芋出し画像

「近代数寄者䜙論」第10回田山方南の花抌ず、矎術史における「線幎」

ヘッダヌ写真高橋巊ず倧森右

 BUNBOUの代衚・倧森おおもり貎久たかひさず同瀟所属の矎術史家・高橋たかはし䌞城のぶしろによる雑談連茉「近代数寄者すきしゃ䜙論」――。第10回は田山たやた方南ほうなんにかかわる茶碗を取り䞊げお、矎術史における「線幎」に぀いお語り合いたす。

※ 本文䞭では、本連茉の前身である「教えおタカハシさん日本矎術史䜙論」のこずも「本連茉」「この連茉」ず呌んでいたす。



► 倧暋平茶碗ず赀楜茶碗

倧森 今日は、今幎に入っおから萜掌した田山方南1903-1980本名信郎にかかわる二぀の茶碗を取り䞊げお、矎術史における「線幎」に぀いお考えおみたいず思いたす。

高橋 たたニッチなテヌマですね笑。たずは二぀の茶碗を玹介しおいただいお、その䞊で、なぜ「線幎」に぀いお考えようず思ったのかを教えおください。

倧森 分かりたした。䞀぀目は倧暋おおひ焌の平茶碗です。銘は「砂金さきん皿」。共箱の箱曞を芋る限り、昭和50幎1975の10月に石川・金沢垂の倧暋窯で焌かれたこずが分かりたす。この連茉でも過去に䜕床か蚀っおきたように、西坂にしさか方南ほうなんずいう倧暋焌の䜜家の品ず区別するための基準䜜ずしお賌入したした。

倧暋平茶碗 銘「砂金皿」昭和50幎1975
芋蟌みに〝砂金〟のような景色
高台脇に圚銘「方南」
共箱の箱曞

高橋「砂金皿」ずいう銘が面癜い。茶碗をよく芋るず、確かに芋蟌みに「砂金」のように芋える景色がありたすね。雲母きらのようにも芋えたすが、これは窯倉なんですかね

倧森 僕もよく分からないんです。ただ、その景色ず銘が察応しおいるこずは明らかですよね。

 もう䞀぀は、田山䜜のものずは蚀い切れない品なんです。ずいうのも、前々回だったず思いたすが、僕、「田山方南の莋䜜の入手を詊みる」みたいなこずを蚀いたしたよね

高橋 はい。確実に蚀っおたしたね笑。

倧森 その候補䜜ずしお買っおみたんです。

高橋 莋䜜の可胜性がある品ずいうこずですね

倧森 そうです。田山䜜ずされる赀楜茶碗です。銘は「寿犏じゅふく」。䞉重県の叀物業者から買ったのですが、業者は田山ずいう人物を認識しおいなかったのか、あるいは莋䜜ず螏んでいたのか、二束䞉文で売りに出しおいたした。

赀楜茶碗 銘「寿犏」制昚幎䞍明
芋蟌み
 高台脇に銘や印はない
共箱の箱曞

高橋 なるほど。共箱に田山のものず思しき曞付があるものの、高台脇にはい぀もの「方南」ずいう銘が入っおいないんですね。

倧森 そうなんです。しかも、『筆ず土』田山方南叀垌蚘念刊行䌚、1973幎をはじめずした田山の䜜品が掲茉されおいる刊行物には茉っおいたせん。あず、田山の箱曞には制䜜の時期や堎所窯が明蚘されるこずが倚いのですが、それらも曞かれおいない。もちろん、それだけで莋䜜ず蚀い切るこずはできたせんが、真䜜ず断蚀できるものでもないず考えおいたす。


► ある時期を境に花抌が倉化する

高橋 それで、どうしおこの二぀の茶碗から「線幎」に぀いお考えようず思ったんですか。

倧森 二぀の茶碗の箱曞を䞊べお眺めおいたずきに、花抌が異なるこずが目に留たったんです。

 田山の花抌は、文字ではなく別甚䜓動物や昆虫等を図案化した花抌だず思うのですが、よく芋るず巊䞊の䞀画目ず思われる郚分が異なっおいたすよね。

高橋 確かに。倧暋平茶碗のほうは矜のようなものが2枚あるのに察しお、赀楜茶碗のほうは1枚しかありたせんね。

倧森 その違いを芋たずきに、東京・京橋の叀矎術商から聞いた話を思い出したんです。「方南さんは卯幎でしょ。ある時期から兎の耳に芋立おた花抌にしたんです」――ず。その叀矎術商は今幎で83歳になる方で、生前の田山ずも亀流があったようです。

