一番の出会いは伊坂幸太郎の小説だった。中学生のはじめの方、先にも述べた森博嗣の小説にハマっていた時以降、なんとなく殺人を解決する設定が苦手になってミステリから距離を取っていたが(トリックとして整合性が取れていても、そもそもヘンテコな事件が起こるという前提の時点で整合性が取れていないと思っていた時期があった)、ふとした時に『重力ピエロ』の冒頭一文を知って久しぶりにミステリ小説を買った。

『重力ピエロ』には、大量の伊坂節とも言える言い回しが使われていて、私はその言葉遣いにみるみると惹かれていった。最後の一文を読んだ時は感動とか衝撃とかを超えて、心ここにあらずの状態だった。

それから、伊坂幸太郎の小説を漁る日々が続いた。困窮していた大学生としてはありがたいことに、どの小説も大きくヒットしているので、古本屋にいけば大抵何か1冊は安く手に入るのもありがたかった。気付けばすべての文庫本を読み終えてしまい、そこからは単著に収録されていない短編とか、どこかに掲載されているらしいエッセイやインタビューまで探して読み漁った。

気付けばコロナ禍も少し落ち着いて、就活の時期がやってきた。自分の人生にあったのは沢山の小説だったので、本と関われる仕事に就いた。


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せっかく本と関わる仕事に就いたのに、昨年の夏から冬にかけて、私は人間関係の問題でかなり精神面を悪化させていた。本が好きな人は、きっと良い人ばかりだと思っていた自分が甘かった。なかには、どんな本を読んできたらそんな性格になるんだと思う人もいた。

気付けば、本がまともに読めなくなっていた。本を読むのが好きな自分でも、精神面の崩れが読解能力に強く響いてしまったことで、さらに落ち込んだ。どんなに気分が落ちても、小説は読めると思っていた。とても大事な逃げ場を失った。

結局、底まで沈んだ私は無気力な日々を過ごした。周りの友達が前に向かって進んでいるのに、自分の生きている理由はパッとしない。いつしか周りの友達を見ることがつらくなっていた。周りの友達の生活を見て、なんで自分だけ、と僻んでいる自分のカスみたいな性格に嫌気が差した。インフルエンサーの自殺に自らの命が引き込まれていく感覚を、初めて理解した。

そんな時に『さよならジャバウォック』という小説が刊行された。伊坂幸太郎の2年ぶりの長編小説だった。その日、久しぶりに本屋で小説を買った。

1日30ページくらいの、大学生の私に伝えたらびっくりすること間違いなしのスローペースで、大切に読み進めた。物語のなかに出てくる破魔矢と絵馬という少し変わった夫婦に励まされるようにして、少しずつ。

最後の最後、伊坂幸太郎はいつものように大きく驚く仕掛けを用意していた。この衝撃は、伊坂作品でしか味わえない。コロナ禍、ワンルームの静かな部屋で『重力ピエロ』を読み終えた、あの時のことを思い出した。私は、伊坂作品ならではの「びっくりするくらいのハッピーエンド」が好きだったんだ。このとき、再び小説と出会うことができた。

そこから私は、様々な本と出会いつづける。その出会いをもたらしてくれたのは、周囲にいた色々な人のおかげでもあるのだけれどそれはさておき、物語が自分の生活を再び明るくしてくれた。本屋に行って、いま読んだ方が良いと思える本は輝いて見えた。それはたとえば木野寿彦の『降りる人』や、角田光代の『明日、あたらしい歌をうたう』や、窪美澄の『君の不在の夜を歩く』や、東山彰良の『流』や、早瀬耕の『未必のマクベス』や、吉田修一の『タイム・アフター・タイム』や、金子玲介の『私たちはたしかに光ってたんだ』や、久栖博季の『貝殻航路』だったりした。どの小説にも出会えることができて良かった。

小説と初めて出会ったとき、私はその小説世界を純粋な楽しみにしていた。それからしばらく経って、別の人生の追体験という面白みを小説に求めるようになった。大きく落ち込んだ時は一旦離れてしまったけれど、その心を復活させてくれたのも小説だった。そして、自分と登場人物の重なる所を探して、他にも自分と似たようなことを考えている人がいるんだと安心した。

小説は私にとっての救いで、小説が次々と放たれてきたこの世界に生きていて良かった。だから、これからも沢山の物語が生まれてほしい。それが、未来にいる過去の私のような人をどん底から掬い上げると思う。今は、心からそう思う。

最近は色々とあって、実家に帰ることが多い。私の部屋には大量の本が残されていて、帰るたびにその中の1冊を手に取ると決めている。今日も本棚に並んでいた何百の本たちを眺める。そして、ひときわ輝く一冊の本に、手を伸ばす。


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