勝ったあとも、正しくありたい。|論語とマーケティング
私は、正しくないと思う人に勝ちたくて、マーケティングを学びました。
あまりきれいな学び始めではありません。
マーケティングという仕事に憧れていたわけでも、「消費者に価値を届けたい」という立派な志から始めたわけでもありませんでした。
以前の職場で、私は上司の言動について会社に相談したことがあります。会社は、その言動に問題があること自体は認めました。それでも組織が選んだのは、上司ではなく私の方を動かすという判断でした。
当時の私は平社員でした。
人事権もなければ、強い肩書もありません。自分の正しさをいくら主張しても、組織の意思決定は変わりませんでした。
悔しかった。
だから、結果で勝とうと思いました。
そのために本気で学び始めたのが、マーケティングでした。
マーケティングは、私にとって「勝つための技術」だった
売上は、役職とは関係なく数字として残ります。
市場を調べる。顧客を知る。データを分析する。価格を考える。広告を考える。買える場所を増やす。仮説を立て、実行し、数字が変わったかを確かめる。
マーケティングを学ぶほど、「事業の結果は分解して考えられる」と分かってきました。
誰の声が大きいかではなく、顧客が何を選んだかを見る。
自分が正しいと言い続けるのではなく、自分の仮説が本当に顧客の行動を変えたのかを確かめる。
私にとってマーケティングは、最初から教養ではありませんでした。
自分より強い立場にいる人に、結果で勝つための技術でした。
実際、その後の私はマーケティング戦略を担当し、事業はそれまでの過去最高売上を40%上回りました。平社員だった私の役割も変わり、最終的にはマーケティングを率いる立場になりました。
望んでいた「勝ち」は、ある意味では手に入りました。
でも、そのころから別のことを考えるようになりました。
勝った人が、正しいとは限らない
結果を出したことで、自分の考えに以前より大きな影響力を持てるようになりました。
それは、かつての自分が欲しかったものです。
ところが、力を持つ側に回ると、少し怖くなります。
数字を持っているから相手の意見を聞かない。成果を出しているから自分の判断は正しいと思う。自分より立場の弱い人を軽く扱う。
もしそうなったら、私は何のために勝ちたかったのでしょうか。
私が嫌だったのは、「自分が負けていること」だけではありませんでした。
私には正しいと思えない振る舞いをする人が、力を持っていることが嫌だったはずです。
ならば、自分が力を持ったときに同じことをしてしまえば、登場人物が入れ替わっただけです。
そして、マーケティングにはもう一つ厄介なところがあります。
マーケティングは、人の行動を変えるための強力な技術でもあります。
広告で注意を引く。価格の見せ方で判断を変える。Webサイトの導線で行動を促す。顧客データを使って、その人に適したタイミングで働きかける。
これらをうまく使えば、売上は増えるかもしれません。
しかし、売上が増えたことと、その方法が正しかったことは同じではありません。
解約方法を極端に分かりにくくして解約率が下がったとして、それを優れたマーケティングと呼べるのか。
不必要に不安を煽って購入率が上がったとして、それは成功なのか。
マーケティングには「どう勝つか」という問いだけでなく、「その勝ち方は正しいのか」という問いが必要なのではないか。
そんなことを考えるようになりました。
最初に読みたい『論語』の一節
そこで、これから『論語』を学んでみようと思います。
第一回に選びたいのは、『論語』里仁篇にあるこの言葉です。
富與貴、是人之所欲也。不以其道得之、不處也。
「富と貴きとは、これ人の欲する所なり。その道を以てせざれば、これを得るも処らざるなり。」
大意としては、
富や高い地位は、人なら欲しくなるものだ。しかし、正しい道によって得たのでなければ、そこに安住しない。
という意味です。
この言葉がおもしろいのは、富や地位を欲すること自体を否定していないところです。
私はここに強く惹かれます。
勝ちたいと思うこと。成果を出したいと思うこと。より大きな仕事をしたいと思うこと。収入を増やしたいと思うこと。
私は、それら自体を悪いことだとは思いません。
マーケティングでも同じです。
売上を増やしたい。利益を増やしたい。競合より多くの消費者に選ばれたい。
企業がそう考えること自体を否定してしまえば、マーケティングという仕事そのものが成立しなくなります。
