思わせぶりなラジオ・サロメ

雨音が夜を塗りつぶす時、僕は周波数の隙間を泳ぐ。
チューナーのダイヤルを回すと、ノイズの海が広がり、ザザー、という波の奥から、針を通すようにしてそれを見つける。
三時ぴったり、澄んだ氷が割れるような声が滑り込んでくる。
今夜で7回目だ。
『こんばんは、銀の皿の上のヨハネたち。今夜で七枚目のベールよ』
彼女の名前はサロメ。
周波数はどこにも載っていない。
僕だけが知っている秘密のラジオ。
『愛なんて、映画の終盤みたいに、急に退屈になるものよ。だから結末の前に逢いましょう。午前三時、旧市街のシネマテーク。一番後ろの列で。……映画が終わるまでに私を見つけられなかったら、あなたはただの“親切なリスナー”として消えてちょうだい』
ラジオが切れ、僕は土砂降りの街へ飛び出した。
この街にひとつだけある地下のシネマテーク。
重い扉を開けると、無人の暗闇でカタカタと映写機だけが回っている。
一番後ろの列。
パロサントの冷たく甘い蒸気の向こうに、彼女は座っていた。
「遅かったわね。もういちばん退屈なハッピーエンドに向かってるわ」
隣に座ると、スピーカーと同じ声がした。
「雨のせいだよ。傘を差すのが下手な人間ほど、世界から拒絶されている気がする。そう思わない?」
「……何の話?」
「濡れた肩の冷たさの話だよ。とにかく、本当に君なのか? ラジオではもっと、冷たい悪魔みたいな声だと思ったのに」
「電波は人間の醜さをろ過するフィルターなの。だからラジオの私は完璧で、今の私はこうして湿気った香木の煙みたいなものを吸ってる」
そんなことを思ったわけではなかった。
目の前の少女は悪魔というより、大きく澄んだ瞳が賢い黒猫のようだった。
彼女は煙を吐き出し、ゆっくり顔を寄せる。
「ねえ。私に恋をしに来たの? それとも、退屈な人生にスパイスが欲しかっただけ?」
「両方だよ。ラジオの向こうの悪魔が、本当はどんな顔をして笑うのか見たかったんだ」
「ふん。パッとしない台詞。チケット代、払ってもらうわよ」
その瞬間、カタ、と音がしてフィルムが切れた。
スクリーン全体が真っ白な光で満たされていく。
サロメは立ち上がり、小さな銀色のラジオを僕の膝に置くと、耳元で囁いた。「悲劇の完成。私を二度と探さないで」
重い扉が閉まる。
震える手でラジオのスイッチを入れると、ノイズの奥から彼女の声が聞こえた。
『こんばんは、ヨハネたち。今夜も踊りましょう』
ふと見ると、彼女が去った隣の座席に、映画の半券が一枚残されていた。
裏返すと、少し急いだような文字で書き置きが添えてある。
『ただし、来週の午前三時にもう一度チューナーを合わせたら、その時は探してくれてもいいわ』
外へ出ると雨は上がっていた。
街は不親切なままで、僕の肩は冷たいままだ。
だけどポケットのラジオは微かに温かく、彼女の温度が残ってるいるようだった。
僕は、次の7日間、正気でいられる日々が続きますように.....と。
それだけを考えていた。
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あとがき
不親切な街の片隅で、ラジオの温もりだけを頼りに過ごす7日間。
言葉にできない切なさや期待を、少しでも味わっていただけたならこれ以上の喜びはありません。
来週の午前三時を待つような小さな胸の高鳴りが、あなたの日常にささやかな彩りを添えられますように。
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