「癒し」とはなにか : 風俗で中年男性が買っているものの正体
前の記事で、40代50代の男性が同じ子を指名し続ける理由を書きました。
ドーパミンが作っているのは「気持ちいい(liking)」ではなく「欲しい(wanting)」のほう。
だから若い人はwanting(欲しい)に引っ張られて、色々な女の子を指名しやすい。
中年の方はliking(気持ちいい)に引っ張られて、同じ女の子を指名しやすい。
平易な言葉で言ってしまえば、若者は「刺激」を、中年男性は「癒し」を求める。
ただ、「癒し」という言葉は便利すぎて、実は何も説明していません。
癒しとは、ただ単に気持ちよくなることではないんです。
理論が指していた、「癒し」の行き先
なぜ中年の男性が「癒し」を求めるのか?
カーステンセンという心理学者が1990年代に提唱した、社会情動的選択性理論というものがあります。
人は、自分に残された時間が短いと感じるほど、新しい相手を開拓するより、すでに信頼できる相手と過ごすほうを選ぶようになる。
若いうちは、人と会う目的に「情報を得る」が含まれています。
この人は自分に何をもたらすか、どんな世界を見せてくれるか。
だから新しい相手に価値があります。
ところが残り時間の感覚が変わると、目的が「意味のある時間を過ごすこと」に寄っていきます。
すると、すでに分かっている相手のほうが効率がいいのです。
ただ、この理論が予測しているのは、40代50代の男性が、すでに親密な相手に投資を集中させることです。つまり奥さんや、一番古い友人のほうへ向かうこと。
当たり前ですが、別に風俗に来ることではありません。
でも、風俗に来る方々がいる。
それはきっと、奥様や古い友人では満たされない気持ちがあるのではないでしょうか。
「癒される場」が生活の中に残っていなかった。
だから、時間で買える場所に向かった。
気持ちよさではない「癒し」の正体
では、その「癒し」の中身は何なのでしょうか。
参考になるのが、コーアンとスバーラが2015年に整理した、社会的ベースライン理論です。
人間の脳は、信頼できる他者が近くにいると、目の前の状況の「大変さの見積もり」そのものを下げます。
同じ坂が実際より緩く見える、痛みの評価が下がる。
そういうことが起きます。
人間の脳は、一人で世界に対処する前提では設計されていないようです。
つまり癒しとは、気持ちよくなることではありません。
他者といることで、一人で背負っているものの重さが軽くなることです。
ただし、この理論が実際に調べてきたのは、配偶者や友人です。お金を払って呼んだ相手で同じことが起きるのかは、まだ誰も確かめていません。たぶん。
おそらく、私(風俗嬢)が提供できているのは弱い癒し、代替品としての癒しなのだと思います。
それでも、お店のリピーターさんについては説明がつきます。
性的なことより、話している時間が長い。
仕事の愚痴、上司の名前、親の介護のこと。
私はほとんど何も解決していません。
ただ隣にいて、聞いています。
お客様が買っているのは、行為そのものより、一人で背負わなくていい時間なのだと思います。
私のnote記事を読んで、次のようにコメントしてくださった方がいました。
お店では素の自分、お店外は、心に鎧を着たお化粧した自分。
お店では重たい鎧を脱ぐことができる、一緒に持ってくれる人がいる。
これが「癒し」なのだと思います。
統計に出ている、中年男性の孤独
そして中年という年齢は、なかなか鎧(背負っているもの)を下ろすことができません。
鎧を一緒に持ってくれる他者がいない。
これは私の印象論ではなく、数字に出ています。
国の「孤独・孤立の実態把握に関する全国調査」では、2022年の時点で、孤独感が「しばしばある・常にある」と答えた人の割合が最も高かったのは、男性では50歳代でした。
また、国立社会保障・人口問題研究所の「生活と支え合いに関する調査」の集計で、男性のおよそ5人に1人が、愚痴を言う先を持っていないというデータが出ています。
心理学には、ソーシャル・コンボイという考え方があります。
カーンとアントヌッチが提唱したもので、人は生涯にわたって、護送船団のように支えてくれる他者の集団を連れて歩いている、という見方です。
問題は、この船団が中年期にシュリンクしやすいことです。しかも多くは、自分で減らしています。付き合いの浅い人から順に、忙しさを理由に切っていく。
困るのは、選んで減らしたあとに、いざ必要になったときには誰も残っていないことです。
職場では弱音を吐けば評価が下がります。
家庭では父親や夫という役があって、そこから外れられません。
友人とは年に一度会えればいい方で、会っても身体の話と昔の話をします。
背負ったものを軽くしてくれる他者が、そうやって一人ずついなくなります。
その空白を埋めるように、時間単位で買える場所として風俗がある。
商品としての「癒し」
風俗における「一人で背負わなくていい時間」は、自然に発生しているものではありません。
風俗嬢が作っています。
癒しは本物です。
同時に、それは商品でもあります。
この二つは矛盾しません。
そこを混同しなければ大丈夫です。
最後に、自分の売上を減らすかもしれない話
風俗に「癒し」を求める。
それは自然な行動です。
なにか法律違反をしているわけでもない。
(ただし倫理的に了承しない人もいます)
ただ、それでも一つだけ言わせてください。
風俗の外にも、重荷を軽くしてくれる相手を、一人でも持ってほしいのです。
自分の売上を減らす話をしているのは分かっています。でも理論が指していた行き先は、もともとそちらでした。
私が決まった時間で提供しているものは、あくまでも代替品なんです。
たいていの中年男性が最初に思い浮かべる相手のことは、私からは書きにくいです。
別の人でもいいのです。昔の同僚でも、友人でも構いません。
そして、時間とお金に余裕があるときに「代替品」として私を選んでほしい。
それが私のささやかな願いです。