問題は、何を得るかではなく、どう得るか。
2000年以上前の言葉ですが、マーケティングの仕事をしている自分には、ずいぶん現代的な問いに見えました。
ただし、これは「孔子がマーケティングについてこう言っていた」という話ではありません。
孔子の言葉を、現代のマーケティング実務に置いたときに、自分にはこういう問いが見えるという話です。
このシリーズでは、その区別を大事にしたいと思っています。
『論語と算盤』から、『論語とマーケティング』へ
このシリーズ名には、もちろん元ネタがあります。
渋沢栄一の『論語と算盤』です。
渋沢は、論語と算盤は対立するものではなく、「論語と算盤とは一致すべき」と述べ、経済と道徳を調和させる必要性を説きました。
私はこの考え方が好きです。
利益を求めることを否定して、道徳だけを語るのではない。
反対に、利益が出るなら何をしてもいいとも考えない。
利益を生むことと、正しくあることを、最初から別々の問題にしない。
一般に「道徳経済合一」と呼ばれるこの思想を、私はマーケティングでも考えてみたいと思いました。
だから、『論語とマーケティング』です。
『論語と算盤』への、かなり大げさなオマージュです。
算盤をマーケティングに置き換えてみる。
どうすれば顧客に選ばれるのか。どうすれば売上が増えるのか。どうすれば市場で勝てるのか。
そうした問いを考えるのがマーケティングなら、その横に、
「その方法で勝っていいのか」
「勝ったあと、その力をどう使うのか」
という問いも置いておきたいのです。
正しく勝つ。そして、勝ったあとも正しくある
今の私には、「正しいマーケティングとは何か」という完成した答えはありません。
むしろ、それを持っていないから論語を読みたいと思っています。
ただ、現時点で考えたい問いは三つあります。
なぜ勝ちたいのか。
どうやって勝つのか。
勝ったあと、その力を何に使うのか。
マーケティングは、二つ目の「どうやって勝つか」について、非常に多くのことを教えてくれます。
市場をどう見るか。顧客をどう理解するか。どこに資源を投入するか。どう伝えるか。どう測るか。
私はこれからも、それを学び続けるつもりです。
強くなることを諦めるつもりはありません。
ただ、勝つ技術だけを磨き続ければ、自動的に正しい人間になれるわけでもありません。
だから私は、別の場所にも学びに行きたい。
2000年以上読み継がれてきた『論語』には、人はどう振る舞うべきか、富や地位とどう向き合うべきか、他者とどう関わるべきか、間違ったときにどうするべきか、といった問いが繰り返し登場します。
マーケティングで「勝ち方」を学んできた自分が、それを読むと何を感じるのか。
そして、現代のマーケティング研究や心理学、行動経済学、実務経験と照らしたとき、2000年前の言葉から何を学べるのか。
このシリーズでは、それを考えていきたいと思います。
論語の専門家として答えを教えるのではありません。
私自身が、一人のマーケターとして学びます。
私は、正しくないと思う人に勝ちたくてマーケティングを学びました。
だから今度は、自分が勝ったあとも正しくあるために、論語を学んでみたいと思います。
プロフィール
マーケティング戦略コンサルタントです。
事業会社とコンサルティング会社の両方で、販売・CRM・データ分析・市場調査・需要予測・価格・広告・Webなど、マーケティングの上流から下流まで経験してきました。
このnoteでは、実務と研究を行き来しながら、仕事・キャリア・発信に使える再現性の高い考え方を紹介しています。
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自己紹介|実務とエビデンスから、マーケティングの本質を探しています
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参考URL
中国哲学書電子化計画「論語・里仁」
https://ctext.org/analects/li-ren
公益財団法人 渋沢栄一記念財団「論語と算盤オンライン|仁義と富貴」
https://eiichi.shibusawa.or.jp/features/rongotosoroban/part4.html
公益財団法人 渋沢栄一記念財団「論語と算盤オンライン|青年と金銭」
https://eiichi.shibusawa.or.jp/features/rongotosoroban/36_rz307_030.html
