龍宮城 LIVE TOUR 2026 -MOTTO- 福岡公演(8/28)記録と備忘録
1. 記事の目的
この記事に書かれていることは、誰かに対する批判でも、「こうして欲しかった」というような類の要望でもない。あくまで、事象の記録と自分自身が感じたことを外部記録媒体にまとめておくことが目的である。また、観客の受け取り方は千差万別であり、これは会場にいた一人の観客の極めて主観的な記録・解釈に過ぎないことをあらかじめ明記しておく。
2. 事象
※前提として、龍宮城は本来7人体制のグループである。本公演はその前提が大きく揺らぐ、不測の事態となった。
【1部】KENT欠席に伴う6人でのパフォーマンス
公演前日(8/27)、メンバーのKENTの体調不良により欠席することが発表される。
開場時間が13:30から13:50に変更。
メンバー6人で適宜KENTのパートを担当してパフォーマンスを行う。
【2部】冨田侑暉の制限付き出演とSの途中離脱
2部の開場時間過ぎ、冨田侑暉がパフォーマンスを最小限に抑えた形の出演になると発表される。
1部と同様にメンバーがKENTのパートを担当。冨田は基本的に左右の椅子に座ってパフォーマンスを行う。
『JAPANESE PSYCHO』のパフォーマンス前のミニコントからメンバーのSが不在となり、同曲はITARU、Ray、KEIGO、齋木春空の4人で披露(冨田も一時離脱)
次の『ほえろ!!!』でSと冨田が戻り6人になるも、その後のMCから再度Sが不在に。以降の5曲は戻らず5人でパフォーマンスとなった。
3. メンバーの主な発言
※発言内容は記憶に基づいているため、一言一句正確ではありません。致命的な誤りがあれば訂正いただけますと幸いです。
Ray:
龍宮城は7人いて誰1人欠けてはいけないし、それは当たり前じゃない。それはあなたも同じ。それは忘れないで生きていってほしい。そんな人いないよって思うかもしれないけど、少なくともここに6人、東京に1人あなたを必要な人がいる。
Ray:
ボロボロが1番美しいっていうのをみせたいんだけどどうかな?
KEIGO:
MOTTOもたくさんの人に聴いてもらってるということですし、龍宮城の音楽がたくさんの人に届いてる。ライブだけじゃなくMVなどのコンテンツでもできるだけ多くの龍宮城の音楽を必要な人に届けていきたい。
Ray:
中1で事務所に入ってから本当にあっという間で、このまま龍宮城を楽しく続けていくのは当然だけど、いつかあっという間になくなっちゃうかもしれないと思った。大好きな6人とステージに立ってっていう、正直この時間が続けばなんでもいいと思っちゃう。でもそれだけじゃだめで、その時間を長くするには上に前に深く進んでいかなくちゃいけない。
4. 感想
不測の事態が起きるステージ上で彼らが発した切実な言葉を聞きながら、私はこの出来事をどうしても外部記録媒体に書き残さなければならないと感じた。初日の公演以来、ツアーの感想は書いていなかった。けれど、こうして自分の感じたことや考えたことを残したいと思った。それほどの体験だったのは間違いない。
はじめに、私はこの福岡公演(2部)を否定もしないし、肯定もしない。どれだけこのライブにメンバーやファンの熱がこもっていようと、他公演と違う良さがあったとしても、それはアクシデントによる偶発的な副産物である可能性が高いからだ。当然ながら、メンバーが心身ともに万全な状態でステージに立てることが最善であり、満身創痍の事態そのものを肯定・美化する意図は一切ない。前回の秋ツアーの千秋楽公演も似た事象が起きたが、こういった出来事による気づきや成長は確かにあるのだろう。そのこと自体を否定するつもりはないが、安易に「美談」として片付けてはいけないという苦慮の念と、「よくやりきったな」という想いが、今も複雑に混ざり合ってる。
その上で、今回の公演にはRayとKEIGOの言葉を通じて、その場にいる観客との「共犯関係」が成立したかのような不思議なカタルシスがあった。ステージ上の隠しきれない動揺や、欠けていくピースを必死に繋ぎ止めようとする剥き出しの心情が開示されたとき、観客側もまた「見守る側」から「共にその場を成立させる当事者」へと引き込まれたように(少なくとも私個人には)感じたのだ。
客席からは見えない範囲のことは何もわからない。憶測や邪推は誰のためにもならない。今わかるのは、龍宮城が「龍宮城の音楽」を続けるために、時間と心を削っているということ。そして今回はそのデッドスポットに陥り、満身創痍の状態になったということだけだ。
正直に言えば、1部はKENTの不在をパフォーマンスの構成に昇華させており、最後の『DEEP WAVE』であえて彼の声を残す演出など、「不在の穴の大きさ」をあえて見せる美学すら感じさせた。対して2部は、不測の事態が連鎖する中で、形を維持することそのものが戦いだった。1部が「欠如の芸術」だったとするならば、2部は「ボロボロな維持の美しさ」を見出すほかない、プロフェッショナルとして極限の状況だったと思う。
人間は往々にして、こうした不測の事態に「説明」を求めてしまうものだ。そして表現者が誠実であればあるほど、その期待に応えようと、言葉を尽くしてしまうのだろう。板の上に立つ仲間たちが次々と欠けていく危機感の中で、彼らが発した言葉は、いつも以上に装飾のない、生々しい響きを持っていた。
「安心」「安定」「安寧」なんてものは、本当の意味で手に入ることはない。けれど、それに近づくためにどうすればいいのか考えずにはいられないーーーというのは誰にとっても同じだ。
止めない
進めいつまでも
鏡に映るだけじゃ足りない!
この世界に打ち勝ってこ
「代わりはいるよ」なんて
考えられない!
彼らは信じている。そして私もずっと、そう信じてる。
補足:公演後のメンバーのコメント
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