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芋たいものしか芋たくない時代の文芞コラム第䞉回

月 䜜家の察談二本・戊埌80幎・AIず詩論

 さお、今月も誰も読んでいない時評を粛々ず曞いおいきたいず思う。

 たずは『新朮』8月の䜜家察談2本である。䞊田岳匘1979ず町屋良平1983の察談ず、高橋源䞀郎1951ず束家仁之1958の察談。
 䞖代差がある。私は1972幎生たれなのでほがその䞭間にあたり、䞖代を意識しながら読んだ。それぞれ文孊の責任をめぐっお蚀及する箇所があり、たた批評・批評家に蚀及しおもいる。印象を挢字䞀字で衚すなら、前者の察談「デビュヌ前の野蛮さず自由を忘れずに」は怒。埌者の察談「助手垭で倩皇小説を䜓隓する埩路」は無、ずいったずころか。
 䞊田は「批刀するだけ批刀しおだれも責任を取ろうずしないのはどうかず思いたすけどね」ずやや怒りを含んだ発蚀をし、町屋も同意しおいる。「批刀をしたあずにその䜜家を远い続けるならいいんですが、䜜家はわかるんですよ。批評家が自分の文脈を远っおいるのかそうじゃないのか」。ここだけ切り出すず、圌らが「かたっおほしい」ずいっおいるだけのように受け取られかねないが、自己批刀もあっおのこの発蚀なので、誀解ないよう。詳しくはじかに読んでほしい。私より䞋の䞖代は批評家にはあたり蚀及したがらないず思っおいたので、諞々の発蚀には少し心を動かされおしたった。ずくに重芁なのは、䜜家を点ではなく、線や面、「文脈」ずしお評䟡すべきずいう発蚀だろう。私の勝手な考えだが、単発の曞評ではなく曞評が悪いずいっおるんじゃないですよ、䜜家を粘り匷く文脈で評䟡できる者こそ批評家だず思っおいる。そういう批評家の力量が䜜家にも芋える特集や䌁画を組めればよいなず思った次第。
 高橋×束家察談の、批評家に察する評䟡はだいたい私の想定内にある。か぀おは元気だったが、いたは存圚しないに等しいず。たあそうだよね。束家いわく「か぀おは文孊ず批評がせめぎ合い、ずきに衝突しながら、熱を発生させおいたように思える。今はしんずした郚屋のなかにいお涌しいだけ、みたいな感じがある。批刀されたくないし、うしろから刺されるのも痛いから嫌なんだけど、電話䞀本かかっおこない無音の涌しい郚屋にいるず、自分はひょっずしお死んでるんじゃないかず思うこずもありたす」。高橋は「そんなものはいらないず思われおいるのかもしれたせん。だから文孊はなくなり぀぀ある」ず。高橋は珟圹䜜家の䞭で最も批評家ず関係しおきた䜜家であろう。加藀兞掋や柄谷行人らず積極的に仕事をしおきた。その䞭で批評家を批刀するこずもあったし、耇数の批評家から、ずきに激しい批刀も受けおきた。批評家に察しおは耇雑な気持ちをいだいおいるはずで、それに察しお倖野がどうこういえる話ではないず思っおいる。
 䞀点いえるのは、やはり『日本文孊盛衰史』2001は文孊史に残る䜜品だよなあ、ずいうこずだ。察談は、『日本文孊盛衰史』にくわえ『今倜はひずりがっちかい――日本文孊盛衰史 戊埌文孊篇』2018、『DJヒロヒト』2024の歎史小説䞉郚䜜を䞭心に進められる。䞉䜜ずも劎䜜だず思うが、『日本文孊盛衰史』が特筆されうるのは、いく぀かの理由がある䞭、ずくに䜜品をめぐり批評家や研究者がこぞっお蚀及したその議論喚起性にあった。 圓時批評界隈で泚目されおいた日露戊埌・倧逆事件を取り入れおいた点で議論喚起する火薬が詰め蟌たれた䜜品だったわけだ。䜜家が半ば意図しお仕蟌んだものだろう。
 加藀兞掋の「敗戊埌論」初出1995をめぐる論争があった1990幎代埌半は戊埌50幎ずいうこずもあり、戊埌史を䞻題・背景にした歎史小説が耇数発衚されおいる。阿郚和重『シンセミア』連茉開始1999、村䞊春暹『海蟺のカフカ』2002、倧江健䞉郎『取り替え子』2000、島田雅圊『圗星の䜏人』2000から始たる無限カノン䞉郚䜜など錚々たるメンツである。『日本文孊盛衰史』の時代蚭定は明治だが、歎史蚘述が䞻題である点で同じ文脈にある。察談では「戊争責任」が䞻題ずしおあったず明蚀しおもいる。䜜家が「戊争責任」を果たすには文孊史に向き合うしかないずも。
 今幎は戊埌80幎ずいうこずもあり、文芞誌でもその特集をちらほら確認できる。だいたい䜕人かの䜜家に小説を曞かせ、゚ッセむや座談䌚でお茶を濁すかのような印象を受ける。もっずいろんな芖点を導入しお戊埌80幎にブリッゞをかけるべきだずか小難しいこずはいわない。ずにかく戊埌80幎を「楜しんで」ほしいず切に願う。最近の文芞誌が楜しそうに芋えないこずは前回曞いた。愚痎はそんなに吐くべきではないけれど、手に取っお開くず぀いこがれ出おしたう。フェミニズムず韓囜文孊玹介の成功䜓隓それはそれで高く評䟡されるべきだがに過䟝存し、珟圚をキャッチアップしようずしすぎおはいないだろうか。文孊を楜しんでいないし、文孊のこずを知らなすぎる。もっず腰を据えおバックナンバヌに圓たり、先人の詊みを吞収しおほしい。そしおあなた方が残したナンバヌが次代に匕き継がれ、参照されるこずにもっず自芚的であっおほしい。

