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私のnoteの決まり文句 ドストエフスキーが示した輝き✨と祈り🙏


「教養は幸運なときには飾りであるが、
  不運のなかにあっては命綱となる」


古代の哲学者アリストテレスが残した言葉なのだそうです。
いい言葉ですね。

悩めるときには、すぐに役立ちそうなハウツーに走りがちです。
しかし、私の場合、悩めるときにこそ、文学作品や哲学書が糧になることが多かったように思います。
まさに、それが「命綱」となるような。

私は、noteの記事のラストは同じ決まり文句を使っています。
なぜその言葉を使うようになったのか。

今回は、そんな話。

ちなみに、今回の話は『カラマーゾフの兄弟』のラストシーンに関わるお話です。ネタバレまではいかないまでも、
今、読み途中の人、
「いつか読んでみたい」という人はご注意ください。🙇
また、私は専門家や研究者ではありませんので、
思い違いや読み間違いも多々あると思います。
そのあたりもご承知の上で読み進めていただけるとうれしいです☺️


🧑‍🎓 さて、いきなり問題です

舞台は19世紀後半のロシア。
主人公のアリョーシャ青年は、少年たちと連れ立って歩いています。
少年たちは友人を失って悲嘆に暮れています。
その状況で、アリョーシャが少年たちに語ったこと
そこに「教育」という言葉が出てきます。

主人公のアリョーシャは、
つまり作者のドストエフスキーは、
「教育」についてどのように語っているのでしょう。

ドストエフスキーは世界的な大文豪。
『カラマーゾフの兄弟』はその遺作。
そして、今から紹介するのはそのラストシーン。
いいですか。
世界的な大文豪の、遺作の、ラストシーンですよ‼️
そこで語られた「教育」とは⁉️
(  )にどのような言葉が当てはまるか、興味をもって、予想しながら読んでみてください。


「いったい、(     )ほど、その後の一生涯にとって、尊く力強い、健全有益なものはありません。諸君は、教育ということについて、いろいろ喧しい話を聞くでしょう。けれど、子供の時から保存されている、こうした美しく神聖な思い出こそ、何よりも一等よい教育なのであります。過去においてそういう追憶をたくさんあつめた者は、一生すくわれるのです。もしそういうものが、一つでも私たちの心に残っておれば、その思い出はいつか私たちをすくうでしょう。」

〈予想〉
ア 親の膝元で過ごした楽しい日々
イ 困難を自力で乗り越えた自信
ウ 多様な体験を通して身に付けた力



予想は立ちましたか。


それでは正解を見てみましょう。





「いったい、楽しい日の思い出ほど、殊に子供の時分親の膝もとで暮した日の思い出ほど、その後の一生涯にとって、尊く力強い、健全有益なものはありません。諸君は、教育ということについて、いろいろ喧しい話を聞くでしょう。けれど、子供の時から保存されている、こうした美しく神聖な思い出こそ、何よりも一等よい教育なのであります。過去においてそういう追憶をたくさんあつめた者は、一生すくわれるのです。もしそういうものが、一つでも私たちの心に残っておれば、その思い出はいつか私たちをすくうでしょう。」

『カラマーゾフの兄弟 第4巻』 ドストエフスキー 作  米川正夫 訳
岩波文庫 P403

いかがでしたか。
みなさんの予想は、合っていましたか😀


📗『カラマーゾフの兄弟』との出会い


『カラマーゾフの兄弟』を読んだのは、
新規採用から3年目のことでした。
私は30歳くらいで遅ればせながらの新規採用となり
4、5、6年と持ち上がりました。
その子たちとの関係は、
「悪くはない、しかし、ハッピーとも言えない」
という感じ。
仮説実験授業をやっていたので、
「アンハッピー」というわけでもなったけど、揺るぎない信頼関係を結べたかというと、そんなことはお世辞にも言えないという感じでした。

💪力量/😆笑顔の〈はざま〉で

たのしさの方へ

その当時の私は、
💪「先生の力量」、「子どもの積み上げ」
そういうものと、
仮説実験授業が教えてくれる
😆「たのしさの積み上げ」
という両者の間にあって、
大きく揺れていました。

臨時採用の経験が長かった私は、
「子どもたちに伝えたいことがたくさんあるのだ」
と思っていました。

いざ正採用になり、子どもたちの前に立ち、
3年間も持ち上がってみると、
「伝えたいことは、それほど持ち合わせていなかった」
という情けない事実と
向き合わざるを得ませんでした。

『カラマーゾフの兄弟』を読み終えたのは、私のそうした日々にあって、子どもたちの卒業が近くなった、そんな時でした。

これまでにないような読書体験でした。
「こんなに夢中になって本を読んだのは初めて」
というような。
ラストはどうなるかと、わくわくしながら読み進めていたら、
なんと教育のこと!
しかも、揺れる自分の背中を、
「たのしさ重視」の側にトンと押してくれるような内容
‼️
「ドストエフスキーは、150年先の、日本在住の私のために書いてくれたんじゃないか😳
と思いました。

ま、そうっすよね


ドストエフスキーの〈すくい〉

『カラマーゾフの兄弟』は、たくさんの苦悩がある作品です。
恋愛、親子、プライド、宗教、科学、虐げられた子ども・・・
どの登場人物も、それらの中であえいでいます。
「どのような人もすくわれるためには・・・」
ということを、
ドストエフスキーも模索したのではないでしょうか。その結果、

〈子ども時代のたのしい記憶〉
に着眼したのではないかと思います。
どの人にもあって、明るくて、温かいもの。
外部から与えられる一律のものではなくて、
自ら紡ぐもの。

誰だって、明るい子ども時代の記憶の一つくらいもっているでしょう。それは、いつ振り返っても、何かしらの温もりを得られるものではないでしょうか。

それさえもっていれば、
人は一生すくわれるというのなら、
この世のほとんどすべての人が、
一生すくわれることになるでしょう。

それは、
苦悩の多い世の中にあって、
なんて温かいメッセージでしょう
‼️

そして、決まり文句✨


この言葉に出会ってから、
「輝き一つ残せれば」
と願って仕事をしてきました。
出会ったのは偶然だけど、
その大切さに気付かせてくれたのは、
3年間持ち上がった、
あの子たちなのかもしれません。
今でも、
「あの子たちこそ、本当の恩師だったのだ」
と思うことがたくさんあります。

今日も、教育の現場は
「予測不可能な未来を生きる」だの、
「主体的」「深い学び」だのとやかましい。
しかし・・・
〈たのしい思い出を子どもの心に残す〉
という視点を欠いた実践は、
どんなに積んでも、
「一生涯」のものにも
「すくい」にもならない気がしています。

どんなに感謝しても、
どんなに後悔しても、
私たちが子どもたちに関わる時間は
あっという間に過ぎてしまいます。
そして、関われる時間が過ぎてしまえば、
あとは祈ることくらいしかできなくなってしまいます。

だから私は、いつもこの決まり文句を使うのです。

やるだけやったら祈るだけ🙏 
「この輝き
が、いつかこの子たち自身を支える力になりますように」

長い文章を読んでくださり、ありがとうございます。
この雑文が、多少なりともみなさんを支える力になりますように🙏

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