高橋 蚀われおみれば、倧暋平茶碗のほうは兎の耳に芋えたすね。

倧森 そこで、叀矎術商が蚀う「ある時期」ずいうのがい぀頃だったのかを探っおみようず思っお「線幎」に関心を持ったんです。

高橋 それで、花抌が倉わった時期は特定できたんですか。

倧森 田山䜜の曞跡ず茶道具のすべおを網矅できたわけではありたせんが、手元にある資料を芋る限り、昭和49幎1974の秋から兎の耳の花抌になっおいるこずが分かりたした。ひずたずの解釈もできるず考えおいたす。それずいうのも、翌幎の同50幎1975が卯幎なんです。幎男になる前幎の秋から、卯幎にちなんで花抌を兎の耳にした――ず。

高橋 花抌が倉化した時期を特定できたずすれば、それは田山研究においおずおも倧きな䞀歩だず思いたす。

倧森 䜙談を䞀぀。仮に赀楜茶碗が田山の䜜だずするず、花抌の圢状から昭和49幎1974以前に぀くられたものずいうこずになりたす。思い出すのは、田山自身の蚀葉です。いわく田山が最初に䜜陶を行ったのは、小西こにし平内ぞいないの倪門窯兵庫だったず。

 その時期は特定できおいたせんが、いく぀かの情報を組み合わせおみるず、田山が茶の皜叀を始めた「昭和22幎1947以埌」、谷本たにもず光生み぀おず出䌚い䞉田窯に通い始める「同30幎1955頃以前」に、田山は倪門窯で最初の䜜陶を行ったものず掚枬しおいたす。ちなみに、田山の真䜜ずしお認められる最も叀いものは、「同37幎1962」に぀くられおいたす。

 倪門窯はおもに楜焌ず䌊賀焌を制䜜しおおり、僕が確認できた範囲では田山の楜焌はすべお倪門窯で焌かれおいたす。断片的な情報ばかりで決定的なものはないのですが、あえお真䜜である可胜性を積極的に語るずすれば、今日取り䞊げおいる赀楜茶碗は、田山の䜜陶歎のなかでも比范的初期のものの可胜性があるず考えおいたす。

高橋 田山研究においおは、真䜜であれ、莋䜜であれ、重芁な資料であるこずに違いはないず思いたす。その䞊で、仮に真䜜だった堎合、どのような情報資料があれば田山の初期の䜜品だず断定できるず思いたすか。

倧森 ひず぀はやはり、倪門窯で最初に䜜陶した時期ですね。買いそびれおしたったのですが、過去にずある叀曞店が田山の日蚘を売りに出しおいたこずがありたす。日蚘は『田山方南远悌集』灯庵䌚、1981幎にも郚分的に掲茉されおいたす。それらの日蚘のうち、昭和20幎代のものを䞀床芋おみたいず思っおいたす。あずは、昭和37幎1962以前の田山の䜜品を耇数芋おおきたいです。


► 線幎の「甚法」ず「意矩」

倧森 今回、花抌に぀いお調べるために、改めお田山の幎譜を芋返しおいるず、いく぀かの気付きがありたした。そのうちの䞀぀は、田山がその号「方南」を名乗り始めた時期が刀然ずしおいなかったんです。

 そこで、いく぀かの文献をあたっおみたずころ、昭和9幎1934頃に「方南」ず名乗り始めたであろうこずが分かりたした。由来はシンプルに、東京・杉䞊区の方南町に䜏み始めたから「方南」だず思われたす。

 他にも、田山にずっお重芁な仕事ずされおいる事瞟が幎譜に反映されおいなかったりしたので、今埌も田山研究を続けるならば、たずはこの幎譜を曎新するずころから始めなければいけないずいうこずを考えたんです。それで、今回は高橋さんに矎術史における「線幎」に぀いお聞いおみようず思ったわけです。

高橋 なるほど。よく分かりたした。では、ここからは僕が事前に甚意しおきた話をしたすね。ただ、あくたで今回のクラむマックスは、倧森さんが田山の花抌が倉化した時期を特定した郚分なので、これから先は適圓に読み流しおいただければ幞いです。

 倧きく二぀のテヌマで話しおみたす。「線幎に぀いお」ず「本阿匥ほんあみ光悊こうえ぀の研究における線幎ずその問題」です。たずは蚀葉の定矩から。「線幎」ずは「幎月の順を远っお線むこず」を意味したす。矎術史における「線幎」に぀いおは「甚法」ず「意矩」を敎理しおおきたしょう。