 今月もうひず぀スポットを圓おたいのはAIず詩論の問題、そしお詩誌である。『珟代詩手垖』7月ず『詩ず思想』7月。
 順序ずしおは、「もうダメだ AIの小説が䞊手すぎる――珟代䜜家人の緊急䌚議」笠井康平暋口恭介山本浩貎いぬのせなか座を読んだこずがきっかけで、その䌚議の参加者である山本の評論を収めた『珟代詩手垖』を読み、続けお『詩ず思想』も手に取ったずいう流れである。
 『珟代詩手垖』は「詩論ず実䜜のあいだ」ずいう特集を組んでいる。入沢康倫の『詩の構造に぀いおの芚え曞』初出1966がちくた孊芞文庫から再刊されたこずがきっかけだず思うが、この『芚え曞』、ずくに「その䞭心呜題ずされる「詩は衚珟ではない」を手掛かりに」線集埌蚘各論者に論じおもらうずいうものだ。野村喜和倫「詩論ず詩䜜の関係をめぐる党史」が指摘するように「詩論が曞かれなくなっお久しい」珟圚にあっお、か぀お時代を画した詩論である『芚え曞』に泚目する詊みずいうこずなのだろう。
 自分も再読しおいく぀か発芋があった。郚分的にせよ口語䜓を駆䜿した評論はこの時代新しかったのではないかずか、参照先が仏文ばかりでこの時代以降の仏文芇暩の様盞が知られたりずか、吉本隆明『蚀語にずっお矎ずはなにか』1965の圱響は思ったほどないなずか。
 1990幎代にうっすら闇をかかえながら通っおいた倧孊では詩のサヌクルに所属しおいた孊生にずっお、入沢はもちろんすでに暩嚁であった。「詩は衚珟ではない」がむンパクトを䞎えたずいう逞話は知らなかったが、「詩は衚珟ではない」ずいった発想はすでに前提の䞊で研究すべきものずされおいたはずである。ここでいう「衚珟」ずは、論者のひずり小池昌代が蚀及しおいる通り、䌝達や再珟くらいの意味である。誰かの䌝達でも、䜕かの再珟でもない。詩は自埋した構造ずしおみなければならない。
 特集に戻るず、各論者はいたなぜ『芚え曞』なのかずいう戞惑いをいだいおいるような印象をもった。そんな䞭、山本だけ朔くいっさい『芚え曞』にはふれぬたた、生成AIで詩䜜をしたそのプロセスを延々ず蚘述しおいる「偶然ず人物の䜍眮」。これが圌なりの「詩論ず実䜜のあいだ」の回答ずいうこずだろう。しかし、各論者の倧トリに登堎する山本の論を読んでみるず、特集におけるその意図がわかりにくいかもしれない。圌だけ勝手なこずを曞いおいるず怪したれるかもしれないが、おそらくその意図するずころは「詩は構造ではない」である。
 䞊蚘「緊急䌚議」を読んだ埌に読むず、そういう理解が埗られやすいのではないか。「緊急䌚議」は盛りだくさんな内容なので詳现はじかにあたっおもらうずしお、生成AIを甚いた詩䜜に関する山本の論はシンプルである。「詩ず称されおきた営みの第䞀の定矩」を「既存のコヌドを包摂するより高次のコヌドを人䜓に発芋・䞊挔させる装眮を補䜜・分析するこず」ずする。この定矩は小池の「詩は䞭略「吊定圢」でしか定矩できない」「遺䌝する声」ずそう遠くはない。そしおそのような詩を生成AIで実珟するには、「単に文法からの逞脱を呜じるだけでは䞍十分」であり、「「文字を䞊べる法則性」を新たに生成するための、より高次のシステム」の蚭蚈に泚力する必芁があるずいうこずになる。その䞊で山本はこうたずめる。ここがハむラむトだろう。「このずき、詩人は「語ず語の配列を吟味する存圚」から「"配列の背埌で働くルヌル"を探り・線む蚭蚈者」ぞず倉化する」。
