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人魚の肉──飛鳥部勝則を読みすぎた男【ためし読み】

 金沢では妖怪の肉を食べる。
 しかも日常的に。
 耳を疑ったが、しかし間違いないようだ。
 鬼。河童。
 ひょっとすると。
 人魚の肉を食べられるのかもしれない。

 私はいま、北陸新幹線に乗り、金沢に向かっている。金沢で私のトークイベントとサイン会が開催されるのだ。こんなことがあろうとは、人生はわからないものだ。
 きっかけは昨年、二〇二四年一〇月から十一月にかけて開催した〈飛鳥部勝則と、そのコレクション展〉である。小説家であり洋画家である私は絵画のコレクターでもあるのだが、この展覧会は〝そのコレクションとともに自作小説に用いた私の自作絵画を展覧する〟という一風変わったものだった。会場は新潟県十日町市の〈星と森の詩美術館〉。開催直後、私が登壇するギャラリートークイベントがあったのだが、その聴衆に大黒天のようなお客様がいた。
 登壇後、その大黒天氏と言葉を交わしているうちに「大阪圭吉が好きです」と言うものだから嬉しくなり「私も大阪圭吉の名前を自作小説に登場させたことが」と気づけば、カフェで三時間も話しこんでしまっていたから驚いた。
「今度、ウチの会のゲストにも是非」
 聞けば、大黒天氏──谷内さんは金沢からお越しだという。氏の所属する金沢ミステリ俱楽部KMCは金沢市を中心に活動する読書会で、十数年の歴史と数十名の会員を有する大所帯とのことだ。このあたりは流石、古都・金沢である。
「星海社の『封鎖館の魔』が刊行されたら、それを読書会の課題書にしようと考えておるんですよ。石川県立図書館を会場にして、市民からも参加者を募り、読書会のあとはトークショーやサイン会も開催できないかなと」
 願ってもない話だ、と思っているところに、
「石川県立美術館には先生のお好きな鴨居玲画伯の絵もございますので、あわせてご観光もお連れしますよ」
 と言うものだから、つい、よろしくお願いしますと答えてしまったが……はたして大丈夫だろうか。

 年が明け、結局『封鎖館の魔』ではなく、早川書房の『抹殺ゴスゴッズ』が先に刊行されることとなり、そちらの刊行記念というかたちで金沢での読書会の話が動きだしたのが梅雨の頃だったが「企画担当の上田君が、読書会ではなくトークイベントにしよう、と言うので大きな会場を押さえました」とメールにあるから、また驚いた。
「ミステリ倶楽部には不知火君という先生の大ファンもおりまして、本職はマジシャンなんですが、トークイベントの司会進行役を快諾してくれまして」ちなみに私はデビュー長篇の登場人物にマジックを演じたさせたことがある。「彼は金沢美術工芸大学の出身なので、トークイベントは美術方面の話題も対応してくれるでしょう」
 美術畑出身のプロマジシャン。
 それだけでいかにもエキセントリック、といった印象を受けてしまうが、一体、どのような人物なのだろうか。

 愛を語ろう。
 飛鳥部勝則作品を語るのだ。
『堕天使拷問刑』──定番すぎる。むろん偏愛しているが、いまさら僕などがあえて語るまでもあるまい。
『黒と愛』──こちらも人気作で、内容については語りつくされてしまっている。そこで、帯にもなったヒロイン・示門黒の〈あなたは、鋏が好きですか〉の一言に着目してみるとする。
 そう、飛鳥部勝則は〝一言で刺す〟作家なのだ。
 顕著なのはタイトルである。
『殉教カテリナ車輪』『N・Aの扉』『誰のための綾織』「あなたの下僕」「プロセルピナ」「羅漢崩れ」「乳房と墓──綺説《顔のない死体》」
 手元にある『堕天使拷問刑』の目次を開く。
 すると、章題までもが冴えている。
〈人面瘡〉〈ツキモノハギ〉〈夜這い〉〈鋏で舌を〉〈お化けが出る〉〈巨人の臓物〉〈窯で煮る〉〈巨大な蝋燭〉〈オススメモダンホラー〉〈新婚旅行〉〈第二次創世記戦争〉〈天使が現れなければならない〉
 どんな内容だろう、と読む前から楽しい。
 つまりは読者サービスなのだ。
 章題などなくてよく、そもそも、章に区切る必要すら本来はない。義務ではないのだ。しかし飛鳥部勝則は細やかに章を区切り、ひとつひとつに丁寧に章題を考える。『堕天使拷問刑』や新作『抹殺ゴスゴッズ』においては、これらが鈍器本なのも一因だろう。読者が迷子にならないようにとの配慮なのだ。
 しかし、それだけではない。
 文庫本を開く。総ページ数四〇六。
 こちらは鈍器本ではないが、目次には同様に、
〈第一章 推理小説風の発端──フィリモア氏のように〉
〈第二章 推理小説風の展開──スフィンクスのように〉

