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家系図をめぐる旅は、自分と出会う旅

先日、YouTubeチャンネル「Nontitle」で話題になった家系図作成について、ざっくりnoteに書いてみた。

お盆前のこの時期。今回のnoteでは、20年前に家系を遡ったときの体験談とそこで気づいたことを語ってみよう。



まずは戸籍謄本を集めるところから

時は2005年。「家系図作成セミナー」で習ったとおり、まずは役所に戸籍謄本やを除籍謄本を取り寄せるところから始めた。

戸籍謄本を取り寄せる過程で分かったのは、私の父方・母方も遡ると出身地は同じであったことだ。さらに、私の祖母は父方の本家筋出身だったことも分かった。つまり、枝分かれしていたように見えた私のルーツは明治や江戸時代まで遡ると、父方の総本家という1本の幹に集約される。

改めて母にも確認したが、父と母の旧姓とは名字は違うものの、もともとが遠い親戚関係だったことが判明した。


本家筋の人で、家系をかなり調べた人がいた!

私が家系図を作っているというと、家系をかなり調べて家系図を作り上げた人が、親戚の中にいるらしいと母から聞いた。

戸籍謄本だけでは江戸時代後期までが限度だが、さらに遡って調べたらしい。その親戚の方は既にお亡くなりになっているので、ご本人からお話を伺うことは出来ない。が、調べた結果を記録に残したらしい。それは是非みてみたいっ。

詳しいことは、母の兄(私の伯父)に聞けば分かるのでは、ということだった。その伯父は長男で、跡取りとして母の実家で暮らしている。とはいえ、母は両親つまり私の祖父・祖母を亡くしてからは実家に帰ることもなくなったので、少し億劫がっていたが。最終的には伯父に連絡を入れた上で、私と一緒に母の実家に訪ねてくれた。

幼い頃はよく遊びに行っていた母の実家。私が訪れたのは数十年ぶりだった。田舎にある母の実家は、相変わらず大きい。使っていない部屋はどれだけあるだろうか。

「家系を調べたい人っているんだな・・・。そんなのに興味があるなんて」
母の兄、つまり私にとっては伯父から物珍しい視線を浴びた。むむっ、負けてはならぬ。何が何でも家系図を見なければっ。

ひとしきり世間話が終わったあと、奥の部屋からごそごそと取り出してくれた。

まずは、家系を調べた方が作ったという、樹形図を描いた巻物を拡げてくれた。さらにその方が自筆で書いた、数枚の記録も見せてくれた。その記録には、我が一族の歴史が記されている。記録によると、何度も何度も壮絶な経験に遭い、それでも何とか生き延びてきたらしい。

巻物は写真に撮らせていただき、記録はコピーさせて頂いた。思い出すと、今でも胸が熱くなる。


あの歴史上の人物と実は・・・!?

ちなみに、どの家系もかなり遡っていくと、歴史上の人物と繋がると言われている。血統として直接繋がる場合もあれば、血統ではないが、歴史上の人物との何らかの関わりが分かる場合もある。

我が家も記録によると、ある歴史上の人物との関わりが記されていた。もっとも家系の専門家からすると、眉唾ものかもしれない。厳密に考えるならば、それが事実かどうかをさらに検証する必要があるからだ。

しかし私は、親族の方が調べて下さった記録と出会えたことを大切にさせて頂いている。そして歴史の書籍でその人物を見かけるたびに、そっとロマンを感じている。


親族のお墓のなかで、ひときわ大きなお墓があった

もう一つ。家系を調べる中で、心に残ったことがある。
母の実家に訪ねた際、祖父母のお墓参りをさせて頂いた。その墓地には、我が親族の墓が多数ある。その中でひときわ大きく目立つお墓があった。

「太平洋戦争で戦死した人のお墓は大きいんだよね」
伯父がボソッとつぶやく。帰宅後、改めて謄本を見てみると、昭和20年にビルマで戦死と記載された方がいた。

ビルマということは・・・あの悪名高いインパール作戦に関わっていたのだろうか。もちろん、謄本にはどのような状況で戦死したかという記載はない。

私の祖父(母の父)も太平洋戦争に二度出征したが、二度とも帰還した。
その一方で、親族の中で戦死した方もいる。しかも、あんな地獄のような戦場で・・・と思うと、言葉で言い尽くせない何かが残る。


家系図をつくることの意義は何か?

この問いを結びとしよう。
まずは、自分をより深く深く知ることが出来る。
先祖代々から受け継がれてきた思いや価値観は、無意識下ではあるが、今の自分に間違いなく影響を与えているからだ。

先祖が代々どういう暮らしをしてきたのか
農家なのか、庄屋なのか、はたまた武家なのか・・・など。どういう家だったのかによって、受け継がれているものが見えてくる。そこを知るのは、自分の根深いところに気づく、一助ではなかろうか。

さらに、ご先祖様が脈々と繋いでくれた糸と、令和に生きる自分とをきちんと結び直す。これが家系図を遡る最大の意義ではないだろうか。

これだけ多くの方々の命のバトンが、自分を繋げてくれた。
運命の歯車次第で、私は存在しない。
私が存在しなければ、我が娘も存在しないのだ。

体内で大きな流れが脈動する。一つ一つの「ありがたい」を繋いだあとに、令和の私たちがいる。

家系図作成を通して、感謝という言葉すら足りないと思えるほど、ありがたいを実感した。そんな体験であった。

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