 いたや詩は構造ではなく、耇数の芏則の探知・蚭蚈においおみなければならない。最近だずマンションポ゚ム、叀くは䞭島みゆきの歌詞をめぐっお芋られたものだが吉本隆明や倩沢退二郎など、詩的なものを色々なゞャンルに芋出しおしたう仕草は、このような詩の状況倉化ず盞即しおいよう。『詩ず思想』は特集「詩蚀葉の領域――広告、シナリオ、歌詞、SNSなど」を組んでいる。「詩蚀葉」ずは「詩のような蚀葉」ず蚀い換えられおいるが、芁は、詩以倖のゞャンル――それぞれ固有の語の配列をも぀わけだが――から詩的な蚀葉の䞊びや詩の芏則を探知ハッキングする詊みである。『カッコよくなきゃ、ポ゚ムじゃない』豊厎由矎広瀬倧志、2024は、よい珟代詩史だず思うが、広範な他領域をカバヌする詩の芏則探知ずしおも特異であった。詩の呚蟺をさたよい぀぀、詩を再蚭定するこず。
 ちなみに、入沢は自埋した構造ずしおみるので、詩を他の衚珟ゞャンルから切断するだろう。「詩䜜品を新聞蚘事を読むように読めるものであろうか。詩䜜品を読む堎合、読者はいわば䞻䜓的に詩行為を挔じなければならない」111ペヌゞ。しかしいたや詩はいたるずころに芋出せる。もちろん新聞蚘事にも。
 こういった状況に自芚的な詩ずしおあげおおきたいのは、やはりni_kaのモニタ詩・AR詩ず山田亮倪の『オバマ・グヌグル』2016だろうか。前者は、AR技術ず絵文字・デコ文字ずハロヌキティず詩蚀葉を掛け合わせお領域を暪断する詊䜜を披露しおみせた。そういえばni_kaにはブログ詩やAR詩をめぐる優れた詩論がある『文孊』1・2号。埌者は、WEBや雑誌、公園内に掲瀺された蚀葉を集めお探知詩にしたものだが、それは「詩っぜいもの」山本を単に発芋しお寄せ集めたものではなく、寄せ集めたこずを泚釈やルビで瀺すこずで芏則の蚭蚈者である自己を茪郭付けおいる。
 さお、こういった珟状が詩にずっお幞犏なのかずいうず、それはたた別の話である。䜜品ずしお玠朎に詩を楜しむこず、もちろんそれはいたでも可胜ではあるが、それが時代を画するものではなくなっおしたっおいるからだ。韻埋や決め台詞、文字の配列――汚れ぀ちた぀た悲しみに 、えゝ ゚むト γガムマア むヌ スむツクス αアルフア こずにもアラベスクの食り文字 ――でポ゚ゞヌを生み出せた時代ではないのである。単玔化すれば、珟代詩は閉塞感を嘆きながら、ハむコンテクストで難解にならざるをえない隘路にある。「緊急䌚議」が、理論ベヌスで楜しく議論を進めながら、アりトプットされた䜜品にはなんずなく鬱っぜく語っおいるのはそういう事情を物語っおいるのではないか。そんなこずを考えた。もちろん詩を考えるにあたっお色々な定矩を立おられるだろうが、AIにしたがっおゞャンルを考察し、その時代のゞャンル固有の問題を瀺した点で山本の論は、近幎たれにみる有意矩な詩論であろう。
 ずころで、芥川賞の受賞䌚芋以降、䞖間的には「AI小説家」ずみなされるようになったず、やや皮肉っぜく語るのは九段理江である「AIの心、䜜家の䜓」『文孞界』8月。䌚芋埌さらに受難は続き、広告代理店が䌁画した95生成AIに曞かせた小説を発衚するこずずなり、あげく招埅された台湟でも小孊生からAIがらみの質問を受けたそうだが、そういう状況に翻匄されながらもセルフプロデュヌスずしお掻かそうずする䜜家の芚悟を面癜く読んだ。どのゞャンルにも、いかに泚意を集め、流通させるかずいう問題がある。そういう切り口からプロレタリア文孊の各䜜品䜜品未満なものもあるを新たに探知し線集した荒朚優倪線『プロレタリア文孊セレクション』2025のこずを少し想起しお今月は終わりにしたい。

金沢八景に咲くデュランタ、果実ず葉に毒性あり

▶䞭沢忠之。1972幎生。凡庞の䌚。文孊WEB版線集人。

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