 と、これまた凝った章題が並んでいる。
 なかでも傑作がこれだ。
〈あとがき──図版紹介あるいはボンカレーおばさんの恐怖について〉
 笑ってしまう。失笑を禁じ得ない。
 やっぱりサービス満点だ。
 そうなのだ。
 飛鳥部勝則は小説本文や内容以前、タイトルや章題においてさえ、僕たちを楽しませようとしている。
 これはやはり──愛、なのである。
 その、作者から読者への愛を、読者であるところの僕もまた、ひたすらに愛してやまない。
 そう。
 僕こそが。
 飛鳥部勝則作品を愛してやまない、この僕こそが。
 トークイベントの司会進行役に相応しい。
 出逢いは、美大生のときだ。
『殉教カテリナ車輪』
 香林坊109の地下にある書店に、文庫本が平積みにされていた。そこに独自の美意識を放出する印象的なタイトルと美麗な装画の文庫を見つけたのだ、なんと登場人物が描いたという体裁で作家本人の絵画が作中に挿入されていて、しかもその絵画の秘密を解くと二〇年前の二重密室殺人事件の真相が判明するのだという。堪らず購入し、一気に読み、そして静かに泣いた。生涯でおそらく万単位の小説を読んでいるが、これほど美しく、そして悲しいエピローグをもつ作品を僕は他に知らない。
 その最高のエピローグは、この一文で始まる。

 そして、秋が来た。

 さりげない。しかし、極めつきの名文である。
 谷崎潤一郎は『文章読本』で接続詞を「無駄な穴填めの言葉」と一蹴したが、梶井基次郎「檸檬」のラスト一行など「そして」がなければ成立しないわけで、つまりは使いかた次第だろう。
『殉教カテリナ車輪』の本編はひと夏の話だが、エピローグで秋に時系列をジャンプする呼吸、そしてそれをたった一個の接続詞で集約してしまう卓越したセンスに僕は脳を焼かれた……と、この調子で前文を語り続けると収拾がつかないので泣く泣く作品冒頭一行目のみに対象を絞るが、飛鳥部作品のわかりやすい特徴のひとつに〈エキセントリックな女性〉があり、その多くは美女、そして少女だ。

 私、好きな人がいます、と少女はいった。

 海が見たいと少女はいった。

 首なし死体を少女は棄てた。

 他の書き出しのパターンに疑問で始まるものがあるが、

 生首とはおそろしいものなのだろうか。

 推理小説に禁じ手などあるのだろうか。

 雪女は冬以外の季節にも出るのだろうか。

『堕天使拷問刑』の一行目は、この〈少女〉と〈疑問〉の極上のマリアージュである。

 彼女は月へ行けたのだろうか。

 書き出しの別のパターンに〈事実の掲示〉があり、これの約半数は〈事件〉の描写だ。

 私は豪徳二を殺した。

 窓ガラスをぶち破って、血みどろの頭が飛びだした。

 姉は三分の一になっていた。

 講談社文庫『ミステリーの書き方』で、ヘレン・マクロイが文章の削り方を論じている。曰く「まず削るべきものは物語の出だしの部分」「幕が上がる前に、すでに多くのことが起こっていなければならない」。つまり一行目での事件描写は最高の書き出しでありこれの実践は容易だが、しかし、次のようなものとなると、これは最高に難しい。