「甚法」に぀いお、䞀般に矎術史で「線幎」ずいう蚀葉が䜿われるずきは、「䜜家の人生や䜜品を時系列で䞊べたり、いく぀かの時期に分類したりするこず」を指したす。「意矩」に぀いおは、䞉぀のこずが蚀えたす。䞀぀目は、ある䜜家が自らの䜜颚をどのように確立し、倉化させおいったのかを目に芋える圢で敎理できるこず。二぀目は、眲名や幎蚘のない䜜品を分類したり、その真莋を刀断したりする際に目安ずなるこず。䞉぀目は、個々の䜜品を䜜家の人生や歎史的な文脈に䜍眮付け、より深く理解する助けになるこず――です。

倧森 今回の赀楜茶碗に関する調査では、たさに二぀目の目安の必芁性を痛感したした。

高橋 次に「線幎」の方法ず泚意点に぀いおお話ししたいず思いたす。方法をひずこずで蚀えば、「圢匏form」「内容content」「様匏style」の䞉぀の芖点で吟味するずいうこずになりたす。䞀぀ず぀芋おいきたしょう。


► 圢匏・内容・様匏を吟味する

高橋 たずは「圢匏form」に぀いお。「圢匏」ずは、目に芋えるものを成り立たせおいる芁玠や構造のこずです。具䜓䟋ずしおは、玠材、サむズ、点・線、圢、色、構図、技法などが挙げられ、萜欟眲名・印も察象になりたす。重芁なのは、圢匏の吟味においおは意味が捚象される点です。光悊研究の堎合、光悊の䞀郚の䜜品に確認できる線の震えによっお、制䜜時期を掚枬しようずいう詊みがよく芋られたす。これに぀いおは、のちほど詳しく述べたいず思いたす。

 次に「内容content」に぀いお。「内容」ずは、目に芋えるものによっお衚わされおいる䞭身や意味のこずです。具䜓䟋ずしおは、図像、題材、コンセプト、読解の察象ずしおの文字などが挙げられたす。光悊研究の堎合、光悊の曞状の文面に出おくる歊将の官䜍などから執筆時期を特定できるこずもありたす。

 最埌は「様匏style」です。「様匏」ずは、ある時代、地域、集団民族・流掟など、個人などに共通しお芋られる圢匏ず内容のパタヌンのこずです。いわゆる「䜜颚」も様匏の䞀皮ず蚀えたす。圢匏ず内容は個々の䜜品ごずに分析できるのに察しお、様匏は耇数の䜜品を比范しないず芋えおきたせん。光悊研究の堎合、光悊の兞型的な曞颚を指しお、「光悊様」ずいう蚀い方がよくなされおいお、それがどの皋床珟れおいるかによっお制䜜時期を掚枬できるずいう芋方もありたす。詳现は省きたすが、様匏は広く前提ずされおいるものの、曖昧な芁玠を倚分に含んでいるものず蚀えたす。

倧森 なるほど。今回の花抌の倉化に関する調査は、いたの話で蚀うず「圢匏」の吟味にあたるわけですね。

高橋 おっしゃるずおり。ただし、ずりわけ「圢匏」ず「様匏」における線幎的な分類には泚意が必芁です。䟋えば、曞状の文面など、䜜品の「内容」を手がかりずする手法は比范的、分かりやすいですよね。他方で、「圢匏」や「様匏」の違いの堎合、必ずしも時期の違いず察応しおいるずは限りたせん。あるいは、よく想定されがちなように、ある䜜家の䜜颚が単玔なものから耇雑なものぞ、玠朎なものから掗緎されたものぞず、盎線的に発展したずも限らない。

倧森 田山の花抌の話をすれば、昭和51幎1976以降に再び耳が䞀぀の花抌に戻したり、䞡方の花抌を䜵甚したりしおいた可胜性は吊定できたせんね。

高橋 䜜品の線幎を詊みるには、ずにかく基準䜜を芋぀ける決めるこずが重芁です。䜕が基準䜜ずなり埗るかず蚀えば、「真䜜である可胜性が高いもの」でしょう。具䜓的には「䜜品の圢匏・内容が他の有力な資料ず矛盟しないもの」や「来歎が確かなもの」です。加えお、「圢匏・内容から制䜜時期を把握できるもの」であれば、基準䜜ずするに䞀局ふさわしいず蚀えたす。


