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自分が、規定された社会にいると認識した時、寺山修司の言葉が毎回浮かぶ。

寺山修司の 
私の存在そのものが質問なのだ。
その答えを知りたくて生きているんだ。

という言葉を私は好きだ。

世界は、規定された概念が多くあるから、
国であり、会社であり、仲間であり、家族である
しかし、その規定された概念の中にいる私たちは、
その概念の中にいると認識しているのであろうか?

寺山の残っている下記の言葉がある。
十九歳のとき、ぼくは初めて詩集を出した。
そのあとがきに「偉大な政治家にならなくともよいし、偉大なスポーツマンにならなくともよい。
ただ、偉大な質問者になりたい」と書いた。
その頃、私にとって人生はまだ始まったばかりだったので、多くの未知のものが横たわっていたのである。

私は何者であるか、ということを寺山は問い、そしてそれ自体が、自分自身がどういった人間であるかということを問い続けたのであろう。

そして答えは自分の中にあるということではなくて、
世界全体がその答えではないかと言っていること自体が面白い。
世界に出ていく、世界に問い出す、それを繰り返すことによって自分が見えてくるということを伝えているのであろう。

そして寺山にとって、
問いというものが非常に重要なものであること、
疑問をいっぱい持とうとも語っていた。

社会が言う言葉
「家族とはこういうものだ」
「男とはこういうものだ」
「成功とはこういうものだ」
「人生ってこういうものだ」
そういうものたちに、
自身で答えを与える時、社会が見えてきたのではないだろうか?
さらに、問い立て続けてながら。

私たちは社会の定義の中で生きている。
しかしその定義の中で生きているのであるけれども、自分自身の意見や考え方を常に持っておかないと、自分自身というものが消えていくと私は思っている。
そしてその問い続ける姿勢自体が、
今後の、エレベータに乗っていたら上に上がれる社会ではなく、
さらなる変容の中にある社会にとっては、
常に問いを持つということを、再度、重要であると再認識した今日このごろでした。


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