澁澤龍彦の凄さはAI・デジタル時代に再認識されてもいいと思う
「もしこの作家がXとかYouTubeとかインスタとかやってたらどんなだろうなー!」と妄想することがある。
森茉莉は、多分Xでめちゃバズるタイプ。ミゾイキクコさんのように尊敬を集めると思う。
三島由紀夫は筋トレや楯の会の活動を毎日配信すると思うし、太宰治は「重大発表が有ります」とか「暫く休止します」と動画を出したかと思うと数日音信不通とかあるかもしれない。
白洲正子が所蔵する骨董や伝統工芸品、鶴川での暮らしを伝えるInstagramをやっていたら、フォロワーは軽く100万人ぐらいついていたんじゃないか。ストーリーズが「今日は梅若さんのお能」とか「志村ふくみさんが遊びに来てくれました」とか豪華そう。
その逆で、「インターネットもAIもない時代に、どうやってこれを書けたんだろう」と思うのが、フランス文学者で作家の澁澤龍彦だ。

例えば私の愛読書のひとつである『毒薬の手帖』(これ多分10回は読んだ)。
最初の数ページだけを例に取っても、中学一年のころに英語の先生から教わった『ペン、鉛筆(ペンシル)、毒薬(ポイズン)』と韻を踏むオスカー・ワイルドの著作にはじまり、1958年に北ドイツで起きた事件、モーリアックの『テレーズ・デケイルウ』、カルル5世の息子オーストリアのドン・フアンからアヴィニョンの法王クレメンス7世、ナポリ王コンラッドやルイ13世に至るまでの逸話が記されている。
「毒」をテーマに、検索したかのようにいろんな話が次々と出てくる。博覧強記、縦横無尽、なのに当人はしれっとして、「ついでに思い出したけど」みたいな感じで軽く書いているよう。『黒魔術の手帖』という著書もあるけれど、この澁澤龍彦の文章自体が魔術だと私は思っている。
なんでこんなにいろんな知識を紐づけて、しかもサラッとアウトプットできてしまうのか?
記憶力自体も相当ずば抜けていたのだろうけど、それに加えて情報の収集・整理力もすごかった。
澁澤龍彦は鎌倉に居を構え、古今東西の本や四谷シモンの球体関節人形など自らの愛するものを集めた書斎で仕事をした。びっしりと書き込み文字通り擦り切れるまで使い倒した『プチ・ラルース』の辞書、古色蒼然とした百科事典やフランス語の古本などの膨大なコレクションがあったのは写真にも残っている。
それに加えて、読んだ本についての読書メモをカードで残して、項目別のインデックスで分類していた。また、本の余白にメモを書き込んだりもしていたそうだ。
それって、野暮を承知でいってみれば、書斎という外付けのデータベースを検索できるようハッシュタグを付けて情報整理をするようなやり方だったんじゃないかと思う。それで、上に挙げたような「毒」のハッシュタグがついた知識も引っ張り出してくることができたんじゃないかな。デジタル以前からデジタルなやり方だったっていうか。澁澤龍彦が軽々と飄々と時代を飛び越え、今も色鮮やかなのはそういう情報の扱い方のうまさみたいなのもあるんじゃないだろうか。
考えてみれば、古今東西の偏愛するものを集め、その集めたものを並べたお気に入りの書斎にこもって仕事をするというスタイルも現代人ぽいし、失礼を承知で言えば引きこもりの星だと思う。
自分だけのユニバース「ドラコニア」を作りそこに浸ることを歓びとしていた「書斎の王子」。今もその魔術は続いている。
冒頭の話題で、もし澁澤がSNSをやっていたら──なんだろう?noteかな?
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