 幽霊は、においである。

 人は一生、自分の顔を見ることができない。

 小説は夢を見るための装置である。

 たとえば、こんな書き出しなど、どうだろうか。

   モダンホラーはマヨネーズである。

 ──失敗だ。
 失笑すら叶わない。
 意味不明すぎて、当惑するしかない。
 僕はどうやら変わった人間らしく、特に、思いつきをそのまま話すと、しばしば相手が当惑してしまう。華文ミステリの雄であり盟友──と僕は一方的に思っている──陸秋槎とは一〇年以上の付き合いになるが、彼でさえ「不知火さんの言っていることは全然わからないね」と当惑することはまるで珍しくない。
 陸さんといえば、先日「作家には〈非日常を書くと光るタイプ〉と〈日常を書くと光るタイプ〉の二種類がいる」といった話題で盛りあがった。たとえば飛鳥部勝則は一般に典型的な前者、暴力・怪奇・変態を好むファン層に熱烈に支持されている印象が強い。だが、僕の意見は別だ。飛鳥部勝則は〈非日常を書いても日常を書いても光る〉そんな稀有な、第三のタイプなのである。
『堕天使拷問刑』のなかでよく言及される章に〈オススメモダンホラー〉があり、この中に「モダンホラーばかり読んでいると舌が荒れる」の一文がある。
 理由は明白だ。
 暴力。怪奇。変態。
 これらはマヨネーズなのである。
 僕はやはり料理を味わいたい。何も飾らない、何も気負わない、そんな自然体の文章を愛でることができる作家と巡り逢えるのは読書家にとって最高の幸せであり、僕にとっての飛鳥部勝則とはそのような作家なのである。
 飛鳥部勝則作品は、まず、会話が最高に美味しい。
 どこかおかしい登場人物たちの、しばしば嚙み合わない会話──ズレのもたらすおかしみ・・・・もさることながら、それによる〝伝わらない悲しみ〟が作品全体に敷衍していることがおそらくは重要で、これがあるからこそ『殉教カテリナ車輪』『堕天使拷問刑』『抹殺ゴスゴッズ』のフィナーレで吐露された本心が、あれほどまでに胸を打つのだ。
 何気ない風景描写にさえ、手練れのクロッキーのような玄人好みの旨味が満ちている。
 私淑していた故・津原泰水が「作家は短篇体質と長篇体質がいる。僕は前者。宮部さんは後者」と言っていたが、僕は別の分類もあると思っていて、それは〈長文体質・短文体質〉である。長篇体質の作家は長文体質であるために必然的に作品が長くなる──という単純な相関関係が発生しないのが面白いところで、それこそ『抹殺ゴスゴッズ』は単行本で六五〇頁超の大長篇だが、しかし飛鳥部勝則は短文体質だ。飛鳥部勝則の的確な短文を〝彩度が高い〟とするならば、それをひたすらに積み重ねることで大長篇を描くそのさまは、さながらジョルジュ・スーラである。

   飛鳥部勝則の小説は、点描画である。

 ──これは良い書き出しかもしれない。
 点描画の画家、スーラの代表作に〈グランド・ジャット島の日曜日の午後〉があるが、この作品はなんと縦2メートル超・横3メートル超の大作で、つまり『抹殺ゴスゴッズ』はそのような作品なのだ。そういった飛鳥部勝則の〝素〟あるいは〝地〟の文章の素晴らしさは、もっともっと着目されてしかるべきである。
 料理そのものの味を堪能できる飛鳥部勝則作品といえば『冬のスフィンクス』に尽きるだろう。
『殉教カテリナ車輪』の前年に鮎川哲也賞に応募した作品が原型で、つまり、島田荘司における『異邦の騎士』に相当する作品だといえば、重要さがわかるだろうか。
〝夢で絵画の世界に入れる能力を持つ主人公が夢の中で殺人事件に遭遇する〟という夢づくしの話なのに、なんと書き出しが、

 夢などない。

 なのだから堪らない。以下〝一行だけ〟の禁を破り、数行に渡って引用するとしよう。この誘惑に抗うことなど、もはや不可能である。

 子供の頃からなかった。
 こうなりたい、ああしたい、将来の展望、ヴィジョン、そんなものはない。持っていたのは負のエネルギーだけだ。情熱はプラスのベクトルを持たなかった。ぶつけ場所のない力は四方に発散され、周りを傷つけた。物や人、自分、あらゆるものを。暴れた、壊れた、血を流した、私も、相手も、何もかも、あの夏が終わるまで。
 希望などなかった。
 いつも一人だった。

