全てを奪われても、生き様だけは自分で選べる。映画「ラーゲリより愛を込めて」
※ネタバレあります
涙は必至! ティッシュを多めに用意して
大ヒット作品である「ラーゲリより愛を込めて」をamazonプライムで観た。
口コミではかなりの高評価で、私も前から観よう観ようと思っていた。しかし、シベリア収容所が舞台ならば、主人公らの境遇が過酷なのは必至だ。なかなか観る勇気が持てなかった。しかし、観ないままでもきっと後悔する。先日、ようやく再生ボタンを押したのだ。
結論から言って、本当に良かった。今も余韻が残っている。涙もろい私は、ティッシュを存分に消費した。
主役の山本幡男さんは、最期まで希望を持ち続けた
さて本作を観て、改めて考えてみたテーマがある。
「希望」
二宮和也さん演じる山本幡男さんは、シベリアにあるラーゲリ(収容所)に送られた。零下40度の中、重労働を課せられる。一日に配給される食事はほんのわずか。
劣悪な環境で、仲間はどんどん亡くなっていく。しかし山本さんは「帰国(ダモイ)」の希望を捨てず、仲間を鼓舞し続けた。
しかし、運命は残酷だ。
抑留から3年が経ち、仲間の大半は帰国できたが、山本幡男さんら数人はラーゲリに残留となった。さらに山本さんはソ連側の一方的な裁判で、重労働25年を課せられた。
長期間の抑留を宣告されたなら、自暴自棄になるのも無理はない。むしろ、その方が自然だろう。
しかし、山本さんは違った。それでも希望を持ち続けた。
いつかきっと帰国できる、家族に会えると。仲間たちにもそう励まし続けた。
その姿を見ていて、泣くなといっても無理だろう。
なぜ、彼は「希望を持つこと」を選んだのだろう
だが、私は思うのだ。
なぜ彼は「希望」を選んだのだろうか。
希望を持つことは美しい。
言うのは簡単だ。しかし、希望を持ち続けること、それは果たして「正しい」のだろうか。特に山本さんのような状況で。
希望は生きる活力となり、自分を鼓舞させる。しかし希望を灯し続けるには、気力が必要だ。そして気力は、身体の状態によっても変動する。
希望を持ち続けるだけムダだ。
山本さんにもそんな疑いの声が、囁きが耳から離れない日があったはずだ。
精神科医ヴィクトール・フランクルは世界的名著「夜と霧」、そして「それでも人生にイエスと言う」で、強制収容所における人間模様を描いた。
私はまる三年にわたって幾度となく、「あと六週間たったら戦争は終わる。遅くても六週間でまた家に帰れる」という話を聞きました。幻滅はますますにがくなり、ますます深くなりました。聖書には「何度も幻滅した心は病気になる」とあるのですが。
同じくフランクルの名著「夜と霧」では、クリスマスには解放されて家に帰れるという噂を信じた人々がデマだと分かったときに、次々と死んでいったという記述があった。
あと◯◯日まで耐えさえれば・・・と。
それが潰えたとき、一転して絶望が襲いかかる。生きる気力を根こそぎ奪っていく。
ならば、ハナから希望など持たない方が、後の絶望を避けられるのではないか。心を閉じてしまった方が生きやすいのではなかろうか。
希望が無ければ、絶望もない。何があっても、感情を動かさない。
誰かの死にも動揺しない。
これも、生き延びるための手段ではないだろうか。
全てを奪われても、生き様は自分で選べる
さらに極限状況は、人間の表面など見事に剥ぎ取る。
平時は立派なことを言っていても、生き延びるためとなれば、人を平気で蹴落す。なりふり構ってられない。それを後から知ったところで、誰も責めることはできないだろう。
だが、山本さんが子どもたちに宛てた遺書にはこう書かれていた。
さて、君たちはこれから人生の荒波と闘っていくのだが、最後に勝つものは道義であり、誠であり、真心である。人の世話にはならず、人に対する世話は進んでせよ。無意味な虚勢はよせ。立身出世などどうでもいい。最後に勝つものは、道義だぞ。
なぜだろう。
なぜ、こんな状況になってまで、山本さんは道義を貫くことができたのだろうか。私には甚だ自信が持てない。だから、問うてみたくなる。
逃れられない運命であっても、どんな態度で臨むのか
ふと、フランクルが提唱するところの「態度価値」という言葉が脳裏をよぎった。
自分の可能性が制約されているということが、どうしようもない運命であり、避けられず逃れられない事実であっても、その事実に対してどんな態度をとるか、その事実にどう適応し、その事実に対してどうふるまうか、その運命を自分に課せられた「十字架」としてどう引き受けるかに、生きる意味を見出すことができるのです。
全てを奪われたと思われても、人の心の中までは奪うことはできない。
どう生きるかは最期まで自分で選ぶことができると、フランクルは著書を通して語りかける。山本さんの思考の軌跡は分からないが、道義を貫くことを選んだのだ。
同じ時代を生きたフランクルと山本さん。場所は違えども、同じ境遇に立たされた二人の思いは通底していたのだろうか。
誉められもせず、苦にもされず、道義を貫く人々へ
山本幡男さんの生き様は、書籍「ラーゲリからの手紙」によって、多くの人の目に触れることになったが。
誉められもせず、苦にもされず。それでも生涯にわたり道義を貫く人はいるのだろう。このSNS全盛のなかで、彼らは決して声高に主張しない。この世界の片隅で、もしかしたら私たちのすぐ近くで、ひっそりと人生を営み続けているのだろうか。
そういう者に 私はなりたい。

