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令和版『金魚は死んでいた』―原作・大下宇陀児

Re:ノベル(りのべる)は、
『日本の過去の文学作品を現代風にアレンジ』がコンセプトのシリーズです。

大下宇陀児(おおしたうだる)は、大正・昭和時代の探偵小説作家。




「おやおや、惜しいことしちまつたな」
 思わず口から出たひとりごとだつたが、それを聞きとがめた井口警部が、鋭い視線でふりむいた。
「なんだい、平松。何が惜しいつてんだ」
 そう言われて、若手の平松刑事は、さすがに顔を赤らめ、ひどく困つた眼つきになつて、
「いえ……その……ロボットですよ。こいつは限定生産のプラチナモデルです。完全に逝つてしまつているから、どうも惜しいことしたと思いまして」
 と答えたから、リビングに詰めていた捜査一課の連中も、鑑識の技官たちも、あぶなくぷッと吹きだすところだつた。

 眼の前には、人間の死体があつた。
 だだつ広いリビングの、磨きぬかれた大理石の床。その中央で、高級そうなジャージを着た老人の死体が、無様にうつ伏せになつている。のちにわかつたが、死因はなんらかの強力な毒物によるものだつた。
 死体の両手はすぐそばに転がる犬型の愛玩ロボット――その脚に掴みかかろうという恰好で、硬直している。多分被害者は、毒の苦しみに悶え、最後の力をふりしぼつて、このロボットに緊急通報でもさせようとしたのだろう。その時、まだ息のあつた被害者が倒れこんだ衝撃で、ロボットもまた機能を停止したものと思われる。
 しかし、問題はこの毒殺死体だつた。断じて、まきぞえをくつた機械の犬ではない。だのに、人間の亡骸のことではなくて、壊れたロボットのことを先に言つたから、いかにもそれは滑稽な感じがしたのであつた。

 事件は五月六日の朝、発見された。場所は、都心から少し離れた高級住宅街で、被害者は、数年前にIT事業で一財産を築き、悠々自適の隠居生活を送つていた刈谷音吉という老人である。
 発見者は、老人の家のすぐとなりに住んでいて、去年あたり訪問診療専門のクリニックを開業した島本守という若い医師だつたが、島本医師は、一一〇番へ通報すると同時に、大要次のごとく、その前後の事情を述べた。
「私は今朝、急患の連絡があつて往診に出かけました。ところが、その往きにも帰りにも、刈谷さん宅のスマートホーム・セキュリティがオフラインになつているという通知が、私のスマホに来ていたのです。ご近所でも有名な話ですが、あの老人はかなりの偏屈でしてね。ひどく用心ぶかくて、昼間でも門は固く閉ざされ、スマートロックを外部から解除することは滅多にないんです。私は気になりました。隣同士ですし、時々、ネットの接続が悪いとか、そういうことで呼ばれて、口をきき合う仲でしたから。ことに一昨日は、私が新しく導入した遠隔診断システムのことで相談に乗つていただき、その礼に、庭でちよつとのうち、立ち話をしたくらいです。私が老人にお会いしたのは、それが最後でしたけど、どうも気になつてなりません。それで、帰宅後しばらくしてから、様子を見にうかがつたのですが……」
 そこは医師だから、リビングの惨状を見て、すぐにもう毒死らしいと気がついたのだという。その時、すでに体は完全に冷たくなつていた、と。