 嫌いなものならあった。自分だ。才能のない自分の文章を思いだす。魅力のない登場人物。長たらしい描写。要領を得ない説明。御都合主義な展開。読者を置き去りにする論旨の飛躍。夢を見ていた、小説家になりたかった、同人誌や自費出版ではなく商業出版社からの単行本出版を果たしたかった。はじめて小説を書こうと思ったのは十四のときだが、はじめて短篇小説を書くことができたのは三十一のときで、知人に勧められて新人賞に応募したが三次選考であえなく落選した。それからも何度か挑戦したが、ついには一次選考すら通過しなくなった。
 届く……のだろうか。
 夢、夢、夢で終わるのだろうか。
 このまま小説家志望者のままで終わるのだろうか。

 飛鳥部勝則に憧れる……
 僕も、あんな小説を書きたい……
 時間を費やせば、あるいは可能なのだろうか。

 谷内さんと上田さんの首が一八〇度回った。
 背中の上で、顔だけが私を向いた。
 そう見えたのは一瞬で、いまは二人揃って身体ごとこちらを向き直り、怪訝な表情で私を見据えている。
 もちろん私が悪いのだ。
「金沢では人魚の肉を食べる、と聞いたのですが」
 なんの脈絡もなくそんな奇妙な話題を出されれば、誰だって困惑するにきまっている。
 いまは石川県立図書館の施設見学の最中である。トークイベントは午後からで、午前中のうちに会場に入り、ミーティングを終えたタイミングなのだ。
「いえ、そのような噂を、新幹線の車内で耳に」
 あまりに二人の表情が怖いので、慌てて私は補足した。
 大黒様のような谷内さんに対し、上田さんは、平安貴族風、といえばいいのだろうか。公家顔というわけでもないのだが、あの時代の装束が似合いそうな雰囲気がある。
 なるほど、という表情になった二人に向かって、
「おそらく母娘、五〇代と二〇代と思しき女性二人の会話で、言葉の感じからして金沢のかたのようでしたが、たまたま漏れ聞こえた内容がそのようなものだったので驚いてしまいまして。金沢で一緒に降車したので声をかければよかったのですが、盗み聞きをしていたようで急に恥ずかしくなり、それで謎だけが残ってしまった次第で」
「最近は妖怪ブームですからね」
 上田さんは、とぼけたように続けて、
「妖怪好きのかたは和服で、妖怪グッズ──アクリルキーホルダーやぬいぐるみを持っているイメージがあります。根拠はないですが。ただの先入観です」
「特にそういった感じではなかったですね」
「ちなみに、ちょうど来週まで、図書館二階の企画展示コーナーでは〈となりのモノノケ〉展が開催中です」
「そこにヒントがあるでしょうか」
「あるはずありません。いや、ないはずがない。あれ、どっち。まあ、どちらでもいいです。あの展示の目玉・・・・・は人魚のミイラなんですが、あ、眼球の展示・・・・・じゃないです」
「それは本物の人魚なんですか」
「馬鹿馬鹿しい。そんなわけありません」
 上田さんはなぜか怒ったように言う。初対面の印象と異なり、なんというか、非常に説明しがたいが、この人の会話運びはきわめて独特である。
「マグリットにも人魚を描いた絵画がありましたな」
 谷内さんが博識を披露すると、
「ちょうど、その先が美術書の棚です」
 上田さんが言うので、三人で書架に向かった。マグリットの画集を探し、該当のページを開くと、
「西川貴教ですね」
 とまた、上田さんがよくわからない発言をした。
 ルネ・マグリットの〈共同発明〉は、いかにもシュルレアリスムらしい奇妙な絵である。砂浜に魚が打ち揚げられているのだが、その魚の腹部から尾鰭にかけてが、人間の下半身、おそらくは女性の半裸にすり替わっているのである。つまり、アンデルセン「人魚姫」のような、我々が〝人魚〟と聞いて一般的に想像する〈上半身=女性・下半身=魚〉と正反対の異形が、この絵には描かれているのだ。
「な・ま・あ・し・み・わ・く・の」
「音痴だな。音が合っとらんよ。音が」
 ついに上田さんが歌いだし、いたたまれなくなった私は頭を抱えそうになったが、谷内さんに動じる様子はない。
 いつも上田さんはこんな調子なのだろうか。
「あはは。おかしい。こんな人魚いるはずないって」
 確信した。普段からこうなのだ。
「ところで先生。ミレイはお好きですか」と谷内さん。
〈落ち穂拾い〉や〈種を撒く人〉で有名な、ジャン=フランソワ・ミレーのことだろうか。
「江留美麗という人物が『堕天使拷問刑』にいました」
 と、これは上田さん。
「子供の頃、お恥ずかしいことに〈オフィーリア〉は人魚の絵だと思っておったんですよ」
「私もです」と、また上田さん。
〈オフィーリア〉は、ラファエル前派の画家、ジョン・エヴァレット・ミレイの代表作である。金色の刺繡に彩られた白いドレスの女性が、頭部を画面の左側に向けて仰向けになり、黄緑色の草木に囲まれた水面に浮かんでいる様子が描かれている。誰もが見たことがあるだろう。モチーフは、シェイクスピアの四大悲劇のひとつ『ハムレット』に登場する女性だが、
「まさしくシェイクスピアのその場面の描写に〝裾が大きく広がって、人魚のようにしばらく体を浮かせて〟という一文があったと記憶しています」
 私がそう言うと、上田さんがまたとぼけたように、
「寝湯みたいですよね」
「なんだそれ」
「知りませんか。ぬるめのお湯を浅く張った浴槽に仰向けになるんですよ。中村町のスーパー銭湯に露天のものがあって、のぼせないから、いくらでも長湯できるんです」
「なるほど。我々にうってつけだな」
「開店直後か、閉店間際じゃないと、なかなか一人きりにはなれないから、それがちょっと、あれだけど」
「ところで人魚の話ですが」
 私は強引に話を戻す。
「金沢に人魚伝説のようなものはないんでしょうか」
「水に関係する妖怪なら、河童でしょうか」
「おお。金沢に河童伝説が」
「いいえ。ただ、相撲で負けると頭の皿から水が零れて死んでしまうという話があったなと。私も乾燥肌なので」
 と、上田さんが首筋を掻くと、皮がぺろりと剥がれて落ちた。よく見れば首筋に微妙な濃淡があり、ほのかな斑模様になっている。上田さんが皮膚をそそくさと拾い、ポケットティッシュに包んだ。日焼け、もしくはアトピーだろうか。こういった話題はこちらからは触れづらいものだ。
「そういえば寺町、飴買い幽霊の発祥なんだろう」
「全国にそういうお寺があるらしく」
「ふうん。じゃあ違うか」
 と言っているお二人に、また別の質問をする。
「金沢の郷土料理や珍味は関係ないでしょうか」
「治部煮とか」と上田さん。
「ああ。鴨を使うんですよね」
「香箱蟹。ノドグロ。蕪寿司。河豚の子の糠漬け」
子付け・・・とか。あれ、珍しいらしいぞ」と谷内さん。
「それは金沢の料理でしょうか」
「真鱈の昆布締めの刺身にですね、茹でてから炒った鱈の卵巣の粒をまぶしたものです。これがまた日本酒に合うんですな。ああ、先生は下戸でした。失敬、失敬」
「冷静に考えるとグロいです」
「何がだね」
「だって切り刻んだ親の死体に、火を通した大量の子供を貼りつけるんですよ。サイコパスです」
「そりゃあ、そういう言いかたをすれば、そうだけど」
「グロい魚で思い出しました。兼六園の瓢箪池の鯉が大量発生した時期があって、餌を撒いたら集まりかたがエグいと話題になって。私は可愛いと思ったんですけど」
「いいじゃないか。親近感があって」
 また会話が妙な方向に向かっている、と思っていると、
「そういえば、不知火君、まだ来んのかね」
 谷内さんが腕時計を気にしだした。そうなのである。
 今日のトークイベントの司会役であるマジシャンの不知火さんに、連絡がつかないらしいのである。
「どうせまた寝坊ですよ。不知火さん、私には日時や曜日の間違いを鬼の首でも取ったように指摘してくるのに」
「いや。あなた、本当に間違いが多すぎるよ」
 あはは、と上田さん。
「間違えといえば、不知火君、谷内の〝ち〟を毎回、内側の内じゃなく、地面の地で書いてくるんだよなあ」
「予測変換がそっちになってるとか」
 憮然とした表情の谷内さんが手元に視線を落とすと、
「ああっ」
 上田さんが声を挙げた。
「飛鳥部さんにクイズがあるんでした」
「クイズ、ですか」
「トークイベント終了後、サイン会は整理番号順に順番待ちになるので、そのあいだ手持ち無沙汰にならないよう、来場者に向けて出題しようと不知火さんが考えたんです。ただ、反対に飛鳥部先生はサイン中で楽しむことができないわけですから、いまのうちにと」
 なるほど。色々と気が利いている。
「あとで写真をお見せしますが……私の息子に関係した話なんです。先にお伝えしておくと、本当は年齢はむしろ関係ないんですが、私の息子は三〇代です」
「リアル版・日常の謎、というわけですか」
「あれだろう。あの、腕時計の話だ」
「谷内さん。先に言うのはちょっと」
「すまんすまん」
「都筑道夫に『ジャケット背広スーツ』という作品がありました。私の場合は『両腕の腕時計』といったところでしょうか。どうして男はそんなことをしたのか・・・・・・・・・・・・・・・・
「つまり、両腕に腕時計をつけていた・・・・・・・・・・・・、その理由を考えればいいわけですね」
「しかも数が凄い。自分で凄いと言ってしまいましたが。なんと左腕に五個・・・・・右腕に二個つけていた・・・・・・・・・・んです」
「左腕に偏っているのは右利きだからでしょうか」
「正解。流石です」
「しかし、それだけの数をつけていた理由となると」
「肝心なことを忘れていました。肝心でもないですが。なんと、その腕時計はすべて壊れていた・・・・・・・・・・・・んです」
 なるほど。これは難問だ。
「壊れていたということですが、デジタル、アナログ、どちらだったでしょうか」
「両方です」
「どちらの腕に、どの腕時計を」
「数も種類もほぼ関係ありません」
 どういうことだろうか。皆目見当もつかない。
「大ヒント。これは『容疑者Xの献身』オマージュです」
「息子さんは数学者で」
「いいえ。普通の会社員です。つまり、この問題は〝幾何に見せかけた関数の問題〟なんです」
 まるでわからない。
「一旦設問を整理してよろしいでしょうか」
「ダメです」
 なんなんだ。この人は。
「説明が……その……行き来しているといいますか」
「実は不知火さんが、どう出題しようか迷っているらしく。そこで飛鳥部さんのお知恵をお借りできないかなと」
 ますますわからない。
「こういうことなんです」
 上田さんがスマートフォンの待受画面を見せてきた。
「なるほど……ホワイダニットではなく・・・・・・・・・・・ホワットダニット・・・・・・・・……そして叙述トリック・・・・・・だったんですね」

「今年になってからトークイベントは五回目でして……皮切りが二月の『堕天使拷問刑』文庫化記念イベント。四月には『ラミア虐殺』文庫化記念イベントと〈SFカーニバル〉が立て続けにあり、先日の九月六日、ちょうど二週間前ですね、芳林堂高田馬場店さんで『抹殺ゴスゴッズ』刊行記念イベントがありました。個人的にはそちらを前編、今日が後編と位置づけています。というわけで早速、高田馬場の続きをお話ししてよろしいでしょうか」
 客席の反応は曖昧である。
 何回やってもトークイベントは難しい。ふざけてみせたところで聴衆は簡単には笑わないし、それ以前にほとんどの場合、反応そのものがまるでない。真剣に聞きいっているか、それともつまらないのか、無言の聴衆の心境はついぞわからない。まるで空気に向かって話しているようだ。
 そもそも空気が悪すぎる。
 言いたくはないが、上田さんのせいだ。
 ──開演直後、注意事項などを聴衆の前でひとくさり話したのだが、まず格好が問題だった。シャーロック・ホームズの扮装なのだが、ベージュ色のコートはマタニティウェアのようで、反対に小さすぎる帽子はベビーキャップのようだ。こともあろうに上田さんはこうも言った。
「この会場の名前は、なんと〈だんだん広場〉……いま大人気の『ダンダダン』とは無関係です」
 彼一流のジョークらしいが、これは厳しい。
 耐えかねたらしく、手にしていたピコピコハンマーで自分の頭を叩いたが、角度が悪かったのか、気の抜けた音がわずかに鳴るばかりで、空気はさらに重くなった。
「これ、ドン・キホーテで九九九円でした。鈍器だけに」
 値段に言及したのが完全に余計で、ドンキ・・・と鈍器をかけたことすら客席には伝わっていないとみえる。
「それでは抱腹絶倒、大爆笑間違いなし。飛鳥部勝則さんのご登場です。皆さん拍手でお迎えしましょう。どうぞ」
 今度こそ、私は本当に頭を抱えた。


◆続きは『金沢ミステリ倶楽部会誌 vol.18』でお楽しみください◆

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