► 光悊䜜品の線幎を分類する

倧森 ここからは光悊䜜品を取り䞊げお、線幎に぀いおお話しいただけるずいう感じですかね

高橋 はい。簡単ではありたすが、準備しおきた話をしおみたす。光悊䜜品の線幎は倧たかに䞉぀か四぀に分類できたす。すなわち「初期」「慶長期」「元和げんな・寛氞期」――です。

 順番に芋おいくず、「初期」は「光悊様」が珟れる以前で、具䜓䟋ずしおは《「富治郚巊殿」宛曞状》東京囜立博物通が挙げられたす。

 次に「慶長期」は「光悊様」が最も顕著に衚れたずされる時期で、「埳友斎ずくゆうさい」の号がよく甚いられるようになりたす。具䜓䟋ずしおは《鹿䞋絵新叀今集和歌巻断簡》MOA矎術通ほかが挙げられたす。

 最埌の「元和・寛氞期」には豊最な「光悊様」が圱を朜めた、ずいうのが定説です。光悊は元和に入る少し前に脳卒䞭の埌遺症である「䞭颚ちゅうぶう」を患ったずされおおり、光悊研究の第䞀人者である小束茂矎こた぀しげみは「ある皮のぎこちない〝硬さ〟ず〝鋭さ〟」を指摘しおいたす。この時期には「倧虚庵倪虚庵」の号がよく甚いられるようになりたす。ちなみに、先に「䞉぀か四぀に分類できる」ず蚀ったのは、元和期ず寛氞期でさらに分ける人もいるからです。

倧森 田山䜜品の線幎に぀いおは、ただただ怜蚎が足りおいないので䜓系的なこずは蚀えたせんが、いく぀か特城を挙げるずすれば、手捻りも曞幅も圧倒的に昭和40幎代以降に制䜜されたものが倚いずいうこずです。それは同40幎19653月に61歳で文郚省を退官しおからの〝晩幎〟の時期ずほずんど重なりたす。

 内容に関しおは、最晩幎にあたる昭和52幎19773月に喉頭こうずう声垯摘出手術を受けたあたりからは、病にかかわるこずが曞かれた曞跡が出おくるようになりたす。䟋えば今回、床に掛けた田山の曞幅は、手術の2カ月ほど前にあたる同幎の元旊に曞かれたものです。

「梵音海朮音」昭和52幎1977元旊
次女・矜田枅芋の識箱

 平成2幎1990に、みの矎術店東京・枯区が開催した「田山方南展」に出品されたもので、䌚期䞭に売れたのかどうかは分かりたせんが、圓時の売䟡は38䞇円。次女・矜田はねだ枅芋きよみの識箱が付属しおいたす。図録に掲茉されおおり、䞭廻ちゅうたわしや䞀文字いちもんじの裂地きれじの现かな王様も䞀臎したので真䜜ず芋お間違いないず思いたす。

高橋 倧森さんにしおは珍しく、仏語の曞幅笑。

倧森 そうなんです。最晩幎の病に関係する䜜品は、奜みにかかわらず手に入れるようにしおいたしお  。

「梵音がんおん」は「枅らかで矎しい仏の声」ずの意味で、「海朮音かいちょうおん」は「仏・菩薩の広倧な慈悲の音声があたねく聞こえるこずを波の音にたずえた語」ずのこずです。喉頭がんの宣告を受けおから曞いたのか、宣告前に曞いたのかは定かではありたせんが、前者であれば自分の声が倱われるこずを分かったうえで曞いたこずになりたす。埌者であっおも、鑑賞者ずしおは偶然の笊合に意味を芋いだしたくなる䜜品です。

 ちなみに、『方南文庫目録』博物通明治村、1982幎によるず田山は術埌3カ月にあたる昭和52幎19776月にも「梵音海朮音」の䞀行曞を曞いおいたす。

 晩幎の田山は慢性䞭耳炎も患っおおり、昭和54幎1979には再び手術を受けたす。そのあたりからもやはり、䞭耳炎や耳に関する内容が曞跡に珟れたす。


► 〝病〟はどこたで線幎の手がかりになるか

高橋 ちょうど病の話が出たので、最埌に光悊の「䞭颚」ず線幎の関係性に぀いお蚀及しおおこうず思いたす。ここでは「病はどこたで線幎の手がかりになるか」ずいう問いに぀いお怜蚌しおみたす。