 井口警部は、島本医師の折り目正しい供述を聞き終えると、ふたたびリビングへ戻り、腕組みをして唸つた。そして、いまだに壊れたロボットから眼を離さずにいる平松の肩を、無遠慮に叩いた。
「おい、いつまで犬っころを眺めてるんだ。お前、こういうガラクタに詳しかつたな」
「ガラクタじやありません。ソニーが技術の粋を集めた自律思考型エンターテインメントロボット『aibo』の最新限定モデル、ERS-1100プラチナムです。中古市場では、今でもプレミアがついて……」
「やかましい。能書きはいい。この犬が、何か見ていたかもしれん。最終的な稼働記録とか、そういうものは取り出せんのかね」
 警部の言葉に、平松刑事は、待つてましたとばかりに眼を輝かせた。
「もちろんです! 内蔵メモリが無事なら、最後の瞬間に何を認識していたか、映像データとして残つている可能性があります。……しかし、警部。妙ですね」
「何がだ」
「このモデルは、バッテリーが切れそうになると、自動でこの充電ステーションに戻るはずなんです。なのに、こんな部屋の真ん中で機能停止している。まるで、突然、命を絶たれたみたいに……」
 平松は、床に転がるロボットと、部屋の隅に置かれたクロームメッキの充電ステーションを、いぶかしげな目で見くらべた。その眼つきは、もはや人間の死体を捜査する刑事のものではなく、愛するペットの死の真相を探ろうとする、ひとりのマニアのそれであつた。


井口警部は、やれやれといつた風に首を振りながらも、鑑識の班長に声をかけた。
「おい、この犬ころは、そつとしておけ。こいつのことは、このロボット狂いに任せることにする」
 そうして、平松の背中をもう一度、今度は少し力をこめて叩いた。
「いいか、平松。お前の腕の見せどころだぞ。そのガラクタから、犯人の尻尾を掴んでみせろ。鑑識の機材でも何でも、好きなだけ使うがいい」
「はッ、お任せください!」
 平松刑事は、まるで褒められた子供のような顔で振り返り、力強く敬礼した。その眼は、もはや死体のことなど、跡形もなく忘れてしまつているように見えたのである。

 その日の午後、捜査本部の置かれた所轄署の一室で、井口警部は集まつてきた報告に耳を傾けていた。
 刈谷音吉という老人は、確かに近所では偏屈で有名な人物だつたが、これといつて人に恨みを買うような派手なトラブルはなかつた。しかし、妙な噂がひとつあつた。
「警部、ちよつとした筋からの情報ですが」
 聞き込みから戻つたベテラン刑事が、声をひそめて報告した。
「刈谷のやつ、ここ最近、相当な量の金塊を買い集めていたらしいですぜ。それも、オンラインの取引記録が残らないように、古物商や個人ブローカーを渡り歩いて、現金でやつてたみたいです」
「金塊だと? いまどき、ペーパーアセットでもあるまいし……。そいつは初耳だな。よし、その線を徹底的に洗え」
 井口警部は唸つた。IT長者という現代的な肩書と、金塊という古風な財産。その奇妙な取り合わせが、どうにも警部の気に掛かつた。
 そこへ、平松が慌ただしく部屋へ入つてきたので、警部は彼を手招きした。
「どうだ、犬ころの機嫌は直りそうか」
「それが……まだ何とも。物理的な損傷がひどく、メモリチップのサルベージに時間がかかつています。ただ、クラウド上に断片的なログが残つていまして……」
「そうか。まあ、そつちはお前に任せる。それより、君には別のことを調べてもらいたいんだがね」
 警部が話したのは、刈谷老人に例のaiboを販売した、カスタム専門の代理店のことだつた。その店の担当者、笹山という男が、今朝方、参考人として聴取に応じていたのである。
「その笹山つて男が言うにはな。刈谷老人は、とにかく納品を急がせたらしい。『五月五日のこどもの日に、どうしても間に合わせてくれ』と、かなりの剣幕だつたそうだ。なんでも、遊びに来る孫へのサプライズプレゼントだとかなんとか……。で、笹山は、連休返上で準備して、五月五日の朝一番に、あの家へaiboを届けた、と。そう証言している」
 平松刑事は、途中まで黙つて聞いていた。そして、aiboが届けられたのが、五月五日の朝だとわかつたとたんに、
「えッ! なんですつて、納品は……」
 叫ぶようにいつて、眼をきらりと輝かせた。

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