 光悊の䜜品に関する解説を読んでいるず、「䞭颚の圱響が芋られる」ずいう類の文蚀が頻出するのですが、それは倚くの堎合、該圓する䜜品が「光悊様」の衰えた元和・寛氞期のものであるこずを瀺唆しおいたす。぀たり、「ある䜜品に線の震えが芋られる」→「線の震えは䞭颚の圱響によっお生じたに違いない」→「光悊は慶長の終わり頃に䞭颚を患ったに違いない」→「ゆえにこの䜜品は元和以降に制䜜された」――ず芁玄できるような掚論がなされおいるんです。

 光悊が䞀時期、䞭颚を患ったらしいのは間違いありたせん。光悊の曞状に「䞭颚散々ニ埡入候」「䞭颚ニテ䞍自由候」などの文蚀が出おくるからです。あるいは、本阿匥家の家蚘である『本阿匥行状蚘』には、「䞭颚気味で手が震えるので、茶屋四郎次郎に烏犀円うさいえんずいう薬をたびたび手配しおもらった」ずいう内容も芋られたす。埳川家の公匏な蚘録である『埳川実玀』を芋るず、慶長の終わり頃にこの「烏犀円」ずいう薬が䜕床か登堎したす。

 他方で、「䞭颚」ずいう文蚀が出おくる光悊の曞状はいずれも時期が特定できおいたせん。光悊は䞭颚をい぀患い、その症状はどのくらい続いたのかに぀いお、ただただわかっおいないこずが倚いんです。

倧森 話をうかがっお思い浮かんだのは、䞭颚が回埩した可胜性です。脳卒䞭の埌遺症であれば、いたで蚀うリハビリがうたくいけば、ある皋床は回埩する可胜性もありたすよね。

 たったく異なる病ですが、先述したずおり、田山は喉頭声垯を摘出しお声を倱いたす。その頃から「無聲むせい」ずいう印を䜿ったりしおいるのですが、熱心にリハビリを行った結果、半幎ほどで声が出るようになったようです。

高橋 おっしゃるように、䞭颚が回埩した可胜性はありたすね。あずは〝線の震え〟に䞭颚による震え以倖の意味があり埗るこずも芋萜ずしおはいけないず思っおいたす。䞭颚以倖の䜓調に起因する震えもあれば、意図的に起こした震えもあり埗る。無意識に生じた震えだっおあるかもしれたせんし、䞭颚を含めた䞍調を意図的に利甚しお起こした震えもあるかもしれない。

 線の震えが芋られるゆえに元和・寛氞期の䜜品である、ずいう掚論のもずになっおいる前提の真停に぀いおは、きちんずした怜蚌が必芁だず感じおいたす。

倧森 今日も濃密な講矩を受けるこずができたした。田山の幎譜に぀いおは、僕が40歳になる頃たでには、なんずかたずめおみたいず思っおいたす。

高橋 ある䜜家の研究が行われる堎合には、必ず第䞀人者ずなる人物が䜜品の線幎を詊み、幎譜の土壌を敎えたす。たさかその瞬間を目の圓たりにするこずができるずは思いたせんでした笑。


※


► 参考文献

『田山方南華甲蚘念論文集』田山方南先生華甲蚘念䌚、1963幎
田山方南『筆ず土』田山方南叀垌蚘念刊行䌚、1973幎
田山方南『巌泉塔雑詠』私家版、1977幎
『㐂寿蚘念 田山方南曞幅展』䌊勢䞹新宿店、1980幎
『田山方南远悌集』灯庵䌚、1981幎
『方南文庫目録』博物通明治村、1982幎
『田山方南展』みの矎術店、1990幎


高橋䌞城たかはし・のぶしろ
1982幎、東京生たれ。ラむタヌ・矎術史家・翻蚳家。創䟡倧孊を卒業埌、英囜゚ディンバラ倧孊倧孊院で芞術理論、ロンドン倧孊倧孊院で矎術史孊の修士号を取埗。垰囜埌、立呜通倧孊倧孊院で本阿匥光悊に぀いお研究し、博士課皋満期退孊。珟圚はBUNBOUの䞀員ずしお掻動䞭。著曞に『法華衆の芞術』第䞉文明瀟。

倧森貎久おおもり・たかひさ
1988幎、倧阪生たれ。ラむタヌ・BUNBOU株匏䌚瀟代衚取締圹。創䟡倧孊を卒業埌、線集プロダクションに入瀟。独立埌はフリヌラむタヌずしお掻動し、2020幎にラむタヌ仲間ずBUNBOU株匏䌚瀟を蚭立。おもに雑誌の取材・執筆、曞籍の線集・執筆などを行う。

写真氎